NATROMのブログ

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鎌状赤血球症について捏造された逸話を紹介

武田邦彦氏は、鎌状赤血球症について、よくある誤解をしている。問題は、誤解そのものではなく、誤解に基づいて逸話を捏造した、もしくは、捏造された逸話を紹介したところにある(2013年1月19日、コメント欄でのMSさんの指摘を受けて追記)。根本的には、きちんとした引用をしないところに問題点がある。


■武田邦彦 (中部大学): インフルエンザとはなにか? (5)


昔、まだ人間の寿命が短かったとき、特に生活環境が厳しい熱帯地方ではマラリアが蔓延し多くの人たちがマラリアにかかって20代で命を失いました。


ところがこの鎌形赤血球貧血症にかかった人はマラリアになることが少ないので、30才程度まで生きることができたと言われています。


かといって鎌形赤血球正常ではないので脾臓で破壊され、溶血を起こして慢性の貧血の状態になります。もちろん肝臓や心臓にも負担をかけますのでとても辛い病気です。


しかし、それでも地方によっては鎌形赤血球貧血症にかかると喜んだと言います。それはもしこの病気にかからなければ20才代で命を落とすのに、病気で苦しむ変わりに30才まで生きることができるからです。人間の生活は悲しいものだったのです。


鎌状赤血球症とマラリア耐性の関わりは良く知られている。異常ヘモグロビンの遺伝子をホモ接合で持つ個体は、「脾臓で破壊され、溶血を起こして慢性の貧血の状態」になるが、ヘテロ接合で持つ個体は「マラリアになることが少ない」ため、異常ヘモグロビンの遺伝子は集団の中に一定の頻度で保たれる*1。武田氏は、「鎌形赤血球貧血症にかかった人」が「マラリアになることが少ない」のと同時に、「脾臓で破壊され、溶血を起こして慢性の貧血の状態になる」と誤解している。ホモ接合とヘテロ接合との違いを理解していないためであろう。

その誤解はいいが、問題は、「地方によっては鎌形赤血球貧血症にかかると喜んだと言います。それはもしこの病気にかからなければ20才代で命を落とすのに、病気で苦しむ変わりに30才まで生きることができるからです」というくだりである。そのような逸話は実際には存在せず、武田氏による捏造か、もしくは誰かが捏造した逸話を武田氏がさも事実であるかのように書いたかであると思われる(2013年1月19日、コメント欄でのMSさんの指摘を受けて追記)。なぜなら、ホモ接合体の個体の寿命は短いため、「病気で苦しむ変わりに30才まで生きることができる」ということはないし、ヘテロ接合体の個体はマラリア耐性ゆえに長生きできるが「病気で苦しむ」ことはないからだ。

武田氏が、「適切な引用をする」という習慣を持っていれば、「地方によっては鎌形赤血球貧血症にかかると喜んだ」という逸話を捏造することはなかったであろう捏造された逸話を紹介することはなかったであろう(2013年1月19日、コメント欄でのMSさんの指摘を受けて追記)。そのような逸話は、信頼できる文献のどこを探しても発見できないからだ。武田氏が、「〜と言われてます」「〜と言います」として持ち出した逸話については、信頼できる引用元が示されない限り、私は一切信用しない

*1:あまりにも基本的な内容なので文献を提示する必要もないくらいだが、文脈上、提示しておく。遺伝学の教科書には必ず載っているだろうが、たまたま机の上にある、「進化 分子・個体・生態系」 メディカル・サイエンス・インターナショナル(P422〜)を挙げておこう 

注釈なしにブログの文章を改変(2011年6月3日追加)

平成23年3月13日執筆の武田氏のブログの「人間が放射線によって障害を受ける最低の放射線は200ミリシーベルト付近」という文章が、なんら注釈なく改変されていた(2011年6月3日現在)。





人間が放射線によって障害を受ける最低の放射線は200ミリシーベルト付近ですから→人間が放射線によって急性の障害を受ける最低の放射線は200ミリシーベルト付近ですから。

改変によって、文章そのものはより正確になった。その結果、よく揶揄される「健康に直ちに影響はありません」という主張になってしまったのは皮肉ではあるが。「現在の状態では、原子力発電所の横に1時間ぐらいいても大丈夫でしょう」という後の文章との整合性もなくなった。しかし、ここで問題にしたいのは、主張の整合性ではなく、武田邦彦氏は、ブログの文章を、なんら注釈なく改変するという点である。「てをには」のミスの修正程度ならともかく、「武田邦彦氏は、閾値あり仮説に立っていた」という批判を受けてのち、注釈なく改変すれば、「改ざん」だとみなされても仕方がない。実際のところ、こうした武田氏の「改ざん」については他にも例がある。

