NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

昔時の様な治療が行われるかもという杞憂

なんでも、エジプトの遺跡や平安時代の文章にも「最近の若いものはなっとらん」的な言葉があるそうで、「昔も今も変わらない」という話の枕に使われてたりしている。一方、日本の脚気の患者数は昔と比較すると激減したわけだが、死亡者の統計はあれども、その内訳、ことに衝心脚気の統計がなかなか見つからない。ただ、少なくとも衝心脚気が大正時代に消失したわけではないことは、■なぜ大正時代に衝心脚気が無くなったのか?で述べた通りである。

今回は、昭和13年の西山信光(医学博士・耳鼻咽喉科)による『入澤博士の「日本と欧州に於ける内科疾病頻度の相違」を読みて』という論説*1を紹介しよう。論説というか、エッセイに近い。昭和13年は西暦で言うと1938年。鈴木梅太郎によるオリザニンの精製から28年後、臨時脚気病調査会が「脚気はビタミンB欠乏を主因としておこる」という結論を下した1924年から14年後のことである。そのころには東京では脚気に罹る人が少なくなり、その要因は衛生思想の普及にあると西山は推測している。既にビタミンB以外の脚気の治療法は過去のものであった。



聞くところによれば昔は脚気患者の療法は麦飯を食せしめ、薬剤としては硫酸「マグネシウム」を服用せしめたに過ぎなかったそうである。従って罹病者並に死亡者の率がかなり高かったので、識者は邦人に特発するこの病気を根絶しなければ国家のために由々しき大事であると憂慮して不断の努力、研究の結果、遂に今日の好成績を収めて罹病者を激減せむる様になったことは実に慶ぶべきである。


硫酸マグネシウムは下剤として使われていたようで、むろんのこと脚気には効果はなく、気休め程度。



然るに国民保険だとか、健康保険が出来て物価は日に日に騰貴する。殊に薬品の価格はおおよそ高いものであるのに、無闇矢鱈に安価治療を強請せられるが、かくては治療の低下は免かれず、再び逆転して昔時の様な治療が行われて病者の不幸を招来するのではないかと甚だ杞憂に堪えない。


コストを削減すると医療の質が犠牲になりますよ、という話。どこかで聞いたような話だね。



私は先頃ある内科医の人にこの話をしたら、その人曰く、「イヤ実際にそういう例に遭遇したことがある。急病者があるというので往診を乞われて行って見たら、衝心脚気であった。今日迄の経過を尋ねたところ、某慈善病院の治療を受けていたという。家人の差出す処方を見ると硫酸「マグネシウム」を投与せられてあった。しかしてその患者は遂に死亡した」と。


そのうち、貧乏人にはクモ膜下出血が強く疑われても頭部CTを撮らない、心筋梗塞を起こしても緊急カテしないようになるかもしれないよ。杞憂であるのならいいのだが。

*1:西山信光、入澤博士の「日本と欧州に於ける内科疾病頻度の相違」を読みて(脚気、猩紅熱等)、実験医報 第24年第287号P1589〜(1938年=昭和13年)、引用者によって旧かなづかい・旧字等を改めた。