NATROMのブログ

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ドネペジルがコロナ感染後疲労を改善させると証明されたのか?論文を読んでみた

医療ジャーナリストを自称しておられる木原洋美氏のFacebookによれば、私こと名取宏による指摘は「根拠のない言いがかり」であることが証明されたそうである。


■(3) 木原 洋美 - 名取宏氏のSNS上での私に対するくだらない誹謗中傷が、氏の早とちりによる根拠のない言いがかりであることが証明されました... | Facebook


事実は、私の指摘が誤っていたのではなく、何を指摘されたのか木原氏が理解できていないだけである。木原氏のいう「くだらない誹謗中傷」とは、認知症治療薬「ドネペジル(商品名アリセプト)」が病的疲労に効果があることが証明されたとする木原氏のプレジデントオンラインの記事に対する批判のことである。以下、Xのポストとブログをリンクする。





■否定的な臨床試験の結果が出たのに「劇的に効く!」ことにする手口 ―病的疲労とドネペジルの事例から.



新型コロナウイルス感染症後遺症における慢性疲労に対しドネペジルの有効性を評価した二重盲検は否定的な結果だった。主要評価項目も副次評価項目も有意差なし。ポイントは、「治療薬を発見した」と称する記事が否定的な結果が出た論文の発表後に書かれたことである。記事には臨床試験について一言も触れられていない。記事では「なぜ特効薬の開発は進んでいないのか」などと書かれていたけど、それは「ヒトを対象にした臨床試験で有効性が認められなかったから」である。

木原氏は「この後、正規の論文が発表されて」「ドネペジルは効果が証明されており、プレジデントの記事の通りとなって」いると主張した。その「正規の論文」の書誌情報を示すよう求めたものの木原氏から回答は得られていない。実際のところ、木原氏は学会発表の抄録と正規の論文を混同しているだけであろう。抄録では、すでに行われた臨床試験を再解析し「ドネペジルが有効なCOVID-19後遺症患者群を同定した」とあった。事後解析だけではドネペジルの効果を証明したことにはならない。あらためて「ドネペジルが有効なCOVID-19後遺症患者群」を定義し、その集団を対象に、ドネペジルを投与する群と対照群を比較する臨床研究を実施する必要がある。

今回の木原氏の発言は、その事後解析が正規の論文になったことがきっかけである。ただ、木原氏は論文そのものは読んでおらず、慈恵大学のプレスリリースしか読んでいない可能性が高いと私は推測している。なぜなら、論文を読めば、この研究が事後解析であること、その結果が仮説生成的なものであり、ドネペジルの有効性を証明したものではないことが理解できるはずだからである。その点は、私が以前から指摘してきた内容と矛盾しない。論文は以下で全文が読める。



■Frontiers | Donepezil ameliorates fatigue and depression in PASC patients with HHV-6B SITH-1-induced acetylcholine deficiency



ポイントを解説しよう。元のランダム化比較試験ではドネペジルの有効性は認められなかったが、著者らは新型コロナ後遺症患者の倦怠感にヒトヘルペスウイルス6B(HHV-6B)の再活性化に伴うSITH-1タンパク質の発現が寄与しているという仮説に基づき、サブグループ解析を行った。元試験で登録された110人のうち、感染後60日以上疲労が持続した73人を抽出し*1、さらに血中抗SITH-1抗体陽性者52人と陰性者21人に層別化した。52人のうち実薬(ドネペジル)群は26人、プラセボ(対照)群は26人だった。ちなみにこのサブグループ解析は、事前に予定されたものではなく、事後的に選定された*2

解析の結果、抗体陽性群において、ドネペジルはプラセボと比較して、3週時点のHADSうつ病尺度スコアおよび8週時点のチャルダー疲労尺度スコアで統計学的に有意な改善を示した。ただし、8週時点のHADSうつ病尺度スコア、3週時点のチャルダー疲労尺度スコア、3週および8週時点のPHQ-9総スコアでは有意な改善は認められなかった。ちなみに元試験の主要評価項目は3週時点のチャルダー疲労尺度スコアである*3本命の「3週間後の疲労感改善」は、サブグループ解析ですら有効性は証明できなかったわけである。

