NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

「低気圧の体調不良には五苓散が効く」のか?

要約:「低気圧の体調不良」という病態は存在する。「低気圧の体調不良には五苓散が効くという研究」はあるが質は高くない。とは言え、実地臨床では五苓散のような漢方薬は有用である。


ちょちょんまゲさんから、「低気圧の体調不良には五苓散が効くという研究」について評価してほしいというご要望があった。



もともとは、■水素水や血液クレンジングなど『疑似科学』を科学的に評価している明治大学のウェブサイト Gijika がなかなか良い仕事していると話題にというTogetterまとめについた『個人的には「低気圧で体調不良」が市民権を得ているのが気になっている。(台風接近より、「新幹線で東京から軽井沢」の方が急激に倍くらい気圧は下がる)』というid:IthacaChasmaさんのブックマークコメント、および、id:kalcanさんの『低気圧の体調不良には五苓散が効くという研究があり実際に処方されるのに、それを疑うコメントに星が集まるところが科学的とは何かを考えさせられる』というさんのブックマークコメントがきっかけだと思われる。

最初の私の感想は「低気圧の体調不良には五苓散が効くという研究」は、おそらくあるのだろう。症例報告なのかケースシリーズなのかコホート研究なのか症例対照研究なのかランダム化比較試験なのかは知らないが。漢方薬はかなり質の高い研究が行われていることがあるので油断ならない。「低気圧の体調不良」という病態の存在については、症例の定義からして難しいので、そんなに質の良い研究があるのは考えにくい。ただ、気圧と体調不良の関係は一般社会では存在は信じられており、実地臨床でもそのように訴える患者さんはまれではない。別に既存の科学知識と矛盾する病態であるわけでもないし、気圧と体調不良の関係を積極的に疑う医師はほとんどいないと思われる。

よく知らない医学知識はまずググる

「思われる」でお返事してもよかったが、興味もあったので調べてみた。ついでに、よくわからない医学知識について調べるときの私のよくやるやり方を順に述べてみる。それぞれのやり方があってこれが正解というものではないが、参考になれば幸いだ。

漢方薬についての医学論文を検索するのは難しい。ことに英文では。そこで、まずGoogle先生に聞いてみた。ご存知のようにウェブ上の医学情報は玉石混交であるが、基礎的な知識や、次のステップで論文を検索するための用語を得るには有用だ(もちろんあとで信頼できる文献で裏を取る。これが大事)。それに最近はアルゴリズムが改善されてGoogle検索の質も良くなっている。

検索ワードはそのまま「低気圧の体調不良には五苓散が効くという研究」。ざっと、開業医、和文医学雑誌、製薬会社のサイトなどがみつかった。一般論として開業医のサイトは質の振れ幅が大きく、とんでもないデタラメが載っているものもあれば、ものすごくレベルが高いサイトもある。和文医学雑誌は必ずしも学術的にレベルが高いわけではないけど一定の質は確保されており、実地臨床で使われている状況を知ったり文献を探す参考になる。製薬会社のサイトはあからさまなトンデモはまれだけど強い利益相反があり注意を要する。

私が検索した時点でのGoogle検索1位は、


■”雨が近づくと起こる頭痛”に五苓散 | フォレスト呼吸器内科クリニック町田 | 町田駅


標準的な漢方医学に基づくと思われる。漢方医学は国際的には代替医療に分類され標準的と呼ぶのはおかしいのではあるが、日本ローカルでは一大ジャンルであり、体系だった学問とみなされており、保険診療で漢方薬を処方することも可能だ。このサイトでは『五苓散は「雨の前日に悪化する頭痛」の90%に有効』という文献が紹介されている。

1)灰本元他:慢性頭痛の臨床疫学研究と移動性低気圧に関する考察(五苓散有効例と無効例の症例対照研究)Φυτο1(3):4-9,1998.

