NATROMのブログ

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注釈なしにブログの文章を改変(2011年9月20日追加)

■武田邦彦 (中部大学): 日本人が大人になるチャンス・・・タバコの危険性において、いつものように、なんら注釈なく文章が改変されていた。





喫煙者で肺がんになる人の割合は600分の1であり、「喫煙で肺がんが増加する」ことがあり得ても、「喫煙すると肺がんになる可能性が高くなる」という表現は正確ではない。→喫煙者で肺がんになる人の割合は8%以下であり、「喫煙で肺がんが増加する」ことがあり得ても、「喫煙すると肺がんになる可能性が高くなる」という表現は正確かどうか不明である。


当初、「喫煙者で肺がんになる人の割合は600分の1であり」としていたのは、「約3000万人が喫煙している。それに対して肺がんは年間5万人」という数字から計算している。つまり、年間での数字。一方、「喫煙者で肺がんになる人の割合は8%以下」というのは年間ではなく生涯での数字になる。数字の単位にさえ気をつけていれば、どちらの数字を使用するのも自由である。しかし、武田氏は年間と生涯の区別について、よく理解できていない(参考:■1年1ミリを被曝すると、ガンにかかって死ぬ可能性が2倍に増える?)。

ここでは「喫煙すると肺がんになる可能性が高くなる」という表現が妥当かどうかを検討しよう。当初、武田氏は「表現は正確ではない」とし、後に、「表現は正確かどうか不明である」に後退した。いずれにしろ、「喫煙すると肺がんになる可能性が高くなる」という表現がなぜ正確とは言えないのか、理由は説明されていない。仮に、「喫煙者で肺がんになる人の割合は年間600分の1」であるのに対し、非喫煙者の群で年間6000分の1であったのなら、「喫煙すると肺がんになる可能性が高くなる」という表現は妥当であると私は考える。この表現が妥当でないなら、「100mSvの被曝を受けるとがんや白血病になる可能性が高くなる」という表現も正確でないことになる。

「肺がんになる可能性が高くなるか否か」については、相対リスクで評価すべきであるが、武田氏が持ち出したデータは喫煙率、平均寿命、年齢と罹患率のグラフのみである。相対リスクの話は出てこない。「お父さんとして書いている」と言い逃れはできない。このエントリーでは「科学者としての私は次のように判断します」と書いてあるからだ。科学者が、「肺がんになる可能性が高くなるか否か」の話をするのであれば、信頼できるコホート研究か症例対照研究を持ち出して、相対リスクの話をすべきである。しかし、武田邦彦氏は相対リスクの話をしなかった。疫学について無知だからだ。

武田邦彦氏に好意的な人は、「武田氏は、『恣意的にデータを使えばどんなことでも言える』ことを示すために、あえて間違った推論をしてみせた」と擁護しているようだ。しかし、その解釈は誤りである。過去の武田氏の喫煙に関するエントリーを読めばよくわかる。そもそも、「あえて間違った推論をしてみせた」のであれば、文章を改変する必要はないだろう。

武田氏は、(おそらく批判を受けてのち)「次回はまったく正反対になる予定」と付け加えた。次回の喫煙についてのエントリーが楽しみである。「社会的に影響を及ぼすほどの害があるのか」という話をしようとするなら、当然、集団寄与危険の話をすべきであろう。しかし、能動喫煙と放射線被曝について、これまでの武田氏の論調と矛盾しないように、集団寄与危険の話をするのは不可能である。