ここで多重比較の問題に気づいた読者もいるだろう。今回の解析では、3つの評価指標について3週時点と8週時点の比較が行われており、少なくとも合計6回の統計学的検定が実施されている。検定回数が増えれば増えるほど、偶然によって「有意差あり」という結果が出る可能性も高くなる。この点は著者らも認識しており、本研究では多重比較に対する補正としてFDR(False Discovery Rate)補正を実施している。その結果、抗SITH-1抗体陽性群で認められた3週時点のHADSうつ病尺度スコアおよび8週時点のチャルダー疲労尺度スコアの有意差は、補正後には統計学的有意差は認められなくなる

まとめると、本論文で示されたのは、事後的に設定されたサブグループ解析において、さらに複数の評価項目・評価時点を対象とした検討の中で、一部の指標に名目上の有意差が認められたという結果に過ぎない。したがって、この研究から言えるのは、論文でも述べられているように、ドネペジルの有効性が「示唆された」程度であり、「治療薬を発見した」と結論づけることはできない。3週時点の疲労尺度スコアの改善は示されておらず、木原氏の「短時間ですっきりと解消してくれる薬までも突き止めた」という記述を裏付ける証拠にはならない。仮にドネペジルが有効であるとしても血中抗SITH-1抗体陽性者に限った話であり「医薬品がダメならサプリメントとしてでもいいので、認知症の診断なしに患者さんが手に入れられるようになんとかできれば」という近藤一博氏の発言は不適切である。

研究者やプレスリリースの受け売りを書くだけならジャーナリストとは言えないと私は考える。少なくとも原著論文を読み、理解するだけの能力は必要であろう。実際、今回紹介した論文には、このサブグループ解析は試験開始前に計画されたものではなく、試験終了後に実施された事後解析であること、そして結果は「探索的(exploratory)」「仮説生成的(hypothesis-generating)」なものとして解釈すべきであることが明記されている。さらに、この結果から直ちにドネペジルの有効性が証明されたとは言えず、抗SITH-1抗体陽性患者をあらかじめ対象として設定した前向き臨床試験による検証が必要であることを、著者ら自身が認めている。つまり、この論文が示しているのは「ドネペジルが有効かもしれない患者群を見いだした」という段階であって、「ドネペジルが新型コロナ後遺症に有効であることを証明した」という段階ではない。これは私が以前から指摘してきた内容そのものである。したがって、今回の論文は私の指摘が「根拠のない言いがかり」であったことを示すものではない。むしろ、事後解析から得られた結果は仮説生成にとどまり、別途臨床試験が必要であるという私の指摘の妥当性を裏付ける内容になっている。

木原氏は「誰か彼(名取氏)に…教えてやってくれるとありがたい」と自身のFacebookに書いている。別に誰かに頼まなくても、以前のように木原氏自身が当ブログにコメントしていただければよいのでは。その際は、丸山ワクチンに関するいくつかの質問にお答えいただけると幸いである。また、木原氏のFacebook読者の方々からのご意見やご質問も歓迎する。私は木原氏のFacebook投稿にリンクを張り、読者が元の発言を確認できるようにしている。同様に、木原氏が私のブログ記事へのリンクを示せば、読者は容易に双方の主張や根拠を比較したうえで判断できるだろう。もちろん、そのような相互参照を行うかどうかは木原氏の判断であり、私から無理に求めるつもりはない。ただ、議論の内容に自信があるのであれば、読者に両方の情報源を提示することに特段の支障はないように思われる。



*1:これも事後的な解析。60日以内の登録者を含めるか含めないかでも統計学的検定の施行回数が増え、多重性の問題が生じる

*2:解析対象となったバイオマーカーは抗SITH-1抗体だけではないのかもしれない。複数のバイオマーカーについて再解析し、有効そうなもののみを発表したのかもしれない。やはり多重性の問題が生じる

*3:https://jrct.mhlw.go.jp/latest-detail/jRCT2031220510

プレジデントオンラインのがん記事を読んで感じた違和感

プレジデントオンラインに


■喫煙でもアルコールでもない…膀胱がんの東大教授が警告「日本人のがん死亡率」を上げているものの正体


という記事が掲載された。ジャーナリストの亀井洋志氏が中川恵一医師への取材をもとに構成したものだ。喫煙でもアルコールでもない「日本人のがん死亡率」を上げているものって何だろう?高齢化?感染?何はともあれ記事を読んでみた。プレジデントオンラインの他の医療記事と比べると悪くはないが、いくつかツッコミどころがあった。


