NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

「権威が勝手な都合で有望な科学を排除する事例」って何だろう?

丸山ワクチンが承認されない理由

医療ジャーナリストを名乗っている木原洋美氏は、丸山ワクチンを擁護するプレジデントオンラインの記事で、「筆者自身も20年以上の取材経験の中で、権威が勝手な都合で有望な科学を排除する事例を何度も目の当たりにした」と書いています*1。丸山ワクチンは「有望な科学」であるのに、権威の勝手な都合により排除されているのだ、と言いたいのでしょう。

本当にそうでしょうか?効果があるのであれば、きちんとした臨床試験で有効性を示せば承認されるはずではないでしょうか。丸山ワクチンと不活性プラセボ(生理食塩水)を比較したランダム化比較試験は複数回実施されていますが、いずれの試験でも有効性は示されませんでした。とくにアジア7カ国共同のランダム化比較試験は、対象者を600人以上(臨床試験登録情報では793人)にまで増やして行われましたが、主要評価項目である全生存期間において統計学的な有意差を示すことはできませんでした*2

丸山ワクチンが承認されていないのは、臨床試験で有効性を示せなかったからであって、権威の勝手な都合により排除されているからではありません。木原氏は、自身のFacebookにおいて、「信頼できる体験談を100ぐらい、(実際に取材して)発信しようと思っています」と書いています*3。もしかすると、「臨床試験で有効性が示せなくても、体験談を積み重ねることで承認されるべきだ」とお考えなのかもしれません。同じように有効性が確認できない代替医療、たとえばホメオパシーやゲルソン療法を支持する人も同じことを言いそうですね。

線虫がん検査の導入が進まないワケ

丸山ワクチン以外に、「権威が勝手な都合で排除した有望な科学」があるのかもしれません。その一例として考えられるのが、線虫によるがん検査です。いわゆる「がん線虫検査(N-NOSE)」は、「尿1滴で15種類のがんリスクがわかる」とされ、現在1万円台の価格で提供されています。木原氏は、このがん線虫検査を擁護する記事を複数執筆しており、同検査に関連した書籍も出版しています*4

木原氏は、「線虫がん検査の導入がなかなか進まないのは、あまりにも新しい技術だからではないか」といった趣旨のことを書いています。本当にそうでしょうか?線虫がん検査によってがん死亡率を減らせることを臨床試験で示せば、世界中で導入されると思います。しかし、そのような臨床試験は実施どころか、計画すらされていません。がん死亡率減少を検証する以前の話として、がん検診を受けるような一般集団における感度・特異度すら検証されていません(■「線虫がん検査」の感度・特異度は過大評価されている)。がん患者集団における感度・特異度においても、PET核医学分科会などから懸念が表明されています。疑義のいくつかは、線虫がん検査を提供する会社がブラインド条件下での検証に応じれば解決しますが、会社は応じていません。本物のジャーナリストなら、会社の受け売りをそのまま記事にするだけではなく、「なぜブラインド条件下の検証を行わないのか」といった取材をしてほしいものです。

線虫がん検査が公的に導入されていないのは、臨床試験でがん死亡率の減少といった有効性が示されていないどころか、感度・特異度についても十分に確立したものとは言えないからであって、権威の勝手な都合により排除されているからではありません。日本では、線虫がん検査に限らず、「血液や尿1滴で多くのがんのリスクがわかる」とうたう検査が数千円から数万円で提供され、事実上、がん検診として利用されています。しかし、これらの検査について、がん死亡率を下げるといった明確な利益が臨床試験で示されたものはありません。ワクチンや医薬品であれば、有効性や安全性が証明されなければ販売は認められませんが、検査については規制が十分とは言えず、有効性が確立していない検査であっても販売が可能となっているのが現状です。つまり、排除されているどころか、むしろ規制が追いついていない状況にあると言えます。

なぜ病的疲労に対する特効薬の開発が進んでいないのか

丸山ワクチンや線虫がん検査以外に、「権威が勝手な都合で排除した有望な科学」があるのかもしれません。木原氏は、■残念ながら、栄養ドリンクでは治りません…疲労の最新研究でわかった「寝ても取れない疲れの正体」 「慢性疲労」の原因はストレスでも加齢でもない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)において、近藤一博氏(東京慈恵会医科大学 疲労医学講座特任教授)が『「休んでも取れない病的疲労」についても原因と治療薬の発見に成功した』、認知症治療薬であるドネペジルこそが特効薬だと主張しています。その「特効薬」の開発が進んでいない理由として、『日本政府的には「コロナはもう終わった」ことにしたがっていること』や『ドネペジルの特許がだいぶ前に切れていること』を挙げてます。

