NATROMのブログ

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化学物質過敏症に関して厚労省見解と異なるパンフレットが自治体で紹介される理由

先日、maruさんが発表したnoteが注目を集めました。そのnoteでは、多くの自治体が提供する化学物質過敏症に関する情報が、厚生労働省の見解とは異なる「厚労省研究班のパンフレット」に基づいていることについて注意を喚起しています


■「化学物質過敏症」の伝え方 自治体掲載の「厚労省研究班のパンフレット」は厚労省の見解とは全然違う|maru
■[B! 医療] 「化学物質過敏症」の伝え方 自治体掲載の「厚労省研究班のパンフレット」は厚労省の見解とは全然違う|maru


化学物質過敏症の疾患概念については議論があるところで、医学界で広く認められている病名ではありません。化学物質過敏症という病名は、海外において化学物質と因果関係があるかどうか不明の症状まで化学物質のせいにしてインチキ医療を行う医療者たちに利用されてきました。たとえば、化学物質過敏症の第一人者とされているウィリアム・レイ医師は、ホメオパシーをはじめとした効果のない治療を行い、当局から医師免許取り消しの懲戒処分請求をされています*1。化学物質が原因だと断定できないことから、より中立的な「本態性環境不耐症(Idiopathic Environmental Intolerance:IEI)」という名称も提唱されています。詳しくは■化学物質過敏症に関する覚え書きを参照してください。

多くの人には影響しない量の化学物質が、感受性の強い一部の人たちには悪影響を起こすことはありえることです。しかしながら、化学物質過敏症では、臭覚閾値の10分の1以下の濃度といった超微量の化学物質や、相互に関係のない別の多くの種類の化学物質や、はては電磁波にも反応するというのは、相応の証拠がない限りは容易には信用できない主張です。なお、ときに混同されていますが、いわゆる「香害」と化学物質過敏症は区別されるべきだと私は考えます。強い匂いで体調が悪くなることは、医学的に疑わしい化学物質過敏症の疾患概念を使わなくても十分に説明可能です*2

厚労省研究班が化学物質過敏症について研究していたのは事実です。ウィリアム・レイ医師の影響を強く受けた医学者たちが化学物質過敏症の疾患概念を日本に伝えました*3。日本臨床環境医学会の初期メンバーの中には根拠が不十分な主張をする人もいました。「厚労省研究班のパンフレット」に名前がある石川哲氏もその一人です。パンフレットに記載されている解毒剤やビタミン剤の大量療法や「原因物質の投与による中和法」といったユニークな治療法は、ウィリアム・レイ医師が行っていたものです。海外のニセ医学を無批判に取り入れた一部の医学者のせいで「厚労省研究班のパンフレット」がつくられ、現在も紹介され続けてきているのが現状ではないかと、私は考えています。

厚労省研究班の研究の一つに二重盲検下における負荷テストがあります。化学物質過敏症の症状が微量の化学物質によるものであれば、化学物質負荷によって症状が生じるはずです。しかしながら、二重盲検下においては化学物質の曝露と自覚症状の間に関連は見い出されませんでした*4。厚労省研究班以外の研究でも同様の結果が得られています。

化学物質が原因ではないのに原因であると誤認させられた患者さんは、治るものも治りません。それどころか、根拠が不明な治療を受けさせられたり、化学物質フリーの「安全な」商品を高額で買わされたりします。現代社会では「化学物質」から完全に逃れることができませんので、社会生活が困難になることもあります。石川哲氏らの著作にはそのような患者さんがたくさん紹介されています。インクがダメなのでボールペンは使えず、新聞は天日干ししなければ読めず、無農薬ではない農産物は食べられず、交通機関は乗れず、かといって自動車にも乗れず、冷房や掃除機やパソコンは使えません。本当に化学物質や電磁波が原因であるのならともかく、誤認であるのならそう誤認させた医師の責任はきわめて重いと言えます。

2018年の厚生労働省資料においては「科学的には化学物質曝露と身体反応には関連はなく,症状の原因が化学物質とはいえない」と記載されています*5。各自治体においては、こうした情報も提供されるべきだと私は考えます。

科学的には化学物質曝露と身体反応には関連はなく,症状の原因が化学物質とはいえない