高リスク者(現喫煙者・過去喫煙者)を対象とした低線量CTによる肺がん検診が、肺がん死亡率を下げるという複数のランダム化比較試験があります。高リスク者に限り、低線量CT肺がん検診が推奨されている国もあります。では低リスク者(非喫煙者)には?私の知る限りでは低リスク者に対し低線量CTによる肺がん検診を公的に推奨している国はありません。ただ、推奨されていなくてもやろうと思えばできます。なんなら日本でも自費でなら受けられますし、補助金を出している自治体すらあります。
台湾でも、低線量CT肺がん検診を比較的低価格(150~230ドル)で受けられ、特定のグループ(教師や消防士など)には無料のサービスとして提供されているそうです。台湾女性の約95%は喫煙習慣がなく肺がん低リスク者です。そのような人たちが低線量CT肺がん検診を受けた結果、肺がんの発生率や死亡率がどうなったのか、最近の研究をご紹介します。台湾の医療情報は政府によって一元管理・データベース化されており、こうした研究がよく行われています。
結果は、低線量CT肺がん検診の導入前の基準年と比較して、早期肺がん(ステージ0~I)の発生率が約6倍になった一方で、後期肺がん(ステージII~IV)の発生率や肺がん死亡率はおおむね安定したままでした。
進行がんの発生率やがん死亡率の増加を伴わないがん発生率の増加は過剰診断の存在を強く示唆しており、著者らは7000~12000人の過剰診断が発生していると推計しています。もちろん、この研究は人口ベースの生態学的研究であり、一定の制限はあります。しかし、既知の肺がんの危険因子(喫煙、受動喫煙、大気汚染)が減っているなか、何らかの原因で早期肺がんが6倍になるほどの真の増加があった一方で、後期肺がんの発生率や肺がん死亡率がこれほど安定している可能性はどれほどあるでしょうか。
この研究から興味深い教訓がいくつか得られます(がん検診や過剰診断に興味のある読者や、興味がなくてもがん診療に関わる医療者は、ぜひとも論文を読むことをお勧めします。全文無料で読めます)。一つは、がん検診の有効性は対象者のリスクによって変わることです。著者らは、低リスク者への低線量CT肺がん検診から利益を得られた人がいる可能性は否定していません。ですが、もともと肺がんリスクの低い人が検診から得られる利益は小さなものです。過剰診断や偽陽性といった害に見合うものでしょうか。
がん検診と生存率の関係についても教訓が得られます。低線量CT肺がん検診の導入後、肺がんの5年生存率は18%から40%へと劇的に上昇しました。同時期の他国でも肺がんの5年生存率は改善傾向にありましたが、台湾と比較するとわずかです*1。台湾は世界でももっとも肺がんの5年生存率が高い国となりました。
「5年生存率が改善したんだからいいことだ」と誤解している人もいらっしゃるでしょう。医師の中にもそのような誤解がまだ残っています。しかし、がん検診の有効性を5年生存率で評価してはいけません*2。過剰診断は見かけ上の5年生存率を上昇させます。5年生存率は、5年後に生存している人数(分子)をがんと診断された人数(分母)で割って計算します。検診によって死亡の原因にならないがんが多数発見されると、分母と分子が増え、検診がまったく生命予後の改善に寄与しなくても5年生存率が改善したように見えます。
検診によって早期がんが発見されること自体は検診の有効性を証明しないことも教訓の一つです。しかしながら、検診で早期がんが発見され、治療を受け、予後がよいと、検診のおかげで命が助かったと誤認します。患者さんも医師もです。台湾では肺がん検診で命を救われたという著名人や、医療関係者から、肺がん検診の保険適用を求める強い声があがっているそうです。逆説的ですが、■過剰診断が多いほど検診から恩恵を受けたと感じる人が多くなります。こうして「誤解を招くフィードバック」がはじまります。いったん検診が広まってしまうと、利益がなく害だけある検診でも中止することが難しくなります。
がんの治療を行っている医師は、がん検診の害を過小評価し、利益を過大評価する傾向があります。乳幼児の神経芽腫の場合でも、乳がんの場合でも、前立腺がんの場合でも、甲状腺がんの場合でもそうでした。進行したがんの患者さんをたくさん診て、「なんとか助けたかった、もっと早く診断、治療できていればよかったのに」という心から患者さんを助けたいという気持ちがそうさせているのはよくわかります。しかしながら、専門家たる医師は、検診の害や限界について十分に理解しておかなければなりません。発見率が胸部レントゲンより高いから、患者さんが希望するからといって、安易に胸部CTを撮影するべきではありません*3。
「我々は適正に診断、治療をしているのに、なぜ過剰診断なのか」と、がん治療を行う医師が抵抗を示すこともよくあります。しかし、がん検診において*4、過剰診断は医療過誤でも誤診でもありません*5。推奨された検診を行っても、治療する対象を慎重に選んで適正に治療しても、一定の割合で過剰診断は生じます。有用な薬やワクチンにも一定の割合で副作用が生じるのと似ています。薬の副作用が容認されるのは、副作用の害を薬から得られる利益が上回るからです。過剰診断をはじめとしたがん検診の害についても、がん死亡を減らすといった利益が上回る場合のみ容認されるべきです。そのためには、がん検診の害や利益について知らなければなりません。
*1:治療の進歩でも5年生存率は改善するが、台湾での5年生存率の上昇は治療の進歩では説明できない
*2:■検診で発見されたがんの予後が良くても、がん検診が有効だとは言えないのはなぜか?で詳しく解説した
*3: https://www.choosingwisely.org/patient-resources/ct-scans-to-find-lung-cancer-in-smokers/
*4:「治療しなくても症状を起こしたり、死亡の原因になったりしない病気を診断すること」という定義がよく採用されている。細かい違いはあるが大勢には影響しない
*5:https://www.phrp.com.au/issues/july-2017-volume-27-issue-3/what-is-overdiagnosis-and-why-should-we-take-it-seriously-in-cancer-screening/