NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

ジャガイモの水分と甲状腺がんの過剰診断

ジャガイモのパラドクス

「ジャガイモのパラドクス」は直感に反する数学の問題の一つです*1。Wikipediaから引用し、和訳しました。計算すれば答えは出ますが、まずは直感で考えてみてください。


フレッドは100kgのジャガイモを家に持ち帰りました。このジャガイモは、99%が水分で構成されています。彼はそれを一晩外に置いておき、水分が98%になるまで乾かしました。このとき、乾かしたジャガイモの重さはどれくらいになるでしょうか?

実際のジャガイモの水分含有率は80%ぐらいだそうです。99%が水分とはずいぶんとみずみずしいジャガイモですが、「純粋に数学的なジャガイモ」だとみなしてください。あるいは、もっと水分含有量の多い別の食べ物に置き換えていただいてもかまいません。考え方の本質には影響しません。

答えは下のほうに。











計算自体は簡単です。100kgのジャガイモのうち、水分は99%ですので、固形部分は1%、つまり1kgです。乾かしたジャガイモの水分は98%、固形部分は2%になります。乾かしたジャガイモの重さをX kgとすると、X kg× 0.02 = 1 kgとなり、X = 1 ÷ 0.02 = 50 、50 kgとなります。

みなさん、計算結果は直感と反しましたか?水分はたった1%しか減っていないのに、全体の重さが50%も減るというのが直感に反するのだそうです。正直に言いますと、私は直感と反するとは感じられませんでした。似た問題をすでに知っていたからでしょう。


甲状腺がんの過剰診断のパラドクス

その問題とは、甲状腺がんにおける過剰診断の割合についてです。甲状腺がんは進行が遅く、治療をしなくても一生涯症状が出ない「過剰診断」が多いことが知られています。超音波検査等で発見された甲状腺腫瘤を片っ端から精密検査すると、多くの過剰診断が生じます。そこで、腫瘤径が小さく悪性を疑う所見を認めない場合は、精密検査をしないといった方針が現在では採用されています。この新しい診断方針で過剰診断は減ります。しかし、それでもなお、甲状腺がんと診断された人における過剰診断の割合がかなり高いままということがありうるのです。

直感的にはわかりにくく感じる人もいるようです。ジャガイモの場合と同じく、具体的な数字で考えてみれば、直感と計算結果が食い違うことがよりわかりやすくなるでしょう。


ある集団に対し甲状腺検査を行うと古い基準では100人の甲状腺がんが発見され、うち99%が過剰診断です。腫瘤径が小さく悪性を疑う所見を認めない腫瘤を除外するという新しい診断方針では、甲状腺がんと診断される人は50人に減りました。除外された50人すべて過剰診断だと仮定すると、甲状腺がんと診断された50人のうち、過剰診断の割合は何%になりますか?

甲状腺がんと診断される人が半分になったのだから、過剰診断の割合も99%から49.5%に半減した、なんて間違える人はいないことを願います。古い基準で甲状腺がんと診断された100人のうち過剰診断ではない人は1人です。新しい診断方針では甲状腺がんと診断される人は50人ですから、過剰診断の割合は(50-1) ÷ 50 = 98%です。甲状腺がんと診断される人を半分に減らしたのに、過剰診断の割合は1%しか減っていないのは直感に反すると感じる人もいるでしょう。

古い基準で診断された甲状腺がんのうちの過剰診断の割合や、新しい診断方針で除外できる人数は仮の数字を当てています。現実の甲状腺がんではどうでしょうか。たとえば、韓国の甲状腺がんにおいては、90~95%が過剰診断だったという推計があります*2。これは、症状を呈して診断される人も分母に含んでいますので、「無症状で検査を受けて甲状腺がんと診断された人における過剰診断の割合」はもっと高いはずですが、大雑把な推計には使えます。

新しい診断方針で甲状腺がんと診断されない人の割合は数十%はあります。これもいろいろ報告はありますが、たとえば、2000~2009年にソウル国立大学病院で手術を受けた甲状腺乳頭がんのうち、腫瘍径1 cm以下は約43%、リンパ節転移がない症例は約56%、甲状腺外進展がない症例は約45%でした*3。腫瘍径1 cm以下でリンパ節転移も甲状腺外進展もなければ、新しい診断方針では甲状腺がんと診断されない可能性が高いです。実際の臨床データに基づくと、新しい診断方針によって、おおむね、ざっと診断数を半分ぐらいにできたと考えられます。

