河北新報が報じた当事者の声
福島県の甲状腺がん検査をめぐり、当事者の立場から「不利益をもっと伝えるべきだ」と訴える記事を掲載した。有料記事ではあるが、会員登録をすれば1日1本は無料で読むことができる。読む価値のある良質な記事だと私は考える。
■福島県の甲状腺がん検査「不利益もっと伝えて」 摘出手術受けた福島の20代女性が「過剰診断」を訴え | 河北新報オンライン
記事によると、当事者である20代女性は、事故当時は福島県内陸部に在住で、事故から数年後に中学校で1巡目の検査を受けたが、異常は認められなかった。その後、さらに数年を経て受けた2巡目の検査で「5ミリより大きな結節」が見つかり、二次検査として細胞診を受けた結果は良性だったものの、以後は毎年の経過観察となった。県外で社会人生活を送っていたとき、甲状腺乳頭がんとの診断で、甲状腺および副甲状腺を摘出した。術後は強い倦怠感や手・顔のしびれに悩まされ、首には15センチの手術の傷が残った。
検査前の説明は不十分である
重要な論点の一つが、検査前の説明である。記事によると、福島県は「検査を受けるかどうかは任意で、利益と不利益を記載した冊子を対象者に送り、周知していると強調する」ものの、女性は「私の受けた不利益を考えると、数行の説明文では足りない。具体的な当事者の声をもっと伝えてほしい」と指摘した。福島県による「利益と不利益を記載した冊子」は、ウェブでも閲覧可能である*1。冊子の記載内容はきわめて不十分であると私も考える。
福島県における甲状腺検査は、事実上の甲状腺がん検診である。がん検診の利益(メリット)は、一般的にがん死亡率の減少で評価される。しかし、甲状腺がんの死亡率はもともと低く、一般成人を対象にした複数の観察研究では甲状腺がん検診によるがん死亡率の減少は観察されなかった。小児・若年者は一般成人よりもさらに甲状腺がん死亡率は低く、甲状腺がん検診から得られる利益はないか、あってもきわめて小さいと考えられる。
県の冊子:メリットの検討
県の冊子において第一に挙げられている検査のメリットは、がん死亡率といった「臨床的アウトカムの改善」ではなく、陰性だった際の「安心感」である。もちろん、放射線の健康影響が強い不安となっている人に対してまで検査を控えるべきだとは言わない。しかし、そのような個別の事情に基づく選択と、「クラスの全員が受診する」ような一律の実施とは、性質が大きく異なる。また、安心感をメリットとみなすことは、もろ刃の剣でもある。ひとたび何らかの異常が見つかれば、たとえ最終的にがんと診断されなかったとしても、不安という明確なデメリットが生じる。推奨されているがん検診においても偽陽性による不安といった不利益は避けられないが、それでもなお実施が支持されているのは、がん死亡率の低下という大きな利益が期待できるからである。さらに言えば、甲状腺がん検査がもたらす「安心感」は一時的なものである。次の検査では異常が発見されるかもしれない。実際、記事で紹介されている女性の例では2巡目に結節が指摘されている。
第二に挙げられているメリットは「手術合併症リスクや治療に伴う副作用リスク、再発のリスクを低減する可能性」である。しかし、甲状腺がん検診がこうしたリスクを下げるというエビデンスはない。冊子ではチョルノービリ(チェルノブイリ)事故後ベラルーシの甲状腺がん症例と比較しているが不適切である。というのも、提示されているデータは「甲状腺がんと診断された患者」を分母としており、検診の有効性を評価する上で重要な「集団全体」を分母とした比較になっていないからである*2。本来は手術を要しない症例にも手術を行うことで患者数(分母)が増え、手術合併症の割合は見かけ上、下がる。甲状腺がんは、積極的経過観察される腫瘍径の小さながんでも相当な割合でリンパ節転移があるため、早期発見で転移や再発のリスクが減ることは必ずしも期待できない。実際、福島県の事例でも再発は複数報告されている。こうした事実はしばしば「過剰診断ではない証拠」と誤って解釈されがちだが、むしろ検診によって再発が必ずしも防げるわけではないことを示している。
第三に挙げられているメリットは「放射線影響の有無に関する情報」を伝えられることだが、それは患者本人の利益ではない。本人の意思決定を支援する冊子に記載するのは不適切である。
県の冊子:デメリットの検討
県の冊子において挙げられている第一のデメリットは、「将来的に症状やがんによる死亡を引き起こさないがんを診断し、治療してしまう可能性」、つまりは過剰診断と過剰治療の可能性である。補足説明として「治療の必要性が低い病変ができるだけ診断されないよう対策」が講じられているとするが、そうした対策を行っても過剰診断が生じる点についても記載が必要だ。また、過剰診断がどのような帰結をもたらすのかについても言及が足りない。たまに「過剰診断が問題ではなく過剰治療が問題」といった誤解が散見されるが、いったん診断がつけば、たとえ過剰診断の可能性があっても、現実にはガイドラインに沿った治療が選択されやすい。よって「過剰診断はお金と気持ちの問題」という主張も誤解である。過剰診断は費用や心理的負担以外に、手術や薬物療法など治療に伴う身体的負担も伴いうる。
第二のデメリットに「がんまたはがん疑いの病変が早期診断された場合、治療や経過観察の長期化による心理的負担の増大、社会的・経済的不利益が生じる可能性」とあるが、やはり不十分である。なぜ身体的負担が入っていないのか。過剰診断はもちろんのこと、将来症状を呈して診断されるがんの前倒し診断だったとしても、心理的負担・社会的・経済的不利益に加えて、身体的負担も生じる。
第三のデメリットは偽陽性である。過剰診断や前倒し診断、偽陽性の害は、推奨されているがん検診でも生じる。繰り返すが、そうした害が容認されているのは、がん死亡率の減少といった利益のためである。一方で、甲状腺がん検査はどうか。メリットとされているのは、異常が発見されたときに不安を上回るのかどうかわからない「安心感」、エビデンスに欠けた「手術合併症リスク、副作用リスク、再発のリスクを低減する可能性」、本人の利益ではない「放射線影響の有無に関する情報」である。
患者が十分な説明を受ける権利の確保を望む
福島県甲状腺検査において、甲状腺がん検診の害について知っていたのは受検者のわずか16.5%にとどまるという報告もある*3。記事で紹介された女性が「数行の説明文では足りない」と訴えるのは、当然のことであろう。これは検査の前に十分な説明を受ける患者の権利の侵害である。放射線被ばくによる甲状腺がんの多発があろうとなかろうと、この問題の本質は変わらない。今後は、受検者が十分な情報に基づいて意思決定できる環境が整備されることを望む。