既に■武田邦彦氏の功罪で指摘した「核爆発は原爆と同じだから、付近は全て消滅するだろう」という文章も、注釈なしに改変されている。■(cache) 武田邦彦 (中部大学): 緊急の訴え いわき市の市長さんへ、あなたは神ですか?については、エントリーすべて削除されている。いわき市の市長が「福島産の牛乳や食材は危険だという風評を払拭するため」と言ったようだ、という武田氏の主張は、根拠のないものであったからだと思われる。根拠のない、というか、捏造であると私は考える。他にも、「原発 速報 福島第一、1号炉の放射線急増について」という記事も削除されている。魚拓をとっていないので、はてなブックマークのページをリンクする→■はてなブックマーク - 武田邦彦 (中部大学): 原発 速報 福島第一、1号炉の放射線急増について。格納容器内と外の放射線量の話を混同していたものと思われる。

日本人やヨーロッパ人や環境学専攻の専門家は統合失調症であると主張(2011年6月9日追加)

武田邦彦氏の専門用語の使い方はきわめて杜撰である。


■武田邦彦 (中部大学): ベトナム紀行 (2) メコンの恵み


なぜ、日本の地方は「過疎」になるのだろうか? 日本人は「自然が良いと言いながら都市に住む」という統合失調症(昔の精神分裂症)で、ベトナムの人は健全な精神を持った人たちのようにも見える.


■武田邦彦 (中部大学): 相手の身になって考える (2) 


ところで、近代ヨーロッパの文化には素晴らしいものがありますが、それはアジア人の血と汗でできあがったものでした。もし、ヨーロッパ人が言動一致、誠実な民族だったら、自分が小説や哲学、芸術で示したこと・・・人間の尊重・・・を軍事でも示したと思いますが、ヨーロッパ人ははっきりした二重人格、統合失調症ですから、それは期待できなかったのです.


■武田邦彦 (中部大学): 環境学原論 5 環境学専攻の専門家とその人の私生活


その専門家が「地球温暖化、生物多様性喪失、資源枯渇」がもし環境破壊につながると考えているとすると、それは「より高い収入とより快適な生活」という人生の目的とは相容れないからである.
従って、東京都市圏に住む環境の専門家は、正常な精神状態にいることはできず、統合失調症(価値観の異なることを同時になしえる精神病)になると考えられる.
環境問題に共通する統合失調現象は現実に不可能な学問的結論を得ていることに原因がある。この事実は今後の環境学にとってきわめて深刻な課題になると考えられる。


武田邦彦氏が統合失調症という専門用語を理解していないのは明らかである。統合失調症は「価値観の異なることを同時になしえる精神病」ではない。確かに、統合失調症、つまりかつての精神分裂病(schizophrenie)の基本症状の一つに、両価性(ambivalence) はあるが、それだけで統合失調症とは言えない。程度は異なるものの、どのような人も両価性を持つ。たとえば、武田氏は、ダイオキシンの害については「発癌リスク1.4倍が「毒性がない」と表現しても間違いではない」とする一方で、低用量放射線被ばくの害については「非常に大きな値」であるとしている*1。「自然が良いと言いながら都市に住む」ぐらいで統合失調症に見えるのであれば、武田氏にはすべての人が統合失調症に見えるのだろうか。そうではなく、単に武田氏は、一知半解で専門用語を恣意的に使用しているだけだと思われる。たとえば、「核爆発」という専門用語をどれだけ恣意的に使用しているか。

「原子力が最も安全であることは歴史的に証明されている」

■原子力委員会 研究開発専門部会(第6回) 議事録(PDFファイル)


