■やる夫で学ぶ脚気論争では、高木兼寛と森林太郎の論争を通じて、食事の改善が脚気を予防しうることを学んだ。しかし、蛋白質不足/炭水化物過剰が脚気の原因であるとする高木の仮説は、現在の知識から考えると不正確である。定説の脚気ビタミンB1欠乏説の成り立ちを知ることは、科学がどのように進歩するのかを理解するのに役に立つだろう。
19世紀末は、結核菌、コレラ菌などが次々と発見された細菌学の勝利の時代だった。エイクマン(Eijkman)も、細菌学の開祖とされるコッホの研究室で細菌学を学んだ。当時、脚気も細菌によるものであると考えられ、オランダの脚気調査チームも脚気菌を発見したと報告した。エイクマンは、バタビア(インドネシア)の研究所で、脚気菌の研究を引き継いだが、困ったことに追試は成功しなかった。
でも1889年になって無視出来ないイレギュラー因子がエイクマンの周囲に現れた。それが、脚気様症状が出現した実験用のニワトリたち。「脚気菌」を接種したニワトリにも、そうでないニワトリにも。
ところが、ニワトリたちの「脚気」は、始まったのと同じように、突然に治ってしまい、エイクマンは実験を続けられなくなってしまう。
調べてみたところ、原因はニワトリの餌にあるらしいとわかった。エイクマンの研究所は陸軍病院の中にあり、実験室の管理者が病院の炊事場から調理された米をもらってニワトリに与えていた時期があった。しかし、コックが異動になり、米をもらえなくなったのだ。
原因が餌にあるとわかれば、いろいろ条件を変えてみて実験できる。
1896年、エイクマンはマラリアのためにオランダに帰った。バックアップの後任のフレインス(Grijns)が、脚気の発症には炭水化物が不要であることを示す実験を行った。
エイクマンは炭水化物なしで脚気が発生する点に関しては当初反対したが、議論のすえにフレインスに同調した。言語で伝えられる情報には限りがあるので図にまとめる*1。
食餌によるニワトリ脚気(多発性神経炎)の発症と治癒 | 脚気栄養説の発展 |
脚気の発症に食事が関係することを高木が指摘し、発症を阻止するのは蛋白質ではなく米糠に多く含まれる未知物質であることをエイクマンが指摘し、炭水化物には毒性がないことをフレインスが指摘した。科学的仮説が少しずつ修正されていく過程がわかる。エイクマンが、当初は脚気菌を探していたものの、偶然から脚気が栄養に関係することを発見したのは、■セレンディピティの好例である。エイクマンは単に幸運だったのではなく、発見するための十分な準備と能力があったのである。また、一連の研究により、生物の生存に微量な栄養素が必要であるという概念が明らかになったことはパラダイムシフトの一例である。米糠に抗脚気因子が含まれ、脚気のモデル動物であるニワトリをアッセイ系として使用できることがわかれば、あとは化学者の仕事である。1910年、鈴木梅太郎が米糠から抗脚気因子を精製(当初アベリ酸、後にオリザニンと命名)した。1911年、フンク(Funk)が栄養欠乏因子に対してビタミンの呼称を提唱し、以降、さまざまなビタミンが発見されていくことになる。
参考文献
松田誠、高木兼寛の医学 東京慈恵会医科大学の源流、東京慈恵会医科大学、2007年
■脚気病原因の研究史―ビタミン欠乏症が発見,認定されるまで―(PDFファイル)はネット上で読める
■栄養学小史 脚気(西南女学院大学)
■4: ニワトリの微量栄養素欠乏(西南女学院大学)
Christiaan Eijkman The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1929(Nobelprize.org)
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*1:松田、2007年より引用