NATROMのブログ

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有害事象報告ベースでは因果関係の推論はできない

平岡厚さんとHPVワクチンの安全性に関する対話をはじめたわけ

2023年8月からX(旧Twitter)にて、元杏林大学保健学部准教授の平岡厚さんと対話を続けています。平岡さんは『HPVワクチン論争を再考する 推進派の主張の問題点を中心に』といった和文論文にて「HPVワクチンの深刻な副反応・薬害としての自己免疫性脳症が、相当規模で存在していると推測」しておられます。

一方で、HPVワクチンは安全で効果的というのが世界中の専門家のコンセンサスです。私の知る限りではHPVワクチンの定期接種が薬害の疑いのために中止になった国はありません。日本においても、定期接種は中止にはなっておらず、積極的な勧奨が差し控えられていた過ぎません。それでもWHOから「乏しい証拠に基づいた政策決定」だとして名指しで日本は批判されました。その後、日本でも2022年から積極的勧奨は再開されました。「相当規模の薬害」の存在を主張する平岡さんとの主張とは相容れません。

平岡さんと対話を試みた理由は、平岡さんが『「超自然現象」を批判的・科学的に究明する会』であるJAPAN SKEPTICSの役員であり、「いわゆる反ワクチン運動やホメオパシーなどの疑似科学の動き」に対して批判的であること、玉石混交のインターネット上の情報のうち受け入れてほぼ間違いないのは「然るべき学術誌の査読を通過し且つ肯定的な追試結果が得られ、科学研究者の共同体で広く受容されている命題」だという点について同意が得られているからです。建設的な議論が可能であると信じています。


有害事象報告は重要であるがバイアスの影響を強く受ける

平岡さんとの対話はtogetterでまとめています。かなり長く、全部読むのはたいへんですので、対話の中で明らかになった、重要な論点に絞って解説することにします。今回は、有害事象報告ベースでは因果関係の推論はできないという点についてお話します。有害事象とは、医薬品の投与の後に起こった好ましくない現象のことを指し、必ずしも因果関係があるとは限りません。こうした有害事象を、医師からの報告や患者自身の自発的な報告を含め、広く集めて解析可能にしたのが有害事象報告データベースです。

有害事象報告は、注意すべき副作用が存在する可能性を示すシグナルです。臨床試験で把握できなかった副作用が、有害事象報告をきっかけにわかることもあります。有害事象報告は軽視されるべきではなく真摯な対応が必要です。日本において、2013年の積極的な勧奨の差し控えは、現在の医学知識から振り返ってみれば必要はありませんでしたが、ワクチンの安全性についての情報が限定的であった当時としては合理的な判断であったとも言えます。

しかし一方で、有害事象報告はバイアスの影響をきわめて強く受けます。メディアやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で有害事象が話題になれば、それだけで有害事象報告は増えます。他のワクチンと比較して、あるワクチンの有害事象が多いというだけで、そのワクチンが危険だとは結論できません。


有害事象報告に頼らない多くの研究でHPVワクチンの安全性が示されている

有害事象報告ベースでは因果関係の推論ができないのであれば、どうような方法で検証すればよいのでしょうか。それは、ワクチンを接種した人とワクチンを接種しない人とを比較した、有害事象報告ベースとは異なるバイアスの小さい研究デザインです。そして、HPVワクチンに関しては、有害事象として報告されたさまざまな疾患、たとえばPOTS(体位性頻脈症候群)、ME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)、CRPS(複合性局所疼痛症候群)、自己免疫性疾患などに対し、多くの検証が行われました。その結果、現時点ではそうしたワクチンの副作用とされる疾患がHPVワクチンによって増加したことを示す十分な証拠は得られていません。「HPVワクチンは安全」というのは「然るべき学術誌の査読を通過し且つ肯定的な追試結果が得られ、科学研究者の共同体で広く受容されている命題」です。