それから、今までのエネルギー開発もしくはエネルギー生産の歴史から言えば、
子力が最も安全であることは歴史的に証明されている
わけですが、それが理解されて
いないというか、事実として知られていないことが、結果として大学から原子力とい
う名前が無くなったり、原子力予算が一方的に下がっている基本的な問題ではないか
と思うので、やっぱり論点としてはそれが一番大きいのではないかと思います。論点
の中に入っていないのですけれども、そんなの当たり前だから、ここはもうみんなそ
れには合意しているので、原子力しかないということと、原子力が一番安全だという
ことは当たり前じゃないかと、そんなこと内閣府の原子力委員会で言っては困るよと
いうことで論点に入っていないのでしょうか。そうすると、何で予算が減ったんです
かと1回僕は質問したのですけれども、僕はそこに課題があるのではないかと思うん
です。その課題が非常に大きければ、やっぱりそれはまた何か必要があるのではない
かと思うのですが、それは研究開発として手伝えないということかもしれないですけ
れども、政策的な問題であって、研究開発ではないという考え方もあるかもしれませ
んが。


2009年の発言である。当時の発言としては「トンデモ」とは判断できないので、トンデモタグはつけていない。発言の一貫性については、検証の余地があろう。このころには、原発は地震で潰れる、などと武田氏は言っていたはずだが、にも関わらず、「原子力が最も安全である」とはこれ如何に。なんらかの留保付きの「危険」「安全」発言であると擁護することは可能であると思う。ただ、そのような擁護を行う人は、同時に、「御用学者」とされている人の発言をも擁護しなければ、ダブルスタンダードである。

半減期を計算する謎の式を提唱(2011年7月25日追記)

■武田邦彦 (中部大学): 原発 緊急情報(58) これから:セシウムを防ぐ日常生活


セシウム本来の半減期は30年ですが、このように被ばくしない工夫をしたときの半減期は、次の式で計算します.

1/(半減期)=1/(30年)+1/(環境半減期)+1/(体内半減期)

ややこしいので、例を計算してみます.

ケース1 室内を拭かず、玄関も拭かず、生活も気にしないばあい
     (物理30年、環境15年、体内3年(継続取り込み))
     体の半減期    2.3年

ケース2 室内、玄関などを洗い、生活も注意する場合
     (物理30年、環境1年、体内30日)
     体の半減期    28日

素晴らしい!! なにもしなければ2年あまり体の中にいて放射線を出し続けるセシウムを1ヶ月で綺麗にすることができると言うことになります.

現実は、計算通りに行かないかも知れません。まだセシウムが少しですが降ってきます.でも、身の回りを綺麗にしておいて、食材に注意すると、かなり下がっていることも確かです.


「1/(半減期)=1/(30年)+1/(環境半減期)+1/(体内半減期)」という式は意味不明である。「1/実効半減期=1/物理学的半減期+1/生物学的半減期」という式ならばある。たとえば、ある放射性物質の物理学的半減期が長くても、生理的に体内から排出されるのであれば、実際の体に含まれる放射性物質の半減期(実効半減期)は短くなる。

しかしながら、「1/(半減期)=1/(30年)+1/(環境半減期)+1/(体内半減期)」とするのは誤りである。そもそも、式の左の(半減期)が何を意味するのか不明だ。ケース1、ケース2の計算をみると、おそらくは実効半減期のことであろうが、だとすると、環境半減期を計算式に入れるのは間違いである。たとえば、きわめて特殊な除染作業でセシウムの環境半減期を1日にできたとする。その場合、武田の式では実効半減期も1日以下になる計算となる。そんなわけはない。武田氏は、式の意味を理解していないか、あるいは、計算式の意味を理解できない人を対象読者としているか、どちらかである。私は前者だと考える。

注釈なしにブログの文章を改変(2011年9月20日追加)

■武田邦彦 (中部大学): 日本人が大人になるチャンス・・・タバコの危険性において、いつものように、なんら注釈なく文章が改変されていた。





喫煙者で肺がんになる人の割合は600分の1であり、「喫煙で肺がんが増加する」ことがあり得ても、「喫煙すると肺がんになる可能性が高くなる」という表現は正確ではない。→喫煙者で肺がんになる人の割合は8%以下であり、「喫煙で肺がんが増加する」ことがあり得ても、「喫煙すると肺がんになる可能性が高くなる」という表現は正確かどうか不明である。


当初、「喫煙者で肺がんになる人の割合は600分の1であり」としていたのは、「約3000万人が喫煙している。それに対して肺がんは年間5万人」という数字から計算している。つまり、年間での数字。一方、「喫煙者で肺がんになる人の割合は8%以下」というのは年間ではなく生涯での数字になる。数字の単位にさえ気をつけていれば、どちらの数字を使用するのも自由である。しかし、武田氏は年間と生涯の区別について、よく理解できていない(参考:■1年1ミリを被曝すると、ガンにかかって死ぬ可能性が2倍に増える?)。