さて、古い基準で90%が過剰診断、新しい診断方針で全体の診断数を半分にできたとして、過剰診断の割合はどれぐらいになりますか?45%ではないですよ。そう、80%です。細かい数字に納得できない人もいらっしゃるでしょうが、少なくとも割合の計算ができる人は、新しい診断方針で過剰診断は減るが、それでもなお、甲状腺がんと診断された人における過剰診断の割合がかなり高いままということがありうることには同意できるでしょう。

診断方針を、たとえば「腫瘤径1 cm以下は精査しない」から「腫瘤径2 cm以下は精査しない」に変更すれば、さらに過剰診断は減らせますが、今度は精査をしなかった集団から、将来、症状が生じる甲状腺がんが出てくる恐れがあります。現在の基準は「症状が生じる甲状腺がんにはほぼならないであろう」というものだけを除外する厳しい基準ですので、「おおむね大丈夫だろうけど症状が生じる甲状腺がんになるかもしれない」ぐらいの結節は精密検査されます。

乳がんや肺がんですら、検診で発見されたがんの15~30%は過剰診断です。無症状の集団を対象に甲状腺がんの検査をして、過剰診断がほとんど起きないなどありえません。「過剰診断はすでに専門家らによって対策済み」という理由で過剰診断はほとんど起きていないという主張は完全な誤りです。診断方針を変えるぐらいで過剰診断をほとんど抑制できるのであれば論文にして発表すべきです。

上記したことを踏まえて、福島県においては、「小児甲状腺がんは成人の甲状腺がんと異なる」という立場に立って過剰診断はほとんど起きていないという主張は論理的には可能です。しかしその場合、成人の甲状腺がんにおける知見を元にした過剰診断対策を小児に適用することの正当性が問われます。加えて、対象者が成人になった以降も甲状腺検査を続けることについての課題も残ります。

応用問題

■【仮タイトル】甲状腺がん - Togetter [トゥギャッター]より引用。

フェアな評価をしましょう

Masato Ida, PhDさんとの議論で出てきた数字です。甲状腺がんの過剰診断の割合は99.7~99.9%という「Welch ら(2010年)が挙げた大雑把な数字」を挙げています。甲状腺がんの人の数が1000人、本当に必要だった手術の数は1~3。診断基準(新しい診断方針)によって960人が手術を避けられ、40人が手術を受けます。さて、診断基準がある場合、手術を受けた人における過剰診断の割合は何%でしょうか?

Togetterのコメント欄でMasato Ida, PhDさんにお尋ねしましたが、お答えをいただけなかった上、ブロックされました。コメント欄を読んでいただければ、私とMasato Ida, PhDさんのどちらが正当なのかほとんどの人は理解できると思います。診断基準によって960人という多くの人が手術を避けることができてもなお手術を受けた人における過剰診断の割合が高いという事実が直感に反するがゆえの行為であると私は考えます。


*1:■Potato paradox - Wikipedia

*2:PMID: 37488752

*3:PMID: 23427907

シックハウス症候群と化学物質過敏症は異なる

「化学物質過敏症」という疾患概念は公的には認められておらず、盲検法による負荷テストでは化学物質曝露と症状の関連は確認できません。化学物質過敏症とされる患者さんの症状が誘発される原因は化学物質ではないことが示唆されます。こうした化学物質過敏症の疾患概念に懐疑的な記事を書くと、「そうは言っても私は化学物質によって体調が悪化した」という声が寄せられます。

化学物質によって体調が悪化する患者さんの存在は否定していません。新築した家の建築材料や壁紙から出る化学物質(揮発性有機化合物)によって生じるシックハウス症候群はその典型的な事例です。お酒の強さに個人差があるように、特定の化学物質に対する耐性に個人差があることは当然のことです。Aさんには問題ない濃度の化学物質でもBさんには症状を引き起こすかもしれません。なお、化学物質だけではなくダニや真菌もシックハウス症候群の原因になります。

海外ではオフィスビルでの健康被害がまず問題になったことからシックハウス症候群ではなくシックビルディング症候群と呼ぶのが一般的ですが、いずれにせよ室内環境が健康被害をもたらしうることは医学界でコンセンサスが得られています。たまに混同されることがありますが、化学物質過敏症とシックハウス医症候群は異なる概念です。室内環境に由来する中毒やアレルギーが起きればシックハウス症候群と言えますが、化学物質過敏症ではありません。化学物質過敏症は慢性中毒やアレルギーよりもさらに微量の化学物質でも症状が生じ、関連のない多種類の化学物質や電磁波にも反応するとされています。

