NATROMのブログ

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シックハウス症候群と化学物質過敏症は異なる

「化学物質過敏症」という疾患概念は公的には認められておらず、盲検法による負荷テストでは化学物質曝露と症状の関連は確認できません。化学物質過敏症とされる患者さんの症状が誘発される原因は化学物質ではないことが示唆されます。こうした化学物質過敏症の疾患概念に懐疑的な記事を書くと、「そうは言っても私は化学物質によって体調が悪化した」という声が寄せられます。

化学物質によって体調が悪化する患者さんの存在は否定していません。新築した家の建築材料や壁紙から出る化学物質(揮発性有機化合物)によって生じるシックハウス症候群はその典型的な事例です。お酒の強さに個人差があるように、特定の化学物質に対する耐性に個人差があることは当然のことです。Aさんには問題ない濃度の化学物質でもBさんには症状を引き起こすかもしれません。なお、化学物質だけではなくダニや真菌もシックハウス症候群の原因になります。

海外ではオフィスビルでの健康被害がまず問題になったことからシックハウス症候群ではなくシックビルディング症候群と呼ぶのが一般的ですが、いずれにせよ室内環境が健康被害をもたらしうることは医学界でコンセンサスが得られています。たまに混同されることがありますが、化学物質過敏症とシックハウス医症候群は異なる概念です。室内環境に由来する中毒やアレルギーが起きればシックハウス症候群と言えますが、化学物質過敏症ではありません。化学物質過敏症は慢性中毒やアレルギーよりもさらに微量の化学物質でも症状が生じ、関連のない多種類の化学物質や電磁波にも反応するとされています。

厚生労働省による化学物質負荷試験は、40ppbと8ppbの濃度のホルムアルデヒドによって行われました(■本態性多種化学物質過敏状態の調査研究報告書 | 報道発表資料 | 環境省)。これは、それぞれ室内濃度指針値80ppbの2分1と10分の1に相当します。もちろん臭いは感知できません。日本臨床環境医学会の初期メンバーである石川哲氏や宮田幹夫氏は、こうした超微量のホルムアルデヒドにも化学物質過敏症の患者さんは反応すると主張したのです。しかし、複数の研究で化学物質の曝露と症状に関連は認められませんでした。

化学物質過敏症にシックハウス症候群が先行することはよくあります。とはいえ、シックハウス症候群は、原因となる室内環境から離れると症状が改善する一方で、化学物質過敏症では必ずしもそうではありません。原因とされる化学物質だけでなく、農薬や食物添加物が使用された食物は食べられない、自動車は自分が乗るだけではなく車に乗った人が家に入るだけでも耐えられない、塩素が含まれている水道水は飲めない、掃除機・冷暖房器具・パソコン・ワープロは使えない、といった多種類の化学物質やときには電磁波にも反応します。

石油ストーブが使えないことから、ブリキ製の薪ストーブを使用している患者さんもいました。薪ストーブからはホルムアルデヒドをはじめとしたさまざまな揮発性有機化合物が生じます。指針値の10分の1といった微量のホルムアルデヒドやそのほかさまざまな「人工化学物質」には反応するとされているはずなのに、桜の端材を燃やした「天然の甘い香り」では症状は誘発されないのです。石川哲氏と宮田幹夫氏の著作にはこうした患者さんの事例がたくさん紹介されています。臨床環境医学がニセ医学だとみなされている理由の一端がお分かりいただけると思います。

「私は天然の香りにも反応する」という声もあるでしょうが、臭覚閾値以上の化学物質で症状が起きることは別に不思議ではありません。ホームセンターや家具売り場では独特の臭いがすることもあり、体調が悪くなる患者さんもいるでしょう。いわゆる「香害(こうがい)」もそうです。また、臭覚閾値以下であっても、何時間も何日間も続けて化学物質に曝露することで健康被害が生じることもありそうなことです。これらは科学的根拠に乏しい臨床環境医学でなくても説明可能です。

化学物質に反応しているのかそうでないのか、最終的には盲検下の負荷試験を行わなければわかりませんが、それでも患者さんを丁寧に診察することである程度は推定できると私は考えます。たとえば、あまりにも多種類の化学物質に反応すると訴える一方で天然物の煙には反応しない事例は、本当は化学物質に反応しているのではないと推定できます。しかし、臨床環境医はそのようには考えず、化学物質過敏症の重症例として紹介すべき典型的な事例だと考えるのです。盲検下の負荷試験では臨床環境医の診断の正当性は示されなかったのは前述の通りです。

科学的根拠の乏しい疾患概念はシックハウス症候群のような本当に化学物質による健康被害が生じている患者さんにも不利益をもたらします。化学物質過敏症とシックハウス症候群が混同されることで治療にも研究にも混乱が生じるからです。実際、化学物質過敏症の疾患概念に批判的であったシックハウス症候群の研究者は少なくありません。

たとえば、関西労災病院環境医学研究センター・シックハウス診療科の吉田辰夫氏の■特発性環境不耐症の臨床所見―シックハウス症候群との比較―において「IEI と SHS には症状に明確な差がある.その結果,IEI と SHS とでは自ずと対処の方向が異なると推測される.したがって,IEI を「広義の SHS」として SHS の概念に含めることは治療などに混乱をもたらすと考えられる」と論じられています。IEIは「本態性環境不耐症」で化学物質過敏症の中立的な言い換え、SHSはシックハウス症候群のことです。

日本で初めてシックハウス症候群の診断基準を作成した笹川征雄氏は■安易に化学物質過敏症と診断するな:日経メディカルにて、化学物質過敏症と診断されている患者を多く診療した経験から、症状の発現に再現性と整合性に欠けていることを指摘し、化学物質過敏症と診断された患者さんが「常に“原因物質”におびえながら、生活を続けることになってしまう」ことから、化学物質過敏症という病名を安易に口にすべきではないとしています。

前回ご紹介した「科学的には化学物質曝露と身体反応には関連はなく,症状の原因が化学物質とはいえない」と記載されている厚生労働省資料は、「科学的エビデンスに基づく新シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル改訂新版」*1であり、化学物質過敏症に触れられているのは一部です。それまで厚生労働省研究班には石川哲氏といった臨床環境医が参加していたせいで混乱が生じていたと私は考えます。

最近、いわゆる「香害」が問題視されていますが、やはり化学物質過敏症とは異なります。柔軟剤や洗剤などの強い香りで体調不良が生じることは、科学的根拠に乏しい疾患概念を使わなくても説明可能です。香害と化学物質過敏症を混同すると混乱を引き起こし、強い香りで苦しむ人たちに不利益をもたら得ると私は危惧します。医療従事者、メディア、各自治体の担当者の方は、上記にリンクしたような過去の化学物質過敏症を巡る議論について知識を得て、香害と化学物質過敏症とを区別してくださるようにお願いします。