宗教上の理由から輸血を拒否する「エホバの証人」の信者と、医療機関との間で訴訟が起きています。
報道によると、エホバの証人の信者5人が、輸血を受け入れないことを理由に県立病院で診療を断られたとして、沖縄県を相手取り損害賠償などを求めて提訴しました。同様の訴訟は、名古屋市立大や滋賀医科大、熊本大に対しても起こされています。
個人的には臨床医としてエホバの証人の患者さんを診療した経験はありますが、内科ということもあって輸血するかどうかシビアな決断をしたことはありません。とはいえ、病態が違えば、そうした判断を迫られていた可能性は十分にあります。決して他人ごとではない問題です。エホバの証人の輸血拒否に関係する論点は多岐にわたりますが、今回の事例は未成年ではなく成人、また緊急時ではなく時間的な余裕のある状況での話です。そこで、ここでは成人の待機手術に話を限ります。それでも、存外、複雑な問題です。
まず、前提として、成人患者が輸血を受けるか受けないかの自己決定は「個人の権利」として尊重されるべきです。たとえ、輸血しなければ生命の危険がある場合であってもです。この点については広く認められています。輸血拒否の意思表示を明確に示した患者に対し、手術中に救命のため無断で輸血した事例は、医師側が敗訴したという判例があります*1。主な理由は説明義務違反です。ざっくばらんに言えば「万が一のときには輸血をするという方針を前もって説明しないのは、患者の『だったら手術をやめる』という自己決定権を侵害してるからダメだろ」ということです。
患者の自己決定権が尊重されることは当然として、医療機関側にもどんな場合も輸血をしないという条件(「絶対的無輸血」)で手術を引き受ける義務はありません。また、「できるだけ輸血をしないという方針でいくけど、万が一のときは救命のために輸血するよ(「相対的無輸血」)」と前もって説明していれば、説明義務違反にはなりません。説明を受けたうえで、その病院で手術を受けるか受けないかは、患者さんが決定すればいいという考え方です。今回、提訴された沖縄県の県立病院もそのような方針を取っています。こうした方針の医療機関は珍しくありません。

こうした方針でおおむねトラブルはなかったのですが、最近になって訴訟が相次いでいます。エホバの証人側に何らかの方針変更があった可能性があります。個人的な推測ですが、相対的無輸血方針の医療機関が多くなった結果、エホバの証人の患者さんが受診できる病院がきわめて限られてきたためではないかと考えます。滋賀医科大学医学部附属病院が、エホバの証人の患者さんの白内障手術をめぐって提訴された事例もあります。白内障手術で輸血が必要になることは通常まずありません。それでも病院として相対的無輸血の方針を採っている以上、「できる限り輸血はしないが、生命を救うためにどうしても必要になれば輸血する」という方針をあらかじめ説明し、患者さんの意思を確認することになります。でないと、万が一のときに説明義務違反で負けます。
一方、患者側からすれば、輸血しないと死ぬかもしれないような手術だけでなく、白内障手術のように通常は輸血を必要としない治療であっても、万一の場合の輸血に同意しなければ治療を受けられないことになります。近くに絶対的無輸血方針の医療機関があればよいのですが、必ずしもあるとは限りません。遠方の医療機関まで出向かなければならなかったり、場合によっては治療を受けられる医療機関そのものを見つけるのが難しかったりするでしょう。そうなると、単なる「不便」の問題ではなく、医療へのアクセスが実質的に制限されていることになります。こうした状況をなんとかしたい、というのが今回相次いでいる提訴の背景にあるのでしょう。
輸血を受けるかどうかを自分で決めることも、必要な医療にアクセスできることも、患者にとって重要な権利です。受診できる医療機関が著しく限られているのであれば、それを問題として訴訟という形で問い直そうとするのも理解できます。一方で、だからといって個々の医療機関や医療者に、絶対的無輸血という条件で手術を引き受けるよう強制することは難しいです。輸血すれば救命できるのに、目の前で患者さんの状態が悪化し亡くなっていくという心理的負担は、医師としてけっこうキツイっすよ。地域医療を支えるために労働条件が少々悪くても公立病院で働こうという熱心で志の高い医師にとっては余計にそうでしょう。冒頭で「存外、複雑な問題」と述べたのはこのような理由からです。解決する手段は思いつきません。