最近、脚気づいているのは、脚気とカビ毒に関する異説を紹介する前に定説を理解してもらおうって流れから。今回は、脚気の病型の一つである衝心脚気(しょうしんかっけ)についての医学的定説を紹介する。というのも、「衝心脚気は通常の型の脚気とは区別される独立した疾患であり、ビタミン欠乏とは直接関わりがない」という(定説とは異なる)主張があるからである。さあ、どんどん話がマニアックになっていくよ。
衝心脚気は英語でcardiac acute beriberi(心臓急性脚気)、acute cardiovascular beriberi(急性心血管性脚気)、fulminant cardiac beriberi(劇症心臓性脚気)とか呼ばれることもあるが、Shoshin beriberiというのが一般的であるようだ。Shoshinはそのまんま衝心で、beriberiは脚気のこと。現在、英文の医学論文検索エンジンであるPubmedで"Shoshin beriberi"は59件、和文の医学論文検索エンジンである医中誌*1で「衝心脚気」は113件ひっかかる。古い論文も含めればもっとたくさんあるだろう。
脚気は大きくわけて、神経症状が優位なもの(dry beriberi)と、心血管症状が優位なもの(wet beriberi)に分けられる。心症状が優位なもののうち、急性で劇的な経過をたどるものが衝心脚気というわけ。dry beriberiとwet beriberiがくっきり区別できるわけではなく、その混合型も多くある。衝心脚気についても通常の型の脚気と完全に区別できるわけではなく、軽度の脚気症状を持つものが、運動、発熱、分娩などを誘引として急激に悪化することが多いとされている。白米を食べる習慣のない国では、脚気の多くがアルコール多飲と関連する。アルコールそのものがビタミンB1を消耗させ、あるいは貧弱な食習慣がビタミンB1摂取不足につながるからである。よくリファレンスに挙げられている1960年のThe New England Journal of Medicineの論文*2から簡単に紹介する。(ちなみにThe New England Journal of Medicineという雑誌は、臨床系でもっとも権威があるとされているものの一つ)。
ホントにShoshin beriberiと書いてあるだろ? |
症例1: 37歳女性。1週間前から軽度の息切れを自覚していたが、酷い息切れが急激に生じたため入院。家族からの情報では、3週間前からアルコールを多飲し、食事はほとんど取っていなかった。入院の数日前から足の裏の痛みと下肢の浮腫を訴えていた。入院時の血圧70/0、脈拍120、呼吸数48。強心剤、ステロイド、全血輸血等の治療を受けるも、11時間後に死亡。
症例2: 54歳男性。急性の呼吸苦のため入院。30年来の大酒家で、5〜6日間前から食事を取っておらず、重度のちくちくした痛みおよび感覚低下を足の裏に認めていた。血圧70/50、脈拍124、呼吸数36。強心剤などの治療と並行して、300mgのチアミン(ビタミンB1)を静脈注射したところ、4時間後にはチアノーゼがとれ、血圧も140/80と回復した。
ポイントは、軽度の脚気症状が先行していたこと。考察には"The acute fulminant cardiac failure is usually superimposed on a chronic beriberi state.(急性劇症心不全は、通常、慢性の脚気状態に併発する)"とある。ビタミンB1が著効するのもポイント。"It has been demonstrated beyond doubt that Shoshin beriberi is a deficiency disease.(衝心脚気が欠乏性疾患であることは疑いようもなく論証された)"ともある*3。言うまでもないが、通常の型の脚気にもビタミンB1は効く。
アルコール多飲者だけでなく、ビタミンBの補給なしに長期の中心静脈栄養を行うと衝心脚気を起こすことが報告されている。また、白米を食べる習慣がある日本では、アルコール多飲や医原性のほか、極端な偏食、ダイエット、健康食品などによっても発症する。最近の日本の症例*4を紹介する。()内は私による補足である。
症例:42歳女性、主訴は浮腫・倦怠感。2005年2月インフルエンザ罹患を契機に症状悪化し、近医にて体重増加および心拡大が認められたため2月下旬に入院。入院時、血圧102/64mmHg、脈拍 84/分。下部遠位優位に筋力低下、ビリビリ感を認める。膝蓋腱反射消失。呼吸機能、胸部CT、肺血流シンチグラムを行うも異常なく原発性肺高血圧症を疑った。著明な全身浮腫に対し対症療法的に利尿薬を使用していたが、第6病日に血圧低下、無尿状態となった。輸液、カテコラミンの投与を行ったが改善せず、第10病日夕、肺血管抵抗改善目的に一酸化窒素吸入療法を開始するも変化なし。心臓カテーテル検査にて、肺血管抵抗正常で高心拍出性心不全であった。貧血や甲状腺機能亢進症や敗血症(などの他の高心拍出性心不全をきたす疾患)は否定的であったため、衝心脚気を疑い同日フルスルチアミン(ビタミンB1誘導体)を投与したところ、著明に改善した。フルスルチアミン投与前の血清ビタミンB1は11ng/mL(正常値は大体20ng/mL〜)であった。詳細な病歴聴取より、20年前よりダイエットサプリメントを摂取し、その健康食品会社の推奨する食生活を送っていたことがわかった。サプリメント中にビタミンB1はほとんど含まれず、白米や海藻類中心の古典的な日本食が推奨されていた。
ビタミンB1投与による著明な改善 |
「とっととビタミンB1を投与すればいいのに」と思ってしまうのは素人。現在進行形の臨床の現場は、そんなに簡単ではない。後から振り返ってみたら、なるほど当初から脚気症状を呈していたけれども、それぞれ単独で見ると非特異的(コレは脚気だ!という特徴的な症状はないってこと)である。極端な偏食やアルコール多飲があったわけではなく、「むしろ本人は健康に関心が強かったためかえって本疾患が念頭にのぼりにくく診断までに時間を要した」とある。だからこそ症例報告を行い、医療者の間で情報を共有するわけである。
以上のように、衝心脚気は通常の脚気と重なり合う疾患であり、原因はビタミンB1欠乏であるというのが現在の医学的な定説である。根拠は、臨床経過、ビタミンB1に対する反応、ビタミンB1摂取不足との関連、ビタミンB1欠乏の存在などである。日本では1930年ごろまでは「脚気の原因はビタミンB欠乏かどうか」について激しい議論があり、私もいくつか文献にあたってみたが、ビタミンB欠乏と脚気の関係を疑う臨床医はたくさんいても、「衝心脚気は通常の脚気と異なる独立した疾患ではないか」と主張した臨床医は、私の知る限りいない。衝心脚気とカビ毒とを関連付けた症例報告も、私の知る限りない(動物実験ならある)。衝心脚気の流行・集団発生の報告も、私の知る限りない(通常の脚気の集団発生ならある)。