1998年とちょっと古く、日本語タイトルの論文であるので、それほど質の高いエビデンスとは考えにくい*1。それから雑誌名がよくわからない。ロシア語なの?「90%に有効」といっても、自然治癒やプラセボ効果を含んでの数字ではないかと直感的には思われる。入手可能なら後で読んでみることにして次に行く。

Google検索2位は、


■雨の前の頭痛(気圧低下に伴う頭痛)× 五苓散[漢方スッキリ方程式(1)]|Web医事新報|日本医事新報社


医師向けの簡単な症例報告および解説記事であって学術的なものではない。器質的異常なく緊張型頭痛とされていた40歳女性の慢性頭痛が五苓散で改善した、というものだ。ここでも灰本らの研究が引用されている。ミクロレベルの水が脈管から漏れて脳浮腫を起こし頭痛が生じるという仮説が提示されているが、臨床レベルではメカニズムの重要性は相対的には低い。それよりも「雨の前に悪化する頭痛に対して五苓散を投与すると有効率が高い」という記述がどれぐらい確からしいのか重要である。ここでも90.5%に有効とある。ホントかなあ。

Google検索3位は、


■ロート キアガード | ロート製薬: 商品情報サイト


五苓散のOTC薬(処方箋なしで買える薬)の紹介・宣伝であった。専門家へのインタビューはあるが文献の紹介はない。「天気頭痛」「気圧頭痛」「低気圧頭痛」という病名が挙げられている。あとで医中誌先生に聞いてみよう。

医学論文を検索する

漢方薬の研究なので、日本語の医学論文データベースである「医中誌」(医学中央雑誌刊行会によるサービス)でまず調べたかったのであるが、有料サービスで自宅からは使えない。先に「PubMed」(アメリカ国立医学図書館の提供する医学論文データベース)で調べてみようとした。が、英語で低血圧頭痛ってなんていうんだろう?low pressure headahce?それだと気圧じゃなくて血圧が低下したときに起こる頭痛のように見えるなあ。ふと思いついてrain headacheでGoogle先生に聞いてみたところ、■Barometric Pressure Headaches: What You Should Knowというサイトが引っかかった。はい、"Barometric Pressure Headaches"という用語、いただきました。Barometric Pressure Headachesだと、「気圧」という意味だけで「低気圧」とは限らないし、また「頭痛」だけではなく「低気圧の体調不良」全般はどうなのか、という疑問が湧くが、とりあえず置いといて、Barometric Pressure HeadachesをPubmed先生に聞いてみると29件。引っかかってくる論文が多ければ、系統的レビューやメタ解析に絞ったり、一定のインパクトファクター以上の雑誌に掲載された論文だけに絞ったりするが、今回は29件だけなので一通り眺めてみた。Best matchで1位が


■Headache and Barometric Pressure: a Narrative Review - PubMed


論文総数29件で、1位の論文がNarrative Reviewというのは、それほど詳しく調べられてはいない病態なのかなあと思われる。2位が、


■Randomized Controlled Trial Examining the Effects of Balloon Catheter Dilation on "Sinus Pressure" / Barometric Headaches - PubMed


なんとランダム化比較試験。sinus pressure headache(副鼻腔炎はないが副鼻腔の圧の変化で副鼻腔炎のような症状を呈する頭痛のことらしい)に対し、副鼻腔の入り口をバルーンで拡張する介入群と、単に鼻腔内で拡張する対照群に分けて、6か月間観察したが頭痛の程度には差がなかった。入口を広げて空気を通りやすくすれば頭痛が治るのでは、という仮説に基づいてのことだろう。興味深いけど「低気圧の体調不良」とはちょっと違うような気がする。3位が


■Triggers, Protectors, and Predictors in Episodic Migraine - PubMed


片頭痛の悪化のトリガーがいくつかあってそのうちの一つが気圧という話。"most likely low barometric pressures are migraine triggers(低気圧が片頭痛のトリガーになっている可能性が高い)"との記載あり。4位の


■Influence of barometric pressure in patients with migraine headache - PubMed


にも"Barometric pressure change can be one of the exacerbating factors of migraine headaches.(気圧の変化は片頭痛の悪化要因の一つになりうる。)"とある。そのほか、目についた研究はこれ。


■Weather and headache onset: a large-scale study of headache medicine purchases - PubMed


