■パワフル・プラセボ―古代の祈祷師から現代の医師まで Arthur K.Shapiro (著), Elaine Shapiro (著), 赤居 正美 (翻訳), 滝川 一興 (翻訳), 藤谷 順子 (翻訳) 。
原著は1997年。著者は精神科医。内容はかなりマニアック。主要な文献を網羅して逐一述べているという印象。そのため、結論がわかりにくい。というか、プラセボ効果について、明らかな結論というものはないのであろう。プラセボや、臨床試験、二重盲検法の発達の歴史はきわめて詳しい。裏を返せば、現在のコンセンサスについて述べた本ではないということ。それでも、いくつか興味深い論点があった。
二重盲検法はしばしば盲検性が「解除される」。大部分の試験では、「うりふたつの一致したプラセボ」が使用されるが、味やにおいや錠剤の感触などを手掛かりに、プラセボと実薬の違いが見抜かれてしまう。また、医師も、副作用の有無や、用量の差(作用のないプラセボだと用量が増やされる傾向がある)で、やはり違いを見抜く。
患者は投与されているものがプラセボか実薬かを識別しようと頻繁に試みること、プラセボを投与されていると気づいた患者は脱落する傾向があること、患者・医師・スタッフらは実薬とプラセボを識別できることが研究で示されている。実薬とプラセボを完全に一致させることができないと、二重盲検デザインはしばしば損なわれたり、盲検性が解除されたりする。(P266)
この問題を解決するために、風味をつけたり、ある程度の活性を持つプラセボの使用などが提案されている。著者らの提案するプラセボの定義は、活性の有無を問わない。
―プラセボとは、意図的計画的にその非特異的・心理的・精神生理学的治療効果を期待するものであり、患者・症状・疾病に対する特異的効果があるにしても、治験対象に対しては非特異的なあらゆる治療(またはあらゆる治療要素)をいう。
―また、実験的研究で対照として使う場合、プラセボは治験対象に対し特異作用を持たない物質や方法をいう。
―プラセボ効果とは、プラセボによって生じる非特異的・心理的・精神生理学的治療効果をいう。(P55)
正直言うと、著者らの提案する定義を採用すると、どのような利点があるのか、私には理解できなかった。その他、興味深い点は、肯定的なプラセボ効果を引き出す患者側の要因についてだった。当たり前のようだが、治療についての患者の好みがプラセボ効果に影響する。薬剤による治療を期待する患者は、薬剤のプラセボに肯定的な反応をする傾向があるとする研究がある。これはどういうことかというと、
さらにプラセボの形態は、患者の推測・信念・宗教・文化・治療への好みに一致しているはずで、治療手段に対する現今の社会通念や熱心さとも大抵一致しているはずである。つまり、有機食品やビタミンの熱心な支持者にとっての適切なプラセボ刺激は、ビタミンか果物や野菜からの濃厚抽出液といった、合成品ではない自然物質からなる錠剤となるだろう。精神分析を好む傾向のある人々は、薬剤にもクリスチャン・サイエンス派にも肯定的なプラセボ反応を示さないと思われる。(P292)
たとえば、ホメオパシーを信じている患者には、ホメオパシーは効くが、他の形態のプラセボはそれほど効かないのだろう。ありそうな話である。これは、「ホメオパシーのレメディはプラセボなのだから代替が効く。ホメオパシーは排除すべし」というホメオパシー批判に不利な証拠となる。ホメオパシーを信じている人たちには、他のプラセボではなく、ホメオパシーのレメディを与えるべきなのかもしれない。
また、文化によってプラセボ効果が異なりうる。鍼の効果が信じられている文化背景では、鍼は良く効くのかもしれない。■「虚構体系」の効果で少し論じた。
ただし、上記引用した部分は、不安および抑うつ症状、つまり精神的症状に対する研究についてである。「われわれはまだ、プラセボや他の非特異的治療が身体疾患に対して特異的で意義のある効果を持つのかという疑問に答えることができない。(中略)われわれが行ったデータに基づく文献の批判的レビューでは、プラセボや心理的要素が身体疾患に特異的な生理効果を持つとの考え方を証明するものではなかった(P301)」とある。