「先進国でがん死亡率が上昇しているのは日本だけ」は誤り

いきなり小見出しで「先進国でがん死亡率が上昇しているのは日本だけ」とあるが、この表現は正確ではない。年齢補正をしていないがん粗死亡率は日本で上昇しているが、他にもイタリア、フィンランド、韓国など、がん粗死亡率が上昇している先進国はある。これは主として人口の高齢化による影響によるものだ。年齢補正をした年齢調整がん死亡率は、これらの国を含む多くの先進国で減少している。がん死亡ではなくがん死亡についても、日本だけが上昇しているわけではない。詳しくは、■「がん死亡数が増え続けているのは先進国では日本だけ」は誤りで解説した。中川氏自身は標準医療を推奨しているが、「先進国でがん死亡率が上昇しているのは日本だけ」といった誤った主張が、抗がん剤などの標準治療を否定する主張や、農薬・食品添加物をがんの主因とするニセ医学の論拠として利用されることがある。意図はどうあれ、より正確な表現を心がけていただきたい。


運動ががん死亡率を下げるのは事実であるが「喫煙でもアルコールでもない」という表現は微妙

記事では、運動ががんの予防となったり、がん患者の生存率を改善したりする効果を多くの紙幅を割いて紹介している。これらは科学的根拠のある内容であり、広く社会に知られるべき重要な知見だ。このような情報が一般向けの記事でわかりやすく紹介されている点は高く評価したい。一方で、『喫煙でもアルコールでもない「日本人のがん死亡率」を上げているものの正体』というタイトルには違和感がある。むろん、運動不足が日本人のがん死亡率を上げているのは事実であるし、喫煙でもアルコールでもないので、論理的には間違っていない。しかし、運動不足が喫煙やアルコールと同等かそれ以上にがん死亡に寄与しているという誤解を招きうる。

日本人のがん死亡に対する修正可能な要因の人口寄与割合を推定した研究*1によれば、喫煙は19.6%、アルコールは6.5%であった。一方、運動不足は0.8%。運動の重要性は否定できないものの、がん対策への寄与という観点では、禁煙や節酒の影響のほうがはるかに大きい。喫煙や飲酒を行う人の割合は減少しつつあるので将来はこの差は縮まるであろうが、がん予防において喫煙と飲酒は依然として重要なリスク因子である。本文において中川恵一医師はきちんと「喫煙、アルコールなどの習慣」に言及しており、上記したような指摘はご承知しておられるであろう。おそらく「喫煙でもアルコールでもない」というタイトルは、プレジデントオンライン編集部が読者の関心を引くために付けたものと思われる。

私もプレジデントオンラインに寄稿していることもあり、編集部の考え方は理解できる。ネットメディアにおいて記事をクリックして読んでもらうためにはタイトルを工夫しなければならない。いくら内容のよい記事を書いても読んでもらえなければあまり意味がない。一方で、医療や健康に関する情報は、正確性や誤解を招かない表現も欠かせない。読まれる工夫と正確な情報提供をどう両立させるか。そのバランスを取るのは簡単ではなく、常に悩ましい問題である。私自身、この問題についてあれこれ考え続けてきたが、正直なところ最近少し疲れてきている。医学的に正確な内容を心がけ、タイトルも誤解を招かず、かつ、読者の興味を引くように努力して書いた記事よりも、タイトルどころか内容もデタラメな医療記事のほうが人気が出るのが実情だ。


「がん検診受診率の低さ」は国家レベルの全がん死亡数にはそれほど影響しない

がん検診の有効性は、すべてのがんで確立されているわけではない。というか、検診の有効性が確立されているがんのほうが少ない。一般集団を対象とした検診について、死亡率減少効果が国際的に認められているのは、乳がん、子宮頸がん、大腸がんの3つである。さらに日本では、胃がん検診と肺がん検診についても、日本人を対象とした研究でがん死亡率の低下が示されており、対策型検診として推奨されている。それ以外の多くのがんについては、検診による死亡率減少効果が十分に証明されておらず、有効性は明確になっていない。

また、検診には限界があり、すべてのがん死を予防できるわけではない。たとえば乳がん検診は、乳がん死を約20%減少させる。言い換えれば、検診を受けても80%の乳がん死は避けられない。乳がん検診の受診割合が仮に40%から80%に上昇したとして集団全体で減らせる乳がん死はざっくり約8%である*2。乳がん死亡は全がん死亡の約4%を占めるため、乳がん死の減少約8%は、全がん死亡に換算すると減少幅は約0.3%程度だ。子宮頸がんと大腸がんでも同様の計算をして合算してみたところ、他の先進諸国と比較して日本のがん受診割合が低いことが全がん死亡数に与える影響は、概算で2%弱ぐらいであった。