日本からの論文。頭痛薬の購入数と気象の関係を調べた。市販薬のうちのロキソプロフェン(代表的な商品名ロキソニン)の売り上げの割合は、平均気圧の低下、降水量の増加、湿度の上昇があると増加することが示された。ユニークで興味深い研究だと思う。なお、29件の論文の中には気象によるものだけではなく、飛行機や高山での頭痛の論文も結構混じっていた。治療に関する論文は副鼻腔の入り口をバルーンで拡張したランダム化比較試験以外には見当たらない。漢方薬の研究もPubmedでは引っかからない。

私の個人的な意見では「気象と体調不良の関係があってもまったく不思議ではなく、よって低気圧から頭痛が起こることはありうる。ただ、実際には必ずしも低気圧だけが影響しているのではなく、低気圧および湿度や温度変化やそのほかもろもろの気象条件が影響しているのだろう」ぐらい。

勤務先の病院では医中誌が使える。なんと「天気頭痛」「気圧頭痛」「低気圧頭痛」では検索に引っかからない。「気象病」では58件。うち、無料で全文読めるのは10件。そのうちの最新の1件のURLを紹介する。「低気圧で体調不良」という病態があるかどうかは、これを読んでもらえればよろしかろうと思う。


■気象変化と痛み


否定的な報告もあるものの、疫学レベルに加え、実験室におけるヒトへの暴露実験、動物実験と広く証拠があり、「低気圧で体調不良」という病態の存在は確かだと思われる。

治療についてはどうか。「気象病 五苓散」で医中誌検索すると2件引っかかるが、一つは症例報告、もう一つは「漢方薬の中の五苓散の投与が、気象病に伴う舌痛症の痛みに対してどの程度の痛み軽減の効果を現すかを科学的に検討した」とあるが詳細がわからない。

『五苓散は「雨の前日に悪化する頭痛」の90%に有効』という研究

本命の『五苓散は「雨の前日に悪化する頭痛」の90%に有効』という灰本元他の論文は医中誌では検索できない。CiNii(国立情報学研究所の学術情報データベース)やGoogle Scholarで該当論文にたどり着くのは容易だが全文どころか要約も見つけることはできなかった。あまりよいことではないが、仕方ないので孫引きする。「医療法人瑞心会渡辺病院」の「実践漢方講演会」のスライドより。


■初学者のための漢方入門セミナー~漢方診察を知らなくても使える漢方~

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頭痛に対する五苓散の有効要因

「データの裏付けのある方剤」として灰本らの研究が紹介されている。3か月以上の慢性頭痛患者を対象に、五苓散を42例に投与し、うち21例が有効だった。頭痛に対する五苓散の有効要因として「風邪をひきやすい」「手が冷たい」「動悸」「足が冷える」などの項目のうち、「症状が雨の前日に悪化(はい/いいえ)」という問いに対して、五苓散有効例21人中19人が「はい」、2人が「いいえ」、五苓散無効例21人中2人が「はい」、19人が「いいえ」。p値0.0025、オッズ比16.3*2。これをもって『五苓散は「雨の前に悪化する頭痛」の約9割に有効である。また,雨の前日に頭痛が「悪化しない人」に対して「悪化する人」では約16倍の有効率である』としている*3

本研究のタイトルには「五苓散有効例と無効例の症例対照研究」とある*4。一般的に症例対照研究のエビデンスレベルは、ランダム化比較試験より下、症例報告やケースシリーズより上とされている。ただ、一口に症例対照研究といっても質の高いものから低いものまである。本研究はあまり質が高いとは言えない*5

痛みという主観的な症状を評価するのであるからプラセボ効果が強く効いてくる。被験者あるいは調査者が「五苓散は雨の前に悪化する頭痛に有効であろう」という予断を持っていればそれだけで結果が偏る。また、「生活習慣 食事15項目、飲酒と喫煙9項目、症状86項目」をはじめとして合計140項目が調査項目になっており、それだけタイプ1エラーが起こりやすい。

