NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

「過剰診療」ってどういうこと?怪文書から学ぶ医療保険のしくみ

「東京の小児科で受け取ったお知らせ」

「子供達を守ろうとするお医者さんに圧力がかかっている」として、「東京の小児科で受け取ったお知らせ」が話題になっている。■#原発 『東京での甲状腺検査に過剰診療と圧力が!』の巻 - Togetterより引用する。



小児の甲状腺検査について


本年5月診療分にさかのぼり、甲状腺検査の保険請求分が急に支払い拒否されました


不払いの理由は「過剰診療」ということで、
「今後、小児に関して、福島県立医大以外の甲状腺検査はうけさせない」という
厚生労働省のメッセージ(脅し)です


本来到底受け入れられることではありませんが、
今後も皆さんの甲状腺検査は続けていかねばなりません


すでに当院は「マークされている」ので
今後 甲状腺検査は保険診療でなく 健康相談(自費診療)として行います
甲状腺検査に関わる¥10490のうち¥4500を負担してください


大本の画像は既に削除されている。医療機関や医師の名前が明示されておらず、怪文書の類とみなしてよいと思う。本当に「東京の小児科」で配布されたのか、捏造ではないかと疑う人もいる。捏造の可能性は否定できないが、このような「お知らせ」を配布してしまう医療機関があったとしても不思議ではないと個人的には考える。しかしながら、「厚生労働省のメッセージ(脅し)」というのはもちろん事実ではない。すでにTogetterにて考察がなされているが、いったいなぜこんなことになったのかを解説してみよう。

まずは日本の医療保険制度の解説を

日本では国民皆保険制度が採用されている。詳しくは■国民皆保険制度がわりとうまくいっていた理由で解説したが、要は皆さんが医療機関を受診したら、その費用の(たとえば)3割のみを自己負担として患者さんが支払い、残りの7割は保険者が支払うという仕組みである。





国民皆保険制度


医療機関が保険者に対して「こういう患者さんにこういう治療をしたから7割分を払ってちょ」と診療報酬を請求する。そのときの請求書がレセプト。保険者は医療機関の請求をそのまんま払ったりはしない。まあなるべく支払うお金は少なくしたいから当然ことだよね。保険者がレセプトを審査して「この患者さんにこういう検査や治療は不要だろ。だから支払わない」なんてことがある(査定)。たまに医学的に必要な治療をしても理不尽な査定をされることもあり、これはこれで問題なんだけど、一方でこういう審査がなければ医療費がどんどん高くなってしまう。儲けるための、あるいはそうでなくても経済的なことを一切考慮しない医療行為を保険者による査定が抑制する。

過剰診療の例

通常、行った検査・治療などの診療内容や病名がレセプトに記載されるが、カルテのように詳細な病歴は載せない。なので、ズルをしようと思えばできる。たとえば医療機関が儲けるために医学的に必要のない頭部CTを行っても、レセプトに「クモ膜下出血の疑い」なんて架空の病名をつけておけば、保険者がこのズルを見抜くことは難しい。

ただし、1人2人ではなく、多数の患者さんで同じことをすればさすがにバレる確率が高くなる。レセプトはまとめて保険者が審査するので、医療機関の規模に対してあまりにも多くの患者さんが「クモ膜下出血の疑い」で頭部CTを受けていれば、「なんかおかしくね?こんなにクモ膜下出血の疑いの患者さんがいるわけないだろ」と気付かれる。結果、この医療機関は保険者に「マークされる」ことになる。保険者によるレセプト審査によって、医療機関が医学的に必要のない高額な検査をバンバン行って公的保険を食いものしつつ儲け続けることができないようになっているわけ。

「小児の甲状腺検査」については?

冒頭の「小児の甲状腺検査」についても同様のことだったのだろう。小児の甲状腺検査が医学的に必要になる事態など、クモ膜下出血の疑いよりも稀である。同一の医療機関で、小児の甲状腺検査を数多く行っていたら、「過剰診療」とみなされて「甲状腺検査の保険請求分が支払い拒否され」てもおかしくはない。「保険請求分」を支払うのは保険者であって厚生労働省は関係ない。保険者は多くの被保険者からお金を預かって保険を運営しているので、不自然に高額な検査を行っている医療機関を「マークする」のは当然の責務である。

検査が本当に医学的に必要であったのに不当に査定されたのであれば、医療機関は保険者に対して再審査請求(「この検査はこれこれこういう理由で医学的に必要なんだよ。わかったか。わかったら金払え」という内容をマイルドに書く)を行うことができる。医学的に必要であった理由を述べられないのであれば、再審査請求はできず、自腹を切るか患者さんに自費診療として負担を求めるしかない。「小児の甲状腺検査」の事例についてはそのようである。

厚生労働省の脅しの可能性は?

仮の話として、厚生労働省が、「今後、小児に関して、福島県立医大以外の甲状腺検査はうけさせない」ことを目的に、医学的に必要な病態であっても小児の甲状腺検査の診療報酬支払いを停止させたとしよう(厚生労働省にそのような権限はないけれどもあくまで仮の話として)。果たして医師たちが唯唯諾諾と厚生労働省に従うだろうか。一医療機関が患者さんに稚拙な内容の「お知らせ」を配る前に、日本医師会やら日本内分泌学会やらが大々的に厚生労働省を批判するに決まっている。だいたい、原発事故とは無関係に甲状腺疾患に罹る小児は一定の割合で生じている。全部福島県に集めるとでも言うのか。

まともな医療機関は、医学的に必要のない甲状腺検査を保険診療では行わない。よって支払い拒否されることもない。「厚生労働省のメッセージ(脅し)」というのは(「怪文書」が捏造でないとすれば)単に過剰診療と判断されて保険者に支払い拒否された医師の根拠のない想像であろう。