公衆衛生的には2%はかなり大きい数字である。日本のがん検診の受診割合が低いのは確かに改善が必要だ。とは言え「検診受診率の低さが、欧米では減っているがんの死亡数が、日本で増えている理由の一つ」という表現には問題がある。欧米でがん死亡数は必ずしも減っていないのは既に指摘した。年齢調整がん死亡率は欧米でも日本でも減少しているので、がん死亡数増加の主因は人口構成の高齢化が原因である。そもそも、以前より日本のがん検診受診割合は低いままなので、がん死亡数やがん死亡率の変化にはがん検診受診割合はほとんど寄与していないと考える。


全体的には良い記事

細かな点についてはいくつか気になる部分もあったが、全体としては評価できる記事だと思う。運動不足ががんの原因の一つであり、適切な運動ががんの予防や生存率の改善に役立つという情報提供は価値がある。ついでに言えば、がん以外にも、心血管疾患や糖尿病の予防にも役立つ。また、日本ではがん検診の受診率が低いことに警鐘を鳴らし、推奨されている検診の受診を呼びかけている点も妥当である。他にもさらに、「要精密検査」という結果を軽視してはいけないことや、がんを疑う症状があれば早めに受診すべきことを強調しているのも重要だ。問題のある医療記事も少なくないなか、本記事は基本的に読者を適切な方向へ導く内容になっている。このような記事が増えることを歓迎したい。



■「がん死亡数が増え続けているのは先進国では日本だけ」は誤り
■「がん寄与度」って何?キムチと胃がんから考える「原因の割合」の計算方法
■世界はゆっくりと良くなっている 日本の年齢別がん死亡率の推移

*1:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35291201/

*2:検診対象外年齢からもがん死亡は発生するが相対的には少ないので無視した

河北新報が「福島県の甲状腺検査の不利益をもっと伝えるべき」とする記事を掲載

河北新報が報じた当事者の声

福島県の甲状腺がん検査をめぐり、当事者の立場から「不利益をもっと伝えるべきだ」と訴える記事を掲載した。有料記事ではあるが、会員登録をすれば1日1本は無料で読むことができる。読む価値のある良質な記事だと私は考える。


■福島県の甲状腺がん検査「不利益もっと伝えて」 摘出手術受けた福島の20代女性が「過剰診断」を訴え | 河北新報オンライン


記事によると、当事者である20代女性は、事故当時は福島県内陸部に在住で、事故から数年後に中学校で1巡目の検査を受けたが、異常は認められなかった。その後、さらに数年を経て受けた2巡目の検査で「5ミリより大きな結節」が見つかり、二次検査として細胞診を受けた結果は良性だったものの、以後は毎年の経過観察となった。県外で社会人生活を送っていたとき、甲状腺乳頭がんとの診断で、甲状腺および副甲状腺を摘出した。術後は強い倦怠感や手・顔のしびれに悩まされ、首には15センチの手術の傷が残った。

検査前の説明は不十分である

重要な論点の一つが、検査前の説明である。記事によると、福島県は「検査を受けるかどうかは任意で、利益と不利益を記載した冊子を対象者に送り、周知していると強調する」ものの、女性は「私の受けた不利益を考えると、数行の説明文では足りない。具体的な当事者の声をもっと伝えてほしい」と指摘した。福島県による「利益と不利益を記載した冊子」は、ウェブでも閲覧可能である*1。冊子の記載内容はきわめて不十分であると私も考える。

福島県における甲状腺検査は、事実上の甲状腺がん検診である。がん検診の利益(メリット)は、一般的にがん死亡率の減少で評価される。しかし、甲状腺がんの死亡率はもともと低く、一般成人を対象にした複数の観察研究では甲状腺がん検診によるがん死亡率の減少は観察されなかった。小児・若年者は一般成人よりもさらに甲状腺がん死亡率は低く、甲状腺がん検診から得られる利益はないか、あってもきわめて小さいと考えられる。