そもそも、五苓散の頭痛に対する効果を評価したいのなら、対照群は五苓散を投与しない頭痛患者であるべきなのに本研究の対照群は五苓散投与無効例だ。極端な話をすれば、五苓散に頭痛を改善させる特異的効果がまったくなく、「症状が雨の前日に悪化しない頭痛患者」を悪化させるだけだとしても、同様の結果が出うる。薬の有効性を検証するにはあまり採用されない不思議な研究デザインだと思われる。

エビデンスレベルは高くないとは言え、実地臨床では漢方薬は有用

五苓散の特異的効果を検証するには、理想的には二重盲検下のランダム化比較試験で検証したいところである。ただ、漢方薬のプラセボをつくるのは難しいので、非盲検で、対照を通常の頭痛診療としてもよい。そのほうが実地臨床に近い。現実の患者さんが受診したときには、通常の診療を行うかそれとも漢方薬を処方するかを選択しなければならないが、よりよい選択を行うために臨床試験が行われるのだ。通常の診療よりも、「体のどこかに水が滞って症状が出ているようです。水分バランスを調整する漢方薬を試してみましょう」とか説明された上で漢方薬を処方されたほうが良くなるかもしれないよ。ぶっちゃけた話をすれば、仮に五苓散にプラセボ効果しかなくったって、患者さんが良くなればそれでいいのである。

実地臨床の場では、安全、安価に、効率よくプラセボ効果を発揮させる方法が有用である状況もある。そして、漢方薬はわりと安全で安価なのだ(保険診療で使えるやつはとくに)。日本で漢方医学を実践している医師の多くは、標準医療を否定することはなく、漢方医学の限界を承知した上で漢方薬を処方している。まれに漢方医学の効果を過大評価している医師もいるが漢方医学がダメってことにはならない。いわゆる「西洋医学」とされる特定の治療法や診断法についても、たとえば風邪に安易に抗菌薬を処方するような不適切な診療を行う医師もいるわけで。

もちろん、効果の高い標準治療があればまずそちらを採用すべきだ。また、漢方薬が使えなくても一般的な診療の範囲内で「安全、安価に、効率よくプラセボ効果を発揮させる方法」はある。しかし、「雨の前の頭痛」のように標準治療が存在せず、一般的な診療では効果が乏しいケースもある。限界があることを承知の上で、漢方薬という選択肢があるのは患者さんのためにもよいことだと思う。

*1:CiNiiによれば「フィト 1(3), 8-15, 1999」

*2:性・年齢調整後。未調整だと16.3にはならない

*3:■雨の前の頭痛(気圧低下に伴う頭痛)× 五苓散[漢方スッキリ方程式(1)]|Web医事新報|日本医事新報社

*4:全文を読んでいないので確証は持てないが厳密には症例対照研究とは言えないように思われる。症例を集めて症例対照研究風味で解析しただけなのでは

*5:ついでに言えばどんなに質が高くてもこの症例対照研究では『五苓散は「雨の前に悪化する頭痛」の約9割に有効である』とは言えない。症状が雨の前日に悪化する慢性頭痛21名中19名に有効で、有効率90%、あるいは90.5%としたのであろうが、コホート研究と違って症例対照研究では暴露群中のアウトカム有りの割合はわからない。厳密な症例対照研究ではなく症例を一定期間もれなく集めて症例対照研究風味で解析したのであれば、「少なくとも研究対象となった施設において、特異的効果なのかプラセボ効果なのかはわからないが、『五苓散は「雨の前に悪化する頭痛」の約9割に有効であった』とはいえる。

書評『「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論』

「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論 (単行本)



献本御礼。タイトルの通り、色覚についての自然科学、および、「色覚異常」*1と社会との関わりについて書かれた本だ。サイエンスの部分(第2部)も興味深いが*2、その部分の書評は他の方に任せて、社会との関わり、とくに医師が関わる部分について述べる。

かつて学校で先天性色覚異常の検査が行われていた。私も小学生のころ学校で色覚検査を受けたことがある。2003年に学校での色覚検査は学校健診の必須項目から削除されたそうだが、検査に使う石原式色覚異常検査表を見たことがある人は多いだろう。その後、私は医学部に入学したが、当時、色覚異常でも受験資格があったどうかは記憶にない。当事者でなければ気にせずにいられたわけだ。医学部では眼科学は学ぶが色覚異常はさほど深くは学ばない。むしろ遺伝学に関連して、ヒトの伴性遺伝の例として学んだことをよく覚えている。医師になってからも色覚異常が主訴の患者さんを診る機会はなかった。