ここでは「喫煙すると肺がんになる可能性が高くなる」という表現が妥当かどうかを検討しよう。当初、武田氏は「表現は正確ではない」とし、後に、「表現は正確かどうか不明である」に後退した。いずれにしろ、「喫煙すると肺がんになる可能性が高くなる」という表現がなぜ正確とは言えないのか、理由は説明されていない。仮に、「喫煙者で肺がんになる人の割合は年間600分の1」であるのに対し、非喫煙者の群で年間6000分の1であったのなら、「喫煙すると肺がんになる可能性が高くなる」という表現は妥当であると私は考える。この表現が妥当でないなら、「100mSvの被曝を受けるとがんや白血病になる可能性が高くなる」という表現も正確でないことになる。

「肺がんになる可能性が高くなるか否か」については、相対リスクで評価すべきであるが、武田氏が持ち出したデータは喫煙率、平均寿命、年齢と罹患率のグラフのみである。相対リスクの話は出てこない。「お父さんとして書いている」と言い逃れはできない。このエントリーでは「科学者としての私は次のように判断します」と書いてあるからだ。科学者が、「肺がんになる可能性が高くなるか否か」の話をするのであれば、信頼できるコホート研究か症例対照研究を持ち出して、相対リスクの話をすべきである。しかし、武田邦彦氏は相対リスクの話をしなかった。疫学について無知だからだ。

武田邦彦氏に好意的な人は、「武田氏は、『恣意的にデータを使えばどんなことでも言える』ことを示すために、あえて間違った推論をしてみせた」と擁護しているようだ。しかし、その解釈は誤りである。過去の武田氏の喫煙に関するエントリーを読めばよくわかる。そもそも、「あえて間違った推論をしてみせた」のであれば、文章を改変する必要はないだろう。

武田氏は、(おそらく批判を受けてのち)「次回はまったく正反対になる予定」と付け加えた。次回の喫煙についてのエントリーが楽しみである。「社会的に影響を及ぼすほどの害があるのか」という話をしようとするなら、当然、集団寄与危険の話をすべきであろう。しかし、能動喫煙と放射線被曝について、これまでの武田氏の論調と矛盾しないように、集団寄与危険の話をするのは不可能である。

受動喫煙の害は容認(2011年12月13日追加)

放射線被曝と喫煙の害を比較すると、「被曝のリスクを過小評価しているエア御用」呼ばわりされることが多い。確かに能動喫煙については(ニコチン依存の問題があるものの)自発的に選択したリスクであるから、被曝と比較するのは不適切であろう。しかし、サードハンドスモークまで含めた受動喫煙との比較は適切であると私は考える。どちらもリスクは比較的小さく、場合によっては不確定ではあるが、非自発的にリスクにさらされ、社会的、経済的理由によってリスクから逃れることが困難な人たちがいる。

被曝の害を声高に主張する人たちの多くが、受動喫煙の害についてはきわめて過小評価しているのは奇妙に思える。武田邦彦氏について、具体的に数字を挙げて受動喫煙に容認的な発言を「発掘」したので、被曝の害についての評価も併せて記録に留めておく。


■武田邦彦 (中部大学): タバコを考える パート2 他人に被害を与える限度


しばらくして,「タバコは本人ばかりではなく,一緒に生活をしている人が肺がんになる」との報告があり,早速,調べて見た.

職業上,テレビで言ったからその通りに他人に言うということもできず,最初,まだヨーロッパで研究しているときに論文を読んだら,「タバコを吸う人に対して,タバコを吸う人と生活を共にする人の発癌の確率は40分の1」ということだった.

それなら禁煙を勧めるには少し弱いと思った.この世には「他人に迷惑をかける」という行為は多い.



■武田邦彦 (中部大学): 生活と原子力02   1ミリ、100ミリ、「直ちに」の差は?


また、わたくしは、「100人に1人」という数はかなり高いように思います。親の気持ちなれば、1000人に1人でも危ないと思い、1万人に1人ぐらいになれば、何とか防いであげることができると思うのではないでしょうか。


いったいなぜ、受動喫煙であれば40分の1のリスクは「禁煙を勧めるには少し弱い」思うのに、被曝のリスクは「1000人に1人でも危ない」と思うのであろうか?