厚生労働省による化学物質負荷試験は、40ppbと8ppbの濃度のホルムアルデヒドによって行われました(■本態性多種化学物質過敏状態の調査研究報告書 | 報道発表資料 | 環境省)。これは、それぞれ室内濃度指針値80ppbの2分1と10分の1に相当します。もちろん臭いは感知できません。日本臨床環境医学会の初期メンバーである石川哲氏や宮田幹夫氏は、こうした超微量のホルムアルデヒドにも化学物質過敏症の患者さんは反応すると主張したのです。しかし、複数の研究で化学物質の曝露と症状に関連は認められませんでした。

化学物質過敏症にシックハウス症候群が先行することはよくあります。とはいえ、シックハウス症候群は、原因となる室内環境から離れると症状が改善する一方で、化学物質過敏症では必ずしもそうではありません。原因とされる化学物質だけでなく、農薬や食物添加物が使用された食物は食べられない、自動車は自分が乗るだけではなく車に乗った人が家に入るだけでも耐えられない、塩素が含まれている水道水は飲めない、掃除機・冷暖房器具・パソコン・ワープロは使えない、といった多種類の化学物質やときには電磁波にも反応します。

石油ストーブが使えないことから、ブリキ製の薪ストーブを使用している患者さんもいました。薪ストーブからはホルムアルデヒドをはじめとしたさまざまな揮発性有機化合物が生じます。指針値の10分の1といった微量のホルムアルデヒドやそのほかさまざまな「人工化学物質」には反応するとされているはずなのに、桜の端材を燃やした「天然の甘い香り」では症状は誘発されないのです。石川哲氏と宮田幹夫氏の著作にはこうした患者さんの事例がたくさん紹介されています。臨床環境医学がニセ医学だとみなされている理由の一端がお分かりいただけると思います。

「私は天然の香りにも反応する」という声もあるでしょうが、臭覚閾値以上の化学物質で症状が起きることは別に不思議ではありません。ホームセンターや家具売り場では独特の臭いがすることもあり、体調が悪くなる患者さんもいるでしょう。いわゆる「香害(こうがい)」もそうです。また、臭覚閾値以下であっても、何時間も何日間も続けて化学物質に曝露することで健康被害が生じることもありそうなことです。これらは科学的根拠に乏しい臨床環境医学でなくても説明可能です。

化学物質に反応しているのかそうでないのか、最終的には盲検下の負荷試験を行わなければわかりませんが、それでも患者さんを丁寧に診察することである程度は推定できると私は考えます。たとえば、あまりにも多種類の化学物質に反応すると訴える一方で天然物の煙には反応しない事例は、本当は化学物質に反応しているのではないと推定できます。しかし、臨床環境医はそのようには考えず、化学物質過敏症の重症例として紹介すべき典型的な事例だと考えるのです。盲検下の負荷試験では臨床環境医の診断の正当性は示されなかったのは前述の通りです。

科学的根拠の乏しい疾患概念はシックハウス症候群のような本当に化学物質による健康被害が生じている患者さんにも不利益をもたらします。化学物質過敏症とシックハウス症候群が混同されることで治療にも研究にも混乱が生じるからです。実際、化学物質過敏症の疾患概念に批判的であったシックハウス症候群の研究者は少なくありません。

たとえば、関西労災病院環境医学研究センター・シックハウス診療科の吉田辰夫氏の■特発性環境不耐症の臨床所見―シックハウス症候群との比較―において「IEI と SHS には症状に明確な差がある.その結果,IEI と SHS とでは自ずと対処の方向が異なると推測される.したがって,IEI を「広義の SHS」として SHS の概念に含めることは治療などに混乱をもたらすと考えられる」と論じられています。IEIは「本態性環境不耐症」で化学物質過敏症の中立的な言い換え、SHSはシックハウス症候群のことです。

日本で初めてシックハウス症候群の診断基準を作成した笹川征雄氏は■安易に化学物質過敏症と診断するな:日経メディカルにて、化学物質過敏症と診断されている患者を多く診療した経験から、症状の発現に再現性と整合性に欠けていることを指摘し、化学物質過敏症と診断された患者さんが「常に“原因物質”におびえながら、生活を続けることになってしまう」ことから、化学物質過敏症という病名を安易に口にすべきではないとしています。

前回ご紹介した「科学的には化学物質曝露と身体反応には関連はなく,症状の原因が化学物質とはいえない」と記載されている厚生労働省資料は、「科学的エビデンスに基づく新シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル改訂新版」*1であり、化学物質過敏症に触れられているのは一部です。それまで厚生労働省研究班には石川哲氏といった臨床環境医が参加していたせいで混乱が生じていたと私は考えます。