色覚検査を以前のように行うべきだ、という意見が眼科医から出てきたことも本書を読むまでは知らなかった。学校健診で色覚検査が行われなくなったことで、色覚異常についての知識がない教員が色間違いをした児童に「ふざけていてはダメ」と不適切な注意をしたり、あるいは、生徒が就職活動のときにはじめて自分の色覚異常を知ったりした事例があるという。個別の事例をとりあげれば広く色覚検査を行うことで防げる不幸もあっただろう。どの児童に色覚異常があるかを教員が知っていれば適切な指導ができたかもしれない。また、前もって自分の色覚異常を知っておけばもっと早く別の進路を選べたかもしれない。

とはいえ、一律に広く検査をすればいいというものでもない。本書では、EBM(根拠に基づいた医療)の考え方に則って日本の先天色覚異常をめぐる臨床に疑問を投げかける。つまり、「先天色覚異常のスクリーニングは、それを正当化できるエビデンスに乏しい」(P241)。

日本では、というか海外でも、スクリーニング(=無症状者に広く検査を行い病気や異常を拾い上げること)の害は過小評価されている。専門家向けの教科書の序文のまず最初に「すべてのスクリーニングには害がある」と書かれているのは*3、スクリーニングの害が軽視されている現状に注意を促すためだ。もちろん、害だけではなく利益ももたらすスクリーニングもあり、利益が害を上回るスクリーニングプログラムが推奨される(べきだ)。しかしながら、利益が不明確なまま行われているスクリーニングもけっこうある。

検査そのものの害とスクリーニングの害は異なるのだが、検査そのもの害が小さいとスクリーニングの害も小さいと誤って考えられがちだ。先天色覚異常の検査そのものは検査表を見て数字を答えるもので害はほぼない*4。しかしスクリーニングの害は「偽陽性」「過剰診断」などがある。

偽陽性は、一次検査で異常の疑いがあったが精密検査で異常ではないと判断されることだ。先天色覚異常のスクリーニングにおける偽陽性は、がん検診の偽陽性と比べれば害の程度としては小さいものの、頻度は多い。川端は、学校健診で「色覚異常疑い」とされた児童において偽陽性の割合が男子で41~72%、女子で90~97%という報告を紹介している(P270-)。そもそも学校健診で使用されている検査表の正確な感度・特異度が調べられておらず、また精密検査においてもゴールドスタンダードであるはずのアノマロスコープがあまり使われていないという問題もある。

過剰診断は「治療しなくても症状を起こしたり、死亡の原因になったりしない病気を診断すること」と定義される。色覚異常の場合は、精密検査を行って異常と診断されたものの、もし検査を受けなければ一生涯色覚異常に気付かず、不利益を被ることもなかったケースを指すことになるだろう。色覚異常は連続的なものであるので、見落としがないように軽度のものまで診断するとそれだけ過剰診断が増える(そして、得てしてスクリーニングの害に無自覚な医療者は「スクリーニングには取りこぼしがあってはいけない」と考える)。異常というラベルを貼られること自体が本人の心理的負担になる*5。とくに色覚異常は治療法がないのでなおさらだ。加えて遺伝疾患であるので本人だけではなく血縁者、とく母親にも害が及ぶことがある。

著者の川端は従来型の先天色覚異常のスクリーニングの代案として「助言が必要な人を選び出し、必要な時に伝える」「環境を変える」を挙げる。前者は、たとえば、一律に色覚異常を拾い上げることを目的とせず、板書に使われるカラーチョークや教科書のカラー図版を識別しにくい児童を見つける簡易版の検査表の例が紹介されている。学校での生活で困る層を見つけて適切な助言を行うことを目的としている。後者の「環境を変える」は、赤の色相を朱色方面にずらした見えやすいチョークや、区別のつきにくい色の組み合わせを排除した教科書にあたる。いわゆる「色のバリアフリー」と呼ばれるものだ。色覚異常の児童を検査で見つけて対処するのではなく、はじめから色覚異常の児童がいても大丈夫なように環境を変えるのだ。

