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適切な比較がなくては因果関係の推論はできない

2023年8月からX(旧Twitter)にて、元杏林大学保健学部准教授の平岡厚さんと対話を続けています。HPVワクチンは安全で効果的というのが世界中の専門家のコンセンサスですが、平岡さんは「HPVワクチンの深刻な副反応・薬害としての自己免疫性脳症が、相当規模で存在していると推測」しておられます。

HPVワクチンが原因で自己免疫性脳症が相当規模で生じているとしたら、HPVワクチンを接種した集団では、ワクチンを接種していない集団と比較して、自己免疫性脳症の増加が観察できるはずです。しかし、平岡さんはそのような証拠を提示していません。その代わりに、免疫吸着やステロイドで副作用疑い患者の症状が改善したことや、髄液中の自己抗体の出現が根拠になると主張しています。しかし、いずれもHPVワクチンと諸症状の因果関係の証拠にはなりません。

免疫吸着やステロイドで副作用疑い患者の症状が改善したことは証拠にならない

副作用を疑う患者に対し、自己免疫が関与しているとの推測から免疫吸着やステロイド投与が試みられ、一定の症状の改善が得られたことは事実です。ですが、副作用が疑われる症状の原因がHPVワクチンだとする証拠にはなりません。免疫吸着やステロイドに特異的効果があるかどうかも不明ですし、仮に特異的効果があったとして症状がHPVワクチンが原因であるとは言えません。

現在、薬の効果を評価するのは二重盲検法による比較がスタンダードです。なぜなら、何も特異的効果のない治療であっても治療を受けただけで症状が改善したり、あるいは観察者が「症状が改善した」と評価したりするからです。とくに自覚症状をエンドポイントとして評価する場合はそうです。さまざまな理由で盲検化が困難な場合は、自覚症状のような主観的な指標ではなく、死亡のような主観が入らないエンドポイントにすることが望ましいです。

HPVワクチンの副作用が疑われる患者に対し、免疫吸着やステロイド投与といった治療を行った後に自覚症状が改善したとして、治療の特異的効果なのか、それともプラセボ効果や自然経過による変動なのか、区別できません。科学的懐疑主義の立場に立つのならば、特異的効果によるものなのかもしれないし、そうではないかもしれないと判断を保留すべきです。

しかしながら、平岡さんは、「公平に見て、重篤な症状を呈する患者に対する治療で最も効果を挙げているのは(中枢神経系に器質性傷害をもたらす薬害が起きている)立場の医師らによるステロイド(抗炎症剤)の投与や免疫吸着療法である」と書いています*1どの治療法が最も効果があるのかを評価するには比較が必要です。実際には、二重盲検法どころか、非盲検による比較すらされていません。公平どころか単なる平岡さんの私見に過ぎません。適正な査読が行われた論文にはこのような文章は載りません。

HPVワクチンの副作用疑い患者に対しては、認知行動療法による改善例が報告されています*2。代替医療であるカイロプラクティックによる改善例すらあります。もちろん、だからといって、副作用疑いが自己免疫性疾患ではないとか、HPVワクチンとの因果関係がないとかは言えません。とは言え、免疫吸着やステロイド投与による改善が特異的効果によるものとは限らないことを示唆しています。

また、免疫吸着やステロイド投与に特異的効果があったと仮定しても、HPVワクチンとの因果関係はわかりません。自己免疫の関与の示唆ぐらいは言えるかもしれませんが、自己免疫疾患はHPVワクチンの接種とは無関係に生じます。HPVワクチンと無関係の紛れ込み症例が免疫吸着やステロイド投与に反応しているだけかもしれません。

平岡さんがすべきだったのは、免疫吸着やステロイド投与が最も効果を挙げているという私見を披露することではなく、自己免疫性疾患をはじめとしたワクチンの副作用とされる疾患がHPVワクチンによって増加が観察されていない多くの研究に言及した上で、それでもなお薬害としての自己免疫性脳症が相当規模で存在すると推測できる理由について述べることでした。


髄液中の自己抗体は証拠にならない

副作用疑い患者における髄液所見がHPVワクチンがBBB(血液脳関門)損傷を引き起こす状況証拠である*3と平岡さんは主張していますが、誤りです。一つは髄液所見の意義が不明であることと、もう一つは髄液所見がBBB損傷を示しているとしてもHPVワクチンとの因果関係については何とも言えないからです。

副作用疑い患者における髄液所見を示した研究の例として平岡さんはTakahashi Yを挙げます*4。HPVワクチン後に中枢神経症状が長期間継続した32人の髄液所見を疾患対照(非炎症性の病因をもつ女性のてんかん患者)と比較しています。髄液所見のデータを得るのは難しいので疾患対照と比較するのはやむを得ませんが、副作用疑い群と対照の差をどう評価するのか判断が難しいです。たとえばCD4陽性T細胞は副作用疑い群で有意に多いですが、もしかすると対照となったてんかん患者で少ないだけかもしれません。

髄液中のインターロイキンや自己抗体の差についても、仮に何らかの自己免疫の関与を示しているとして、HPVワクチンとの因果関係はわかりません。なぜなら、自己免疫疾患はHPVワクチンの接種とは無関係に生じるからです。

BBB損傷の有無もわかりませんが、よしんば副作用疑い患者におけるこれらの髄液所見によってBBBの損傷が示されたと仮定したとしても、BBB損傷やHPVワクチンとの因果関係についてはわかりません。BBB損傷は非HPVワクチン接種者にも起きるからです。当の平岡さん自身が「器質性異常がなくてもストレスでBBBに異常を生じることが報告されて」いると述べています。HPVワクチンと無関係におきたBBB損傷の紛れ込みを観察しているだけかもしれません。

Takahashiらの研究では高橋自身が述べるように「因果関係は確定」できません*5。とはいえ、意味がないわけではありません。研究には何らかの限界があるのは当然です。HPVワクチンとの因果関係の有無にかかわらず、副作用疑い患者の特性を知ることは、病態解明や治療法に役立つかもしれません。あるいは、Takahashiらの研究は「HPVワクチンの深刻な副反応・薬害としての自己免疫性脳症が、相当規模で存在している」という平岡さんの仮説を否定する強力な証拠になります。というのも、自己免疫性脳症/脳炎では一般的に、髄液中の細胞数は上昇するのにもかかわらず、32人中32人全例に髄液細胞増加がないからです。


「髄液細胞増加がないのに自己免疫性脳炎の可能性が大、と平岡さんが考えるにいたった理由」について平岡さんに質問*6しましたが、いまのところお返事をもらっていません。ニセ科学の信奉者はしばしば質問に対して「まともに応える姿勢がない」一方で、科学的懐疑主義者は証拠に基づいて仮説を撤回することを厭わないでしょう。平岡さんが科学的懐疑主義の立場に立っていることを期待しています。

過去の教訓に学べ

平岡さんは重要視していませんが、HLA(ヒト白血球抗原)とHPVワクチンと副作用疑いの関係についても、一部の人たちに誤解が散見されます。2015から2016年にかけて、特定のHLAの対立遺伝子頻度(DPB1*05:01)が副作用疑い患者集団において対照集団と比較して高い、という信州大学医学部池田修一教授(当時)の研究班の報告および報道がありました。結局のところ、サンプルサイズを増やした追加の研究においては有意差が確認されませんでしたが、もし仮に、HLAと副作用疑いに何らかの相関があったとしても、HPVワクチンとの因果関係はわかりません。ワクチンと無関係のHLAと相関する何らかの疾患の紛れ込みかもしれないからです。

HPVワクチン以外のワクチンの安全性については平岡さんとは一定の合意が得られています。■有害事象報告ベースでは因果関係の推論はできないでも述べましたが、フランスではB型肝炎ワクチンと多発性硬化症の関連が疑われ、青少年に対するワクチン接種が中止になったことがあります。フランスの反ワクチン論者は、B型肝炎ワクチン接種後の重篤副作用疑い患者における、ステロイド治療の有効性や髄液所見やHLAとの相関について述べるかもしれません。いずれもワクチンとは無関係の紛れ込みで説明可能であって、ワクチンとの因果関係については何も言えません。

同様のことはミトコンドリアの異常や脳血流量の低下や「POTS,CRPS,CFSの患者とHPVワクチン接種後adverse effects(AE)を発症した患者の血中に共通の自己抗体」が存在することや「自己免疫が関与した脳内の慢性炎症にもとづく中枢神経障害」にも言えます*7。いずれも、ワクチンとの因果関係の証拠にはなりません。

脚気と食事の関係について大きな業績を残した高木兼寛の教訓を思い出します。現在では脚気はビタミンB1欠乏が原因だとわかっていますが、高木の時代には原因がわかっていませんでした。脚気患者の集団をいくら調べても原因はわかりません。副反応疑い患者集団の髄液や自己抗体やHLAを調べても原因がわからないのと同様です。

高木は比較実験を行い、脚気の原因が食事であることをつきとめました。練習艦の兵士に改善食(主として洋食)を与えた群と、与えなかった従来の群において、脚気の発生数を比較したのです(■やる夫で学ぶ脚気論争 )。1884年、いまから140年ほど前のことです。

問題になっているような重篤副作用疑いがHPVワクチン接種と因果関係があるかどうかは、科学的命題であり、科学的・医学的論議の対象です。高木と同じように、HPVワクチン接種群と非接種群において、重篤副作用の発生数を比較することで検証できます。そして、複数のそうした研究でHPVワクチンと重篤副作用の関係は示されませんでした。こうした証拠から目を背けるのは、平岡さんが自分の見解を「表向きは科学的命題であっても実際には価値的命題と認識している」からではないでしょうか。


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■甲状腺がん検診でPECOを学ぼう 高木の実験は、P:練習艦の兵士において、E:改善食を与えると、C:従来食と比較して、O:脚気の発生数は減るか?を検証した。HPVワクチン接種と重篤副作用とされる症状の因果関係を知りたいのであれば、P:HPVワクチン対象者となりうる若年女性において、E:HPVワクチンを接種すると、C:非接種と比較して、O:重篤副作用とされる症状を呈する患者の発生数は増えるか?を検証すればよい。