厚生労働省のパンフレットにHPVワクチン接種後に生じた症状(重篤)の報告頻度が「1万人あたり6人」とありますが、これは副作用ではなく、因果関係を問わない有害事象のことです。HPVワクチンに肯定的な方にもたまに誤解がみられますが「(ワクチンの利益はその害を上回るが)重篤副作用の頻度は1万人あたり6人と小さいながら害がある」ことを意味しません。厚生労働省のいう1万人あたり6人は因果関係を問わないものを含んでいます。ワクチンのリスクについては慎重な立場で情報提供を行う厚生労働省と比べると、海外の公的機関はより明確で誤解されにくいメッセージを出しています。たとえば、米CDCは"HPV vaccination is very safe(HPVワクチン接種は非常に安全)"と書いています。

コンセンサスは必ず正しいと決まっているわけではなく、覆ることだってあります。常に検証は行われなければなりませんし、今も行われています。ただ、コンセンサスに反し、HPVワクチンに「相当規模の薬害」が存在すると主張するのであれば、HPVワクチンが安全だとされている先行研究について言及し、批判的に検証すべきです。そうした言及のない論文は学術的には価値が低いものとみなさざるを得ません。


有害事象報告ベースによる誤った主張の例

有害事象報告を悪用してワクチンの危険性を主張するのは「いわゆる反ワクチン運動などの疑似科学」の常套手段です。いくつか例を挙げましょう。海外の反ワクチンサイトを引用して、2009/2010年のインフルエンザ接種によって、アメリカ合衆国の有害事象報告データベースにおいて胎児死亡が42.5倍になったという主張がありました。


■「ワクチン接種による胎児死亡率の増加が4000パーセントを超えています!」 - NATROMのブログ


前年までは通常の季節性インフルエンザワクチンを接種していた一方で、問題となったシーズンはH1N1(新型インフルエンザ)ワクチンを接種しました。複数の質の良い研究ではH1N1ワクチンは胎児死亡を増やすどころか、むしろ減らすことが示されています。増えたのは有害事象報告であって胎児死亡そのものではありません。前年まではワクチン接種後に胎児死亡があっても有害事象として報告されないこともあったでしょうが*1、新しいワクチンなので注目を引き、より報告されたのでしょう。さらに翌年は、医師やワクチン接種者が「慣れた」ため報告数は減りました。有害事象報告はバイアスが大きく、因果関係の推論には利用できないことがこの事例からわかります。

新規ワクチンに対して有害事象報告が増える現象はウェーバー効果としてよく知られています。HPVワクチンについても、アメリカ合衆国においてワクチン導入後の有害事象報告数が急増およびその後の減少が観察されています*2

フランスでB型肝炎ワクチンと多発性硬化症の関連が疑われ、青少年に対するワクチン接種が中止になったことがあります。どこかで聞いたような話です。ワクチン接種を中止したフランス政府の科学的根拠に乏しい判断がWHOから怒られたことまで似ています。ワクチン接種が中止になれば、ワクチン接種と多発性硬化症との間に因果関係があろうとなかろうと、ワクチン接種後の有害事象報告も減ります。当たり前ですね。ですが、この当たり前の事実が反ワクチンに利用されます*3

「いわゆる反ワクチン」論者が「B型肝炎ワクチン接種者が殆どいなかった時期に多発性硬化症の有害事象報告が激減した」などと主張しても、有害事象報告ベースでは因果関係の推論はできないことを十分に知っていれば騙されずに済みます。もしフランスにおいて、青少年に対するB型ワクチン接種を再開したとして、しばらくは有害事象報告は続くでしょう。なんなら「いわゆる反ワクチン運動」が活動を続ける限り、「副反応の疑いのある症例の割合」の比較で突出して高い数値が続くかもしれません。