代案を講じた上でそれでもスクリーニングが必要だとする立場もあるだろうが、その場合、利益が害を上回ることを示す責任があるのはスクリーニングを推進する側である。人生の早い段階で自身の色覚異常を知ることで得られる利益もあるかもしれない。ただ、その利益はスクリーニングの害を上回るものなのか。あるいは、その利益はスクリーニングでなければ得られないのか。そうした評価がなされない以上は、「正当化できるエビデンスに乏しい」と言わざるを得ない。

スクリーニングの妥当性以外にも、色覚と社会の関係に関連することは多くある。遺伝子差別と優生学、障害の医学モデルと社会モデル、正常と異常の境界領域に対する医療化の問題などなど。本書はさまざまな問題を考えるヒントになるだろう。また、是非とも眼科医の先生方に読んでいただきたい。最後に、書評は固くなってしまったが、色覚のサイエンスが解説された本として楽しく読めることも付け加えておく。



2020年11月21日追記。「(負の)ラベリング効果」の定義についてはTAKESANさんの■医療における《ラベリング効果》 - Interdisciplinaryを参照してください。本エントリーの注にある「社会にある偏見からくる弊害を負のラベリング効果と呼んでいいのではないか」という意見は撤回します。


*1:本書では、色覚の多様性と連続性の観点から「色覚異常」という用語についての疑問も述べられる(P305)。本エントリーでは以降も色覚異常という用語を使うが、「」付きの用語であることは留意していただきたい。

*2:興味がある方は、本書の著者である川端裕人氏による■第1回 色覚はなぜ、どのように進化してきたのか | ナショナルジオグラフィック日本版サイトのシリーズを読んでもいいだろう

*3:Angela E Raffle and J.A.Muir Gray, Screening: Evidence and Practice.より。訳書『スクリーニング―健診、その発端から展望まで』もあるが一部日本語訳が微妙なところがある。"All screening programmes do harm."という文章は警句となって多くの論文等に引用されているので検索していただきたい

*4:適切に行われればの話だが。プライバシーに配慮せず他の児童がいるところで行うといった不適切な検査はそれだけで害がある

*5:「負のラベリング効果」と呼ばれることがある。明確に定まった定義を発見することができなかったが、がん検診の偽陽性の害の例として挙げられることが多い。偽陽性や過剰診断に限らず、将来症状をもたらす疾患であっても負のラベリング効果は生じうると個人的には考える。また、本人の心理的負担にとどまらず社会にある偏見からくる弊害、たとえば、実際には業務のさまたげにはならないタイプの色覚異常であっても、ただ色覚異常があるというだけで就職を断られるようなことも負のラベリング効果と呼んでいいのではないか。

米CDCのインフルエンザ流行状況のグラフが興味深い

米CDC(アメリカ疾病予防管理センター)は季節性インフルエンザの流行状況のレポートを毎週更新している。定期的にウォッチしているがなかなか興味深い。


■Weekly U.S. Influenza Surveillance Report | CDC


インフルエンザの流行状況を正確に把握できる単一の指標はなく、さまざまな指標が公開されているが、今回はその一つである「全死亡者数に占めるインフルエンザおよび肺炎による死亡者数の割合」に注目しよう。たとえばある週の全死亡者数が6万人、インフルエンザによる死亡が1500人、肺炎による死亡が4500人だと、全死亡者数に占めるインフルエンザおよび肺炎による死亡者数の割合は、(1500+4500)/60000 = 10%になる。

死亡率(一定期間の間の人口当たりの死亡数)を計算するには総人口の情報が必要だが、死亡者数の割合だと死亡統計だけから算出できる。肺炎による死亡を含めるのは、インフルエンザによって死亡しても必ずしも死亡統計として数えられるとは限らないから。もちろんインフルエンザに関係ない肺炎死も合算されるので大雑把な指標ではあるが、インフルエンザの流行の現状をすばやく把握する役には立つ。

