NATROMのブログ

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ワクチンと自閉症の関係を今さら問題にする朝日新聞書評

7月6日付けの朝日新聞の書評欄に、アメリカの毒を食らう人たちという本の書評が載っていた。書評者は常田景子という人で翻訳家だそうである。



 産業優先の政府や、企業におもねる科学者に対する義憤に満ちた本だ。アメリカの危機的状況を告発した本ではあるが、少数の人々の欲が多数の市民の命を脅かし奪っているという主張はひとごとでは済まされない。


なるほど、そういうこともあるだろうから、告発は十分にやってもらいたい。しかし、次の段落を読むに、その告発が妥当なものなのかどうか、きわめて疑問である。



アメリカで、幼児が接種を義務付けられているワクチンに添加されている保存剤によって、自閉症児が急増しているという話は衝撃的だが、その保存剤の使用禁止に奔走している上院議員は、孫がワクチン接種後障害児となった人だそうだ。政治家も、わが身に火の粉が降りかかってこないと動かないということか。


「ワクチンに添加されている保存剤」とは、水銀を含むチメロサールのことであろう。1998年のLancetにMMRワクチンと自閉症の発症の関連を示唆した論文が発表されたが、後に撤回された(■英医学雑誌が「ワクチンと自閉症の関連示した論文の掲載は誤り」と発表(A Forward-looking Child Psychiatrist)を参照)。ワクチンそのものだけではなく保存剤のチメロサールも、自閉症と関係するという証拠はない。以下のページがよくまとまっている。


■チメロサールと自閉症の関係について(鈴の木こどもクリニックホームページ)(強調は引用元のママ)


 旗色の悪くなったWakefieldは、2003年になると今度は、腸炎や生ワクチン中のウイルスの感染が問題なのではなく、ワクチン液中に含まれている防腐剤の水銀(チメロサ−ル)が自閉症の原因なのだと主張し始めました。実は2001年にBernardというアメリカの心理学者が、DPTに含まれるチメロサールのために自閉症患者が激増しており、その自閉症の症状と水銀中毒の症状は酷似している、とMedical Hypotheses(医学の仮説)という雑誌に発表していたのです。Bernard自身は医師ではなく、単に水銀中毒と自閉症患者の症状が似ているというだけの仮説でしたが、この主張はアメリカで反響を呼びました。当時アメリカ上院議会議長であったDan Burton議員(共和党,インディアナ州)は、自閉症の孫を持ち、その原因がワクチンによるためだと固く信じていました。彼の裁量によって、アメリカでたびたびワクチンと自閉症に対する公聴会が開かれ、JAMAによると彼はThe US Institute of Medicine(IOM) という公的機関の報告文書(MMRと自閉症の因果関係の証拠がないとした報告)を机にたたきつけ、激怒し赤面しながら,「You don't know there's no link、 do you? Do you?」と叫んだということです。
 しかし何としてもチメロサ−ルを「極悪人」にしたてたいBurton議員の”奮闘”にもかかわらず、チメロサ−ルと自閉症の間に明らかな関連がある、という信頼すべき報告はほとんどなく、逆にチメロサ−ル含有ワクチンが自閉症と無関係であるという報告が相次ぎました。Madsenらのデンマークの研究、Stehr-Greenらのカリフォルニア,スウェーデン,デンマークを結ぶ国際的な研究などは、チメロサ−ル含有ワクチンの使用を止めてからも自閉症が増え続けている現状が報告されています。
 そして、「チメロサ−ルを含むワクチン接種と自閉症が関係しているという仮説は、立証はされていないが、可能性はある」という報告を2001年に出していた、The US Institute of Medicine(IOM)も、2004年に最終的な調査の結果をまとめ、1.チメロサ−ル含有ワクチン、およびMMRワクチンは、いずれも自閉症を引き起こさない。2.自閉症とチメロサ−ル含有ワクチン、およびMMRワクチンに関係があるという仮説は、これを支持するデータはなく、結局単なる仮説にすぎない。という結論を公表しました。


要するに、ワクチンに添加されている保存剤によって自閉症児が急増しているという説には十分な根拠はないというのが現在のコンセンサス。現在、ワクチンと自閉症の関連を強固に主張しているのは、ホメオパシーやキレート療法を行うインチキ医療家とその信者ぐらいである。ネットで検索してみたら、案の定、「アメリカの毒を食らう人たち」はホメオパシーを支持する人に好意的に受け入れられている。「アメリカの毒を食らう人たち」を私は読んでいないので、本そのものに対する評価は保留する。もしかしたら、ワクチンに添加されている保存剤以外の告発はまともなものなのかもしれないしね*1

問題は、書評で「アメリカの危機的状況」として、まっさきにワクチンの保存剤と自