平岡さんは、「いわゆる反ワクチン」論者と異なり、HPVワクチン以外のワクチンの有用性についてはコンセンサスに準じた考え方をしていらっしゃいます。しかしながら、有害事象報告ベースで因果関係を論じるといった不適切な方法を使えば、任意のワクチン、任意の薬について、危険性を主張することができます。「H1N1ワクチンもB型肝炎ワクチンもHPVワクチンも危険なのだ」と主張するならまだ首尾一貫していますが、HPVワクチンのみことさらに危険だとみなす理由は十分には明らかになっていません。平岡さんには、ご自身の主張が「いわゆる反ワクチン運動などの疑似科学」といったいどう違うのかを示す必要があります。今後の対話に期待いたします。



参考文献:
平岡厚、HPV ワクチン論争を再考する 推進派の主張の問題点を中心に、
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shakairinsho/28/3/28_13/_article/-char/ja/

Global Advisory Committee on Vaccine safety Statement on Safety of HPV vaccines 17 December 2015、WHOが「乏しい証拠に基づいた政策決定」と日本を名指しで批判
https://cdn-auth-cms.who.int/media/docs/default-source/pvg/vaccine-safety/gacvs/gacvs_hpv_statement_17dec2015.pdf

Eberth JM et.a., The role of media and the Internet on vaccine adverse event reporting: a case study of human papillomavirus vaccination、メディアやインターネットが有害事象報告の増加を促進する可能性
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24257032/

Hviid A et al., Association between quadrivalent human papillomavirus vaccination and selected syndromes with autonomic dysfunction in Danish females: population based, self-controlled, case series analysis、デンマークの人口ベース自己対照ケースシリーズ研究。ワクチン接種とCSF、CRPS、またはPOTSとの因果関係を支持しない
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/32878745/

Feiring B et al., HPV vaccination and risk of chronic fatigue syndrome/myalgic encephalomyelitis: A nationwide register-based study from Norway、ノルウェイの全国登録ベース研究。ワクチンとME/CFSは関連せず
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/28648542/

Genovese C et al., HPV vaccine and autoimmune diseases: systematic review and meta-analysis of the literature、メタ解析。ワクチンと自己免疫性疾患に相関関係なし
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30397675/

Arbyn M et al., Prophylactic vaccination against human papillomaviruses to prevent cervical cancer and its precursors、コクラン。ランダム化比較試験のメタ解析。重篤な有害事象のリスクは対照ワクチンと HPVワクチンの間で同様。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/29740819/

HPVワクチンについて知ってください~あなたと関係のある“がん”があります~
https://www.mhlw.go.jp/content/000901927.pdf

HPV Vaccination is Safe and Effective(米CDC)
https://www.cdc.gov/hpv/parents/vaccinesafety.html

Monteyne P and André FE, Is there a causal link between hepatitis B vaccination and multiple sclerosis? フランスにおいてメディア主導の恐怖キャンペーンが展開され特にフランス語圏ではB型肝炎ワクチン接種が受け入れられなくなったが、この状況はワクチン接種と多発性硬化症との因果関係を裏付ける科学的データがないにもかかわらず生じた。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/10706960/

■平岡厚さんと名取宏(NATROM)とのHPVワクチンを巡る対話。 - Togetter
■平岡厚さんと名取宏(NATROM)とのHPVワクチンを巡る対話。その2。 - Togetter
■平岡厚さんと名取宏(NATROM)とのHPVワクチンを巡る対話。その3。 - Togetter
■平岡厚さんと名取宏(NATROM)とのHPVワクチンを巡る対話。その4。 - Togetter


*1:なお、「有害事象報告ベースでは因果関係の推論はできない」ということは、因果関係がないという推論にも使えないということでもある。副作用が生じても報告されないかもしれない。

*2:引用において「免疫抑制報告システム」は「有害事象報告システム」のミスタイプ

*3:引用者注の「専門家のコンセンサスではB型肝炎と多発性硬化症には因果関係はない」は正しくは「専門家のコンセンサスではB型肝炎ワクチンと多発性硬化症には因果関係はない」