最近、いわゆる「香害」が問題視されていますが、やはり化学物質過敏症とは異なります。柔軟剤や洗剤などの強い香りで体調不良が生じることは、科学的根拠に乏しい疾患概念を使わなくても説明可能です。香害と化学物質過敏症を混同すると混乱を引き起こし、強い香りで苦しむ人たちに不利益をもたら得ると私は危惧します。医療従事者、メディア、各自治体の担当者の方は、上記にリンクしたような過去の化学物質過敏症を巡る議論について知識を得て、香害と化学物質過敏症とを区別してくださるようにお願いします。


化学物質過敏症に関して厚労省見解と異なるパンフレットが自治体で紹介される理由

先日、maruさんが発表したnoteが注目を集めました。そのnoteでは、多くの自治体が提供する化学物質過敏症に関する情報が、厚生労働省の見解とは異なる「厚労省研究班のパンフレット」に基づいていることについて注意を喚起しています


■「化学物質過敏症」の伝え方 自治体掲載の「厚労省研究班のパンフレット」は厚労省の見解とは全然違う|maru
■[B! 医療] 「化学物質過敏症」の伝え方 自治体掲載の「厚労省研究班のパンフレット」は厚労省の見解とは全然違う|maru


化学物質過敏症の疾患概念については議論があるところで、医学界で広く認められている病名ではありません。化学物質過敏症という病名は、海外において化学物質と因果関係があるかどうか不明の症状まで化学物質のせいにしてインチキ医療を行う医療者たちに利用されてきました。たとえば、化学物質過敏症の第一人者とされているウィリアム・レイ医師は、ホメオパシーをはじめとした効果のない治療を行い、当局から医師免許取り消しの懲戒処分請求をされています*1。化学物質が原因だと断定できないことから、より中立的な「本態性環境不耐症(Idiopathic Environmental Intolerance:IEI)」という名称も提唱されています。詳しくは■化学物質過敏症に関する覚え書きを参照してください。

多くの人には影響しない量の化学物質が、感受性の強い一部の人たちには悪影響を起こすことはありえることです。しかしながら、化学物質過敏症では、臭覚閾値の10分の1以下の濃度といった超微量の化学物質や、相互に関係のない別の多くの種類の化学物質や、はては電磁波にも反応するというのは、相応の証拠がない限りは容易には信用できない主張です。なお、ときに混同されていますが、いわゆる「香害」と化学物質過敏症は区別されるべきだと私は考えます。強い匂いで体調が悪くなることは、医学的に疑わしい化学物質過敏症の疾患概念を使わなくても十分に説明可能です*2

厚労省研究班が化学物質過敏症について研究していたのは事実です。ウィリアム・レイ医師の影響を強く受けた医学者たちが化学物質過敏症の疾患概念を日本に伝えました*3。日本臨床環境医学会の初期メンバーの中には根拠が不十分な主張をする人もいました。「厚労省研究班のパンフレット」に名前がある石川哲氏もその一人です。パンフレットに記載されている解毒剤やビタミン剤の大量療法や「原因物質の投与による中和法」といったユニークな治療法は、ウィリアム・レイ医師が行っていたものです。海外のニセ医学を無批判に取り入れた一部の医学者のせいで「厚労省研究班のパンフレット」がつくられ、現在も紹介され続けてきているのが現状ではないかと、私は考えています。

厚労省研究班の研究の一つに二重盲検下における負荷テストがあります。化学物質過敏症の症状が微量の化学物質によるものであれば、化学物質負荷によって症状が生じるはずです。しかしながら、二重盲検下においては化学物質の曝露と自覚症状の間に関連は見い出されませんでした*4。厚労省研究班以外の研究でも同様の結果が得られています。

化学物質が原因ではないのに原因であると誤認させられた患者さんは、治るものも治りません。それどころか、根拠が不明な治療を受けさせられたり、化学物質フリーの「安全な」商品を高額で買わされたりします。現代社会では「化学物質」から完全に逃れることができませんので、社会生活が困難になることもあります。石川哲氏らの著作にはそのような患者さんがたくさん紹介されています。インクがダメなのでボールペンは使えず、新聞は天日干ししなければ読めず、無農薬ではない農産物は食べられず、交通機関は乗れず、かといって自動車にも乗れず、冷房や掃除機やパソコンは使えません。本当に化学物質や電磁波が原因であるのならともかく、誤認であるのならそう誤認させた医師の責任はきわめて重いと言えます。

2018年の厚生労働省資料においては「科学的には化学物質曝露と身体反応には関連はなく,症状の原因が化学物質とはいえない」と記載されています*5。各自治体においては、こうした情報も提供されるべきだと私は考えます。

科学的には化学物質曝露と身体反応には関連はなく,症状の原因が化学物質とはいえない