県の冊子:メリットの検討

県の冊子において第一に挙げられている検査のメリットは、がん死亡率といった「臨床的アウトカムの改善」ではなく、陰性だった際の「安心感」である。もちろん、放射線の健康影響が強い不安となっている人に対してまで検査を控えるべきだとは言わない。しかし、そのような個別の事情に基づく選択と、「クラスの全員が受診する」ような一律の実施とは、性質が大きく異なる。また、安心感をメリットとみなすことは、もろ刃の剣でもある。ひとたび何らかの異常が見つかれば、たとえ最終的にがんと診断されなかったとしても、不安という明確なデメリットが生じる。推奨されているがん検診においても偽陽性による不安といった不利益は避けられないが、それでもなお実施が支持されているのは、がん死亡率の低下という大きな利益が期待できるからである。さらに言えば、甲状腺がん検査がもたらす「安心感」は一時的なものである。次の検査では異常が発見されるかもしれない。実際、記事で紹介されている女性の例では2巡目に結節が指摘されている。

第二に挙げられているメリットは「手術合併症リスクや治療に伴う副作用リスク、再発のリスクを低減する可能性」である。しかし、甲状腺がん検診がこうしたリスクを下げるというエビデンスはない。冊子ではチョルノービリ(チェルノブイリ)事故後ベラルーシの甲状腺がん症例と比較しているが不適切である。というのも、提示されているデータは「甲状腺がんと診断された患者」を分母としており、検診の有効性を評価する上で重要な「集団全体」を分母とした比較になっていないからである*2。本来は手術を要しない症例にも手術を行うことで患者数(分母)が増え、手術合併症の割合は見かけ上、下がる。甲状腺がんは、積極的経過観察される腫瘍径の小さながんでも相当な割合でリンパ節転移があるため、早期発見で転移や再発のリスクが減ることは必ずしも期待できない。実際、福島県の事例でも再発は複数報告されている。こうした事実はしばしば「過剰診断ではない証拠」と誤って解釈されがちだが、むしろ検診によって再発が必ずしも防げるわけではないことを示している。

第三に挙げられているメリットは「放射線影響の有無に関する情報」を伝えられることだが、それは患者本人の利益ではない。本人の意思決定を支援する冊子に記載するのは不適切である。

県の冊子:デメリットの検討

県の冊子において挙げられている第一のデメリットは、「将来的に症状やがんによる死亡を引き起こさないがんを診断し、治療してしまう可能性」、つまりは過剰診断と過剰治療の可能性である。補足説明として「治療の必要性が低い病変ができるだけ診断されないよう対策」が講じられているとするが、そうした対策を行っても過剰診断が生じる点についても記載が必要だ。また、過剰診断がどのような帰結をもたらすのかについても言及が足りない。たまに「過剰診断が問題ではなく過剰治療が問題」といった誤解が散見されるが、いったん診断がつけば、たとえ過剰診断の可能性があっても、現実にはガイドラインに沿った治療が選択されやすい。よって「過剰診断はお金と気持ちの問題」という主張も誤解である。過剰診断は費用や心理的負担以外に、手術や薬物療法など治療に伴う身体的負担も伴いうる。

第二のデメリットに「がんまたはがん疑いの病変が早期診断された場合、治療や経過観察の長期化による心理的負担の増大、社会的・経済的不利益が生じる可能性」とあるが、やはり不十分である。なぜ身体的負担が入っていないのか。過剰診断はもちろんのこと、将来症状を呈して診断されるがんの前倒し診断だったとしても、心理的負担・社会的・経済的不利益に加えて、身体的負担も生じる。

第三のデメリットは偽陽性である。過剰診断や前倒し診断、偽陽性の害は、推奨されているがん検診でも生じる。繰り返すが、そうした害が容認されているのは、がん死亡率の減少といった利益のためである。一方で、甲状腺がん検査はどうか。メリットとされているのは、異常が発見されたときに不安を上回るのかどうかわからない「安心感」、エビデンスに欠けた「手術合併症リスク、副作用リスク、再発のリスクを低減する可能性」、本人の利益ではない「放射線影響の有無に関する情報」である。

患者が十分な説明を受ける権利の確保を望む

福島県甲状腺検査において、甲状腺がん検診の害について知っていたのは受検者のわずか16.5%にとどまるという報告もある*3。記事で紹介された女性が「数行の説明文では足りない」と訴えるのは、当然のことであろう。これは検査の前に十分な説明を受ける患者の権利の侵害である。放射線被ばくによる甲状腺がんの多発があろうとなかろうと、この問題の本質は変わらない。今後は、受検者が十分な情報に基づいて意思決定できる環境が整備されることを望む。