本当にそうでしょうか?きちんとした臨床試験で有効性を示せば開発は進み、承認もされるのではないでしょうか。「脳内のアセチルコリン不足が病的疲労の原因であり、ドネペジルが改善させうる」という仮説自体は検証に値する有望な仮説です。しかし、「治療薬の発見に成功した」と主張するためには、病的疲労の患者に対しドネペジルを投与する臨床試験が必要です。そうした臨床試験は行われ、木原氏がプレジデントオンラインの記事を書いた時点で論文として発表されていました。


■Donepezil for Fatigue and Psychological Symptoms in Post-COVID-19 Condition: A Randomized Clinical Trial - PubMed


新型コロナ後の病的疲労を有する110人をドネペジル群とプラセボ群にランダムに割り付けて、疲労感と精神症状に対する有効性を評価しました。もし、この臨床試験において有意差が出たのに治療薬としての開発が進まなかったというのであれば、「権威が勝手な都合で排除したんだよ!!」と言えたでしょう。しかし、実際には主要評価項目も副次評価項目も有意差は認められませんでした。

病的疲労に対してのドネペジルの開発が進んでいないのは、臨床試験で有効性を示せなかったからであって、権威の勝手な都合により排除されているからではありません。排除されているどころか、仮説の立案から数年で二重盲検ランダム化比較試験を実施し、結果の公表までこぎつけたのです。有効性が示されなかったのは残念ですが、期待されたほどの効果がないと明らかにしたこと自体が大きな成果です。医学はこのように一歩ずつ進歩していくものです。関係者各位の尽力と英知に、あらためて深い敬意を表します。

問題は「治療薬の発見に成功した」と称するプレジデントオンラインの記事です。記事が掲載された時点で、すでに否定的な結果が示された臨床試験が公表されていたにもかかわらず、記事中でその事実に一切触れられていません。知らなかったのなら取材不足、知っていたのにあえて触れなかったのなら不誠実です。事後に行われた層別解析*5において一部に可能性を示唆する所見はあったようですが、そうだとしても、改めて臨床試験を実施して有意な結果が得られてもいないのに、「治療薬の発見に成功した」と主張するのは誤りです。もし論文でそのような主張をしたら典型的な粉飾(Spin)みなされます。層別解析で有意差があったとしても、多重検定や検出力の問題があり、改めて追試が必要です。

木原氏は「根拠に基づいた医療」を軽視している

以上をまとめると、木原氏はEBM(根拠に基づいた医療)を軽視していると言えます。すなわち、ランダム化比較試験で否定的な結果が出ていても「体験談」を積み重ねればいい、がん検診においてがん死亡率減少を評価する必要はない、事後的な解析で治療薬の発見を主張する、といった姿勢です。EBMについて十分に理解した上で既存のパラダイムを更新しようとしているノーベル賞級パイオニアか、もしくは、単にEBMの基本を理解していない自称「医療ジャーナリスト」かのどちらかでしょう。後者であるのなら、単にエビデンス不足によって排除されたにすぎないのに、「権威が勝手な都合で有望な科学を排除した」と誤解するのは無理もありません。


追記

■体験談は丸山ワクチンに効果があるという根拠にはならないのコメント欄にて、木原さんからコメントをいただきました。お返事を書きましたが、いまのところ木原さんからのお返事はありません。もし、当該記事をお読みであれば、ぜひともお返事をください。このブログのコメント欄への投稿も歓迎いたしますが、ご自身のFacebookでもかまいません。その際、とくに、■主に丸山ワクチンを巡って木原洋美さんへお返事 その2の冒頭に再録している、

  • 開けてみたら「全身に転移しており」と言われた』とのことだが、何を開けたのか、「開けてみたら」という記述はやなせたかしさんの著作に書いてあったのか?
  • 2006年の第3相ランダム化比較試験の実薬群(40μg)の生存率の解釈について、外部対照と比較するのは不適切ではないか?


という質問へのお返事をお願いいたします。

*1:『「あんぱん」では描けない、やなせたかしが晩年に明かした後悔…"余命3カ月"の妻・暢と過ごした"最期の5年"』、URL:https://president.jp/articles/-/102737

*2:ClinicalTrials.gov 登録番号 NCT02247232。現時点で査読論文は未公表だが、ゼリア新薬の株主通信に概要が記載されている

*3:URL:https://www.facebook.com/hiromi.kihara.775/posts/pfbid0AyNmBCpaJvDHN7dFYRAYqtLXadE64uXfes2VPkRHvjj2CyKLKGCDr4eVvPA9ErwLl

*4:URL:https://gendai.media/articles/-/100675、URL:https://www.amazon.co.jp/-/en/dp/B0B71B2445

*5:副次評価項目には含まれず

体験談は丸山ワクチンに効果があるという根拠にはならない

2025年にもなって丸山ワクチンを称賛する記事が出るとは

丸山ワクチンとは、結核菌を熱水処理して作られた、がんに効果があるとされる注射薬で、承認はされていないものの、有償治験薬という特例的な扱いで使用が可能である。その丸山ワクチンに肯定的な記事がプレジデントオンラインに掲載された。ちなみに、この記事を書いた「医療ジャーナリスト」の木原洋美氏は、線虫がん検査(N-NOSE)を擁護する一連の記事も書いている。


■「あんぱん」では描けない、やなせたかしが晩年に明かした後悔…"余命3カ月"の妻・暢と過ごした"最期の5年" 「カミさんを翻意させることはできなかった」 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)


この記事では、NHK連続テレビ小説「あんぱん」のヒロインのモデルである、やなせたかしさんの妻・暢さんが、丸山ワクチンを使用し、「余命3カ月だったはずが5年間、お茶の稽古や好きだった山歩きを楽しみながら生きながらえることができた」と述べられている。やなせたかしさんが丸山ワクチンに効果があると考えていたのは事実だが、本当に効果があるかどうかは別問題だ。

一般の読者ならともかく、医療ジャーナリストが体験談を根拠に「余命を3カ月から5年にのばした治療法」*1と持ち上げるのはお粗末だ。こうした「体験談」が世の中にあふれていることをご存じないのだろうか。医療ジャーナリストは本来、体験談は治療効果の証拠にはならないことを伝えるべき立場のはずだ。

反論記事をプレジデントオンラインに書いた。要点は、体験談は丸山ワクチンに効果がある根拠にはなりえないこと、現在においても丸山ワクチンが承認されない理由は有力者の圧力ではなく質の高いエビデンスの不在であること、プラセボを対照としたランダム化比較試験では効果が示されなかったことである。



■「あんぱん」やなせたかしの妻ががん闘病中に使った「丸山ワクチン」が承認なしで50年以上売られ続ける事情 効果を示すエビデンスはなく体験談しかないのに | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)


手術直後に「長く保ってあと3カ月」と余命宣告されたエピソードは不自然だ

書ききれなかった点をここで補足する。やなせたかしさんの著作を根拠に『緊急入院し、即日手術を受けた後、担当医から別室に呼ばれたやなせさんは、「奥様の生命は長く保ってあと3カ月です」と告げられる』と木原氏は書いた。この著作が執筆されたのは1994年で、暢さんが手術を受けたのは1988年である。6年も前、動揺の中で聞いた医師の説明を、その後も長い闘病生活の中で類似の説明を重ねて受けているはずの状況で、果たして正確に記憶していられるものだろうか。

当時、やなせたかしさんがかなり厳しい説明を受けたであろうといことは推測できるが、それにしても「長く保ってあと3カ月」というのはかなり疑わしい。通常、予後が3カ月と見込まれる乳がん患者に手術を行うことはない。暢さんは抗がん剤治療も受けたが、状態がそこまで悪い患者には抗がん剤治療も行わないのが一般的だ。

1988年ごろの日本の転移性乳がんの経過について、参考になる文献を紹介する。



■Clinical characteristics of patients with metastatic breast cancer with complete remission following systemic treatment - PubMed

全転移性乳がん(MBC)患者における無増悪生存(progression-free survival)および全生存(overall survival)の曲線

1988年から1993年にかけて、国立がんセンターで抗がん剤治療を受けた転移性乳がん患者315人(解析対象279例)を解析したところ、生存期間の中央値は28.0か月、5年生存率は22.5%、10年生存率は5.3%であった。国立がんセンターで抗がん剤治療を受けることのできる患者は選別されているため、当時の平均的な転移性乳がん患者よりは予後がよいと思われる。ただ、暢さんも東京女子医大で抗がん剤治療を受けている。1988年ごろの大学病院で抗がん剤治療を受けた転移性乳がん患者の5人に1人は5年以上生きられる。運がいい方とは言えるが奇跡的とまでは言えない。したがって併用した代替医療に効果があるという根拠にはならない。暢さんの事例は「併用した標準治療が効いて延命できたが、家族が代替医療の成果と誤解している」という可能性が高いように思われる。根拠に乏しい治療法の体験談としては典型的である。

丸山ワクチンを勧めた里中満智子さんは円錐切除手術を受けていた

漫画家の里中満智子さんが丸山ワクチンを勧めたというエピソードについても補足したい。丸山ワクチンをはじめたきっかけは、里中さんが、やなせたかしさんに「私も癌だったの。私は手術がいやで、丸山ワクチンを打ち続けて7年目に完治したの。試してみませんか」と言ったことだとされる。確かに、やなせたかしさんの著作にもそう記述されている。里中さんが手術をせず丸山ワクチンだけで完治したと誤解してしまいそうだが、事実は異なる。以下は、里中さんのインタビュー記事である。「がんサポート」編集部という専門性のあるスタッフが本人に直接聞いた話だ。


■「積極的な夢」そして「人任せにしない知識欲」 子宮頸がんも糧にしたマンガ家・里中満智子さん | がんサポート 株式会社QLife


医師は気をつかい、がんという言葉を極力避け、腫瘍などと表現した。しかし、治療法の説明で「抗がん薬」という言葉を出さざるを得なかった。里中さんは「お医者さんも大変だな」と少し引いた姿勢で聞いていた。ステージはⅠa期だった。

里中さんにとって、がんの告知よりもショックだったのは、「子どもが産めなくなること」だった。子宮の全摘出を勧められたのだ。

(中略)

里中さんの場合は、「子どもを持つこと」だった。当初は慰めのつもりか「子どもなんて苦労するだけですよ」などという知人もいたが、里中さんは子宮全摘出ではなく、子宮を温存する円錐切除(がん部位だけの切除)での対応を願い出た。周りも盛り立ててくれるようになっていった。担当医も「治ったらすぐに子づくりできるように相手を見つけておいてくださいよ」と笑顔で言ってくれた。

円錐切除手術は無事終わった。予定されていた抗がん薬と放射線による治療は取りやめ、1週間で退院の運びとなった。担当医は「手術はとてもうまくいきました。あとはまめに、念入りに検査を受け続けてください」と言った。里中さんは、その言葉の意味の大きさを感じた。


ステージIaの子宮頸がんの治療法は、単純子宮全摘術が第一選択であるが、妊娠希望例は円錐切除手術も選択肢に入ると私は理解している。切除した標本の切断面を顕微鏡で調べて、病変が完全に切除されているか、それとも病変が切除しきれていないかを評価するが、里中さんは「手術はとてもうまくいきました」と説明されていることから、おそらく切除できていたものと思われる。単純子宮全摘術を避けて局所療法のみを行った事例の予後については多くの報告があるが、たとえば、浸潤や血管侵襲のない200症例を追跡したところ再発例は一例もなかったという報告がある*2。他の論文を参照しても再発は数%以内だ。里中さんは丸山ワクチンだけでなく、「いろいろな民間療法にもトライ」したそうである。患者の気持ちとしてはよくわかる。ただ、丸山ワクチンやそのほかの民間療法に効果があったという根拠にならないことは自明であろう。単に円錐切除術によって、もともと再発しない90%超の集団に含まれたにすぎない。

やなせたかしさんは医学の専門家ではなく、また、自伝という性質上、病気の経過を正確に記す必要はない。また、一般読者が丸山ワクチンに効果があると受け取ったとしても仕方ないだろう。問題は、専門性を有しているはずの「医療ジャーナリスト」が体験談を無批判に受け入れてしまったことである。乳がんや子宮頸がんの専門医に取材すれば防げた誤りだったはずだが、木原氏はその手間を惜しんだように見える。


*1:URL:https://www.facebook.com/hiromi.kihara.775/posts/pfbid0XrPKLq6P2Bb4NhdkD5qFR9kxBnbbSVJ3FZpv7uBXgJgtWhV6tD4QSYqxdecZrp5vl

*2:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/15385137/

剖検データでは過剰診断を否定できない

要約:

  • 成人において、剖検では生前に診断されなかった甲状腺がんがたくさん見つかる。小さいがんがあまりにもたくさん見つかるので、現在の治療介入基準の10mmより大きいがんは相対的に少なく見えるが、発生率(罹患率)と比べると多い。
  • 小児の甲状腺がんが剖検で見つかっていないことは剖検される小児症例が少ないことで説明可能である。


甲状腺がんは、治療しなくても一生症状を出さずに終わるような病気まで見つけてしまう、いわゆる過剰診断が多いことが知られています。証拠は豊富にありますが、その一つが、剖検における甲状腺がんの多さです。剖検とは、亡くなった人の遺体を解剖して、死因や病気の有無・進行状況を調べることです。甲状腺がんの症状が出ていない人の甲状腺にがんが見つかることがあります。もしその人が生前に甲状腺検査を受けて甲状腺がんと診断されていたら、それは過剰診断です。

剖検における甲状腺がんの有病割合は、報告によっても差がありますが、おおむね10%とされていることが多いです。報告によって差があるというのが曲者で、約0.5%から30%超まで非常に幅があります*1。甲状腺がんは、一所懸命に探すとたくさん見つかるという特徴があります。甲状腺を細かい切片に切ってくまなく調べると、よりサイズの小さながんまで見つかるので、有病割合は高くなります。生きている人に対する検査も同様で、超音波検査で長い時間をかけて丁寧に走査して小さい結節まで徹底的に拾い上げる方針と、ざっくり大きな結節を見落とさなければよしとする方針では、見つかる甲状腺がんの数に差が出ます。ただ、超音波検査ではあまりにも小さいがんは見つけられないので、剖検のほうが有病割合の幅が大きくなりがちです。

たまに「剖検で発見された甲状腺がんのほとんどが10mm以下であり、治療介入基準の10mmより大きいがんはほとんどない。だから、10mmより大きい甲状腺がんは過剰診断ではない」といった意見を聞きますが誤りです。「一所懸命に探す」と、数mm以下の甲状腺がんがたくさん見つかります。よって、相対的に10mmより大きい甲状腺がんの割合は小さくなって当然です。言い換えると、分母を「サイズにかかわらず剖検で発見されたすべての甲状腺がんの数」、分子を「剖検で発見された10mmより大きい甲状腺がんの数」とした指標は、分母が「一所懸命に探す」かどうかに大きく依存するのでほとんど参考になりません。

剖検では10mm以下のがんがあまりにも多いため、相対的に10mmより大きいがんは少なく見えますが、それでも一般集団の発生率(罹患率)と比べるとより多くの10mmより大きい甲状腺がんが剖検で見つかっています。たとえば、フィンランドで行われた101例の連続した剖検から、36例52個の甲状腺がんが見つかりました*2。症例数とがんの個数が一致しないのは、一人の甲状腺から複数のがんが発見されることもあるからです。さて、52個の甲状腺がんのうち、10mmより大きいがんは2個のみです。これを「治療介入基準の10mmより大きいがんはほとんどない」と解釈するのは誤りです。たった101例しか調べていないのに、2個も見つかったと解釈すべきです。一方、52個という数字の重要性は低いです。もっと一所懸命に調べていたらもっとたくさんのがんが見つかったでしょうし、手を抜いていたらもっと少なかったはずです。

101例中2例は有病割合で言えば約2%です。有病割合を発生率(罹患率)と比べてみましょう。当時のフィンランドの甲状腺がん発生率は、およそ5人/10万人年でした。もし過剰診断がなかったとしたら、100人程度を剖検したところで10mmより大きい甲状腺がんが見つかる可能性はそれほど高くないことは直感的に理解できると思います。もうちょっと定量的に考察してみましょうか。潜在期間(がんが検査で検出可能になってから症状が出て臨床的に診断されるまでの期間)と有病割合と発生率の関係は、次のように表されます。


有病割合≒発生率×潜在期間


この式に基づいて潜在期間を計算すると、潜在期間 ≒ 有病割合 ÷ 発生率 = 0.02 ÷(5人/10万人年)= 400年となります。もちろん、ヒトは400年も生きませんので、10mmより大きい甲状腺がんであっても多くは過剰診断であることを示唆しています。後述するように、剖検データは過剰診断が起こり得ることを示すのは適切ですが、過剰診断の割合の定量には向いていません。そこをあえて計算したのは、過剰診断の多さを示唆する研究を誤って過剰診断はほとんどないという結論に結び付ける意見が散見されるからです。また、当然のことですが、101例の剖検で15mm以上の甲状腺がんが発見されなかったからといって、「15mm以上なら進行は止まらず、過剰診断ではない」とは言えません。もっとたくさん調べれば、15mm以上のがんが見つかるかもしれないではないですか。実際、1020例の連続剖検で19mmのがんが見つかったという報告があります*3

「剖検で見つかっていないので20mm以上は過剰診断ではない」という声が聞こえてきそうです。さすがに20mm以上となると過剰診断である可能性は小さくなるとは私も思いますが、過剰診断ではないとは断言はできません。無症状の人が受ける検診で、30mmを超える甲状腺がんが発見されることもあります。その人は30mmの甲状腺がんをかかえながら、検診を受けるまでは甲状腺がんと診断されずに過ごしていたのです。その人が症状が出る前に死んだとしたら過剰診断ということになります。頻度はまれなので剖検で見つかっていなくてもおかしくはありません。

「〇〇mm未満はほとんどが過剰診断で、〇〇mm以上はほとんど過剰診断ではない」といったカットオフ値はありません。「〇〇mm~△△mmのがんのうち過剰診断の割合は80%、△△mm~□□mmのがんのうち過剰診断の割合は50%、□□mm~××mmのがんのうち過剰診断の割合は20%」といったグラデーションであると考えるのが合理的です。そう考えると、「10mmより大きい甲状腺がんには過剰診断はほとんどない」といった誤りに陥らずに済みます。

そもそも、剖検によるデータは、過剰診断かどうかが問題になる大きな甲状腺がんがどれぐらいあるのか、という定量的な問題を考えるのに向いていません。まず、扱える症例数に限りがあります。19mmだと1000例調べて1例あるかないかですから、比較が困難です。だからといって10000人を剖検するとなると労力がものすごくかかって現実的ではありません。剖検よりも、実臨床のデータを使うほうが合理的です。超音波検査では1mmといったきわめて小さいがんは見落としてしまいますが、大きながんは超音波検査で見落とされるおそれは小さいです。

扱える症例数以外にも問題があって、剖検研究の対象者は「剖検されるような人」だけという、無視できないバイアスがあります。対象者の全例を「連続」して剖検することでバイアスを減らすことができますが、まとまった数の連続剖検が可能な施設は限られます。大学病院のような施設だと、他の死亡者と比べて生前に綿密な検査を受け、よって無症状の病変も発見・治療されてしまう傾向があります。これは過剰診断を過小評価する方向へ働きます。以上は、成人の甲状腺がんの話です。成人の甲状腺がんに過剰診断が多いこと、ガイドラインに基づいて抑制的な診断・治療を行っても多くの過剰診断・過剰治療が生じることは国際的なコンセンサスです。剖検データをもってこうしたコンセンサスを否定する言説はすべて間違いです

それでは小児はどうでしょうか。剖検で小児の甲状腺がんが見つかっていないことを理由に福島県における小児甲状腺がんは過剰診断ではないという意見がありますが誤りです。この誤りは統計的検出力についての理解不足に由来します。福島県の第一巡目では、約30万人を対象に検査を行い、116人が甲状腺がんまたはその疑いと診断されました。有病割合は約0.04%、約2500人に1人に相当します。平時の小児の甲状腺がん発生率と比べると高いですが、剖検データで論じるには低すぎます。福島県の第一巡目と比べようとすれば剖検例を2500例を集めてもまだ足りません。小児の甲状腺がんに関しては、過剰診断あるいは被ばくによる増加か否か、剖検データでは否定も肯定もできません。高齢者と比べて小児は死亡事例が少ないから当然ですが、小児の剖検事例はきわめて少ないです。加えて、小児は成人以上に「剖検されるような人」というバイアスが強くかかります。大学病院で死亡し剖検される小児症例は、一般的な小児と比べて多くの点で異なるでしょう。小児について、剖検データから過剰診断が起きていないとする言説はすべて間違いです。

知識だけあってもダメですが、最低限の知識は建設的な議論の前提です。過剰診断の定義や一般的ながん検診の疫学について知らないまま、福島県の小児症例について議論ができるでしょうか。知識を得る努力を怠り「既存の知見に頼らないで自分で考察」しようとするのは知的怠慢にすぎません。不正義や権威と戦うには知識が必要です。このブログが、読者のみなさんが過剰診断やがん検診の基本を学ぶ入口になればと思います。このブログが「わかる」へ一歩近づくきっかけになれば、これほどうれしいことはありません。