アメリカ合衆国では全死亡者数に占めるインフルエンザおよび肺炎による死亡者数の割合は、例年は6~8%を推移しインフルエンザが流行する冬季に高くなる。2017年から2018年にかけてのシーズンはインフルエンザが大流行し、10%を超える週もあった。おそらく大多数の方はお忘れになっているだろうが、2020年1月から2月にかけて、「アメリカ合衆国ではインフルエンザが猛威を振るい始めた」というニュースが流れていた*1。2020年1月の全死亡者数に占めるインフルエンザおよび肺炎による死亡者数の割合が例年の閾値を超えていたことがグラフからわかる。

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全死亡者数に占めるインフルエンザおよび肺炎による死亡者数の割合(2020年2月)


2020年2月上旬と言えば、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客に新型コロナの感染が確認されたころで、アメリカ合衆国はほぼ対岸の火事状態。新型コロナよりも季節性インフルエンザを警戒するのも無理はなかった。「インフルエンザとされた患者の中にはかなりの数の新型コロナウイルス感染者が含まれている。すでにアメリカ合衆国では新型コロナは蔓延しているんだよ!!」という言説もみられたが、現時点で振り返ってみればもちろん、その当時であってもその可能性はほぼなかった。例年でも2020年1月から2月の程度の閾値超えは普通にみられたし、検査によるインフルエンザ診断数も増えていたからだ。

新型コロナに限らず肺炎死を引き起こす病気が流行すれば、肺炎死の増加と検査によるインフルエンザ診断数にギャップが生じることでわかる。複数の指標を用いる利点の一つであろう。実際、アメリカ合衆国で新型コロナが本格的に流行すると、全死亡者数に占めるインフルエンザおよび肺炎による死亡者数の割合は激増した。第一波のピーク(4月中旬)には16%に届こうかという勢いだった。検査によるインフルエンザの診断数はほぼゼロであり、増加分のほとんどすべてが新型コロナによると考えられる。2020年第30週(7月末)のグラフを引用しよう*2

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全死亡者数に占めるインフルエンザおよび肺炎による死亡者数の割合(2020年7月)


新型コロナが原因で亡くなっても死亡診断書に肺炎の病名がついていないと数え落としが生じるため、「インフルエンザおよび肺炎による死亡者数」で評価すると、新型コロナの影響を過小評価してしまうようだ。つい最近’(少なくとも10月1日以降)、割合に新型コロナによる死亡も含まれるようになり、インフルエンザおよび新型コロナによる死亡者実数の情報が追加された。これまでグラフでは左のY軸は"% of All Deaths Due to P&I"「全死亡者数に占めるインフルエンザおよび肺炎による死亡者数の割合」であったのが"% of All Deaths Due to PIC"「全死亡者数に占めるインフルエンザ、肺炎および新型コロナによる死亡者数の割合」に変更された。Pが肺炎、Iがインフルエンザ、Cは新型コロナである。

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全死亡者数に占めるインフルエンザ、肺炎および新型コロナによる死亡者数の割合(2020年10月)


新型コロナによる死亡を合算すると新型コロナ流行の第一波のピークである2020年4月中旬では28%近くであった。7%程度は例年通り(ベースライン)で新型コロナ以外の原因による肺炎死で説明できるが、残りはほぼ新型コロナによる死亡と考えられる。実数も図示されて季節性インフルエンザよりもずっと死亡者が多いことがわかる。

新型コロナについて十分な情報がなかったころならともかく、いまだに「新型コロナウイルスの毒性はインフルエンザウイルスと大差ない」とか、ひどい場合は「インフルエンザより毒性が弱い」という主張がなされることがあるが、そのように主張するなら6万人が亡くなった2017年から2018年にかけてのインフルエンザ大流行よりも明らかに肺炎死が多い事実について何らかの説明が必要だろう。



参考:
グラフは■Weekly U.S. Influenza Surveillance Report | CDCおよびその■アーカイブからの引用である。2020年第5週時点のグラフは■Weekly U.S. Influenza Surveillance Report | CDCから、2020年第30週時点のグラフは■Weekly U.S. Influenza Surveillance Report | CDCから。