NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

9価HPVワクチンの臨床試験で対照群に4価HPVワクチンが使用された理由

2023年8月からX(旧Twitter)にて、「HPVワクチンの深刻な副反応・薬害としての自己免疫性脳症が、相当規模で存在していると推測」する立場である平岡厚さんと対話を続けています。さまざまな論点がありますが、今回は9価HPVワクチン(シルガード9)の臨床試験において、対照群に4価HPVワクチン(ガーダシル)が使用された件について解説します。

臨床試験において、9価HPVワクチンは、4価ワクチンでカバーしていない型に関連する高リスクの子宮頸部、外陰部、膣の疾患を予防し、また、安全性についても重篤な有害事象に関する臨床的に意味のある差は認められませんでした*1。9価HPVワクチンは十分に安全で有効であるというのが専門家のコンセンサスであり、日本でも2023年から公費で受けられるようになりました。

「9価HPVワクチンの臨床試験を1回くらいは生理食塩水を対照として行ってはどうか」という平岡さんの提案は倫理的に問題がある

一方、平岡さんは、「9価ワクチン(シルガード)の臨床試験で対照群に投与されたものが4価ワクチン(ガーダシル)というのは解せません」「1回くらいは生食が対照で行ってはどうか、と思います」と述べました*2。しかしながら、平岡さんは、臨床試験の倫理的原則を定めた国際規範であるヘルシンキ宣言をご理解していないように見えます。

ヘルシンキ宣言では、臨床試験の参加者の不利益を避けるため、新しい治療は最善と証明されている治療と比較されなければならないと定められています。9価HPVワクチンの臨床試験が行われる時点で、すでに4価HPVワクチンは十分に安全で効果的であることが証明されていた、というのが専門家のコンセンサスです。対照群を生理食塩水として臨床試験を行うと、対照群に振り分けられた参加者から安全で効果的なワクチンを適切な時期に接種する機会を奪うことになり、4価HPVワクチンがカバーするHPVによる前がん病変やHPV関連がんから守られないという不利益が生じます。

対照群に振り分けられた参加者に将来、ワクチンで予防できるはずだったHPV関連がんが生じた場合、平岡さんならどのように説明し、どのように責任を取りますか?という質問をこれまで少なくとも3回しましたが、いまだに具体的なお答えがありません。次のお返事のときには明確なお答えがあることを期待しています。

試験終了後のキャッチアップ接種や子宮頸がん検診では対照群への参加者の不利益は取り返せない

もしかすると、「当該ワクチン(9価HPVワクチン)の安全が確認されたという結果が得られたならば、(対照群の参加者は)それを受けることが出来ます」「適宜の検診を推奨されるのであれば、なとろむ先生が懸念される事態は生じ難い」というのがお答えのつもりであったかもしれません。しかしながら、HPVワクチンの接種時期や子宮頸がん検診の有効性や限界についての平岡さんのご理解はきわめて不十分であると言わざるを得ません。

HPVワクチンには適切な接種時期があります。HPVワクチンのキャッチアップ接種は、利益はあるものの適切な接種と比べて効果が低いことは複数の研究で示されています。試験終了後にキャッチアップ接種を受けるとしても、それまでにワクチンでカバーできたはずのHPVに感染してしまう参加者もいるでしょう。その参加者は、臨床試験が開始された時点ですでに有効で安全である証明されている既存のHPVワクチンを接種してもらえなかったせいで、HPV感染や前がん病変や浸潤子宮頸がんが生じるのです。

子宮頸がん検診は、浸潤子宮頸がんの発症や死亡を予防できる優れた手段ですが、100%予防できるわけではありませんし、偽陽性や過剰診断といった害もあります。そもそも、HPV感染や前がん病変は検診では予防できません。平岡さんに限らず、HPVワクチンに反対している人たちに共通してみられる傾向ですが、HPVワクチンの代替手段に子宮頸がん検診を持ち出すわりに、子宮頸がん検診の知識がきわめて乏しいのです。

平岡さんは以前、「子宮頸がん検診については不勉強なので情報を持ちません」とおっしゃったことがあります。つまり、「子宮頸がん検診については不勉強でよくは知らないけど、たぶん、検診をしていれば、対照群に生理食塩水を使っても大して不利益は起こらないだろう」と平岡さんは述べたのであって、検診の限界や害について十分に検討した上で、対照群に生理食塩水を使おうと提案したのではないのです。誠実な態度とは言えないと私は考えます。

そもそも、検診だけでは救命できない症例があり、また検診の害も問題になってきたがゆえにHPVワクチンが開発され、普及したという歴史的背景を知っていれば、「検診を推奨されるのであれば懸念される事態は生じ難い」などという言葉は出てこないはずです。平岡さんは「一部の人に重篤な副反応が生じても、それは無視してよいという思考がWHOの幹部を含む本件の多数派の中に潜在している」と推論していますが、HPVワクチンに反対する人たちの方にこそ、HPVワクチン接種の機会を奪われて不利益が生じても、それは無視してよいという思考が潜在しているのではないですか。

生理食塩水を対照に臨床試験を行っても反ワクチン主義者の疑念は払えない

平岡さんは「少数派とは言え安全性に疑義を唱える者もいることから、それでは実施する側として、疑念を払拭する機会を放棄しているように見えます」と言います。しかし、生理食塩水を対照にした臨床試験を行っても、現時点でHPVワクチンに反対している人たちの疑念が払拭されることはないでしょう。

仮の話として、生理食塩水を対照に臨床試験を行い、9価HPVワクチンの安全性が示されたとしましょう。それで、HPVワクチン反対者が「納得できた。9価HPVワクチンが安全であると認める」と言って反対意見を取り下げるなら、臨床試験をやる意義は少しはあるでしょう。しかし、それぐらいで彼らが反対意見を取り上げるはずがありません。

どのような研究にも一定の制限があります。たとえば、参加者数や観察期間には限界があります。「この臨床研究では有意差が示されなかったが、『HPVワクチンの重篤が副作用があるとは言えない』というだけで『重篤な副作用がない』と証明されたわけではない」などと言えばいいだけです。臨床試験が海外を中心に行われたのであれば、「海外の研究は参考にならない。同じ規模の研究を日本人で行うまで判断は保留すべき」など、いくらでも言えます。

実際に、平岡さんは、コクランの系統的レビューや複数の大規模な疫学研究の結果を突き付けられても自説を取り下げていません。これらの研究で「相当規模の薬害」が検出されないのは、平岡さんの主張によれば、「単独の各疾患とは同定され難い諸症状を示す」がゆえに通常の疫学調査では見つかり難いからのようです。だったら仮に生理食塩水を対照に臨床試験が行われ、実薬群との間で重篤有害事象の発生に差がなくても、平岡さんがご納得することはなさそうです。

生理食塩水を対照にした臨床試験に限らず、どのような証拠を突き付けられても、「副反応の症状が、明確に定義された疾患のカテゴリーというより非特異的な症状の集合体として現れているので、集計の際に取り零されたのではないか。今後どのように評価されて行くのか、注視して行きたい。将来、HPVワクチン薬害論の正当性の証明がなされることが可能であると認識している」と永遠に言い続けられます。どのような証拠でも平岡さんのご説は反証不可能なのです。