がんに関する不正確な情報の一つに「がん死亡数が増え続けているのは先進国では日本だけ」「がん死亡数は欧米では減っているが日本だけ増加し続けている」というものがある。「抗がん剤は害しかない」「がん検診は無駄だ」「残留農薬や添加物が多い食事が原因だ」とかいったニセ医学的な主張と同時に言われていることもしばしばだ*1。
日本のがん死亡数増加の主因は高齢化である。他の要因が変わらなくても高齢者の人口が増えれば、がんで死亡する人の数は増える。生活習慣や公衆衛生、医療環境が改善され、他の病気でなかなか死ななくなる一方で少子化が進み、人口全体が高齢化すると、相対的にがんの死亡数や粗死亡率*2は増える。
一方、高齢化の影響を補正した年齢調整死亡率は、他の先進国と同じく、日本でも減少している。ただ、「がん死亡数が増え続けているのは先進国では日本だけ」というデマに対抗して高齢化の影響を持ちだすと、「他の先進国でも高齢化は進んでいるのになぜ日本だけがん死亡数が増えるのか」という反論を受ける。ごもっともな反論であるが、一つ難点がある。というのも、がん死亡数が増えている先進国は日本だけではないのだ。
アメリカ合衆国でもがん死亡者数は増えている
世界各国のがん死亡の統計は、WHOのサイト「■WHO cancer mortality database (IARC)」で利用できる。いくつかの国の、全がん(All cancers)の死亡数(Number of deaths)の推移のグラフを提示する。まず日本。
次にアメリカ合衆国。1990年半ばより増加がなだらかになるが、それでもがん死亡数は増え続けている。「がん死亡数が増え続けているのは先進国では日本だけ」という主張が誤りであることを示すにはアメリカ合衆国の例で十分だろう。
他の欧米諸国ではどうか
ほかの国々。主要国としてイギリス、ドイツ、フランス、イタリアを、東欧としてポーランド、北欧としてフィンランドを選んだ。縦軸はそれぞれの図で異なるので注意。イギリス男女やドイツ女性で一時的な減少はみられるものの、がん死亡者数の増加は珍しくないパターンであることがわかる。
年齢調整死亡率は
それぞれの国での男女別の全がんの年齢調整死亡率のグラフも提示しておく。どの国も最近はがん死亡率が減っている。また、各国と比較しても日本の全がんの年齢調整死亡率は低いことがわかるだろう。とくに日本女性はここに挙げた各国のなかでは最もがん死亡率が低い。
HPVワクチンの導入がうまくいかなかったとか、がん検診の受診率が相対的に低いとか、日本特有の事情はあるが全体的に言えば些細なことである*3。欧米各国と比較して日本でだけ極端に低レベルのがん治療を行っていたり、残留農薬や添加物が多い食事をしていたりはしない。日本の長い平均寿命も思いだしてみて欲しい。
「がん死亡数が増え続けているのは先進国では日本だけ」という誤った情報の出所の一つは東京大学医学部附属病院放射線科総合放射線腫瘍学講座特任教授の中川恵一氏である*4。もちろん中川氏は、がん治療や生活習慣ががん死亡数の増加の原因だとはみなしておらず、標準医療を推進する立場に立っている。しかしながら、中川氏の主張は標準医療否定の理由付けに利用されており、撤回・訂正されるべきだと私は考える。
*1:「食の欧米化が原因だ」というバリエーションもあった。一見おかしいが、他の欧米諸国のがん死亡数は高止まりしたと考えればいちおうは説明がつく。実際のところ食の欧米化の影響は単純ではなく、おそらく、乳がんや大腸がんを増やす一方で胃がんを減らす
*2:年齢調整されていない死亡率
*3:HPVワクチンの影響はまだがん死の統計では見えない。がん検診の受診率の影響も相対的には小さい
*4:たとえば https://mainichi.jp/articles/20220523/ddm/013/040/039000c , https://project.nikkeibp.co.jp/HumanCapital/atcl/column/00070/060100002/ , https://gendai.ismedia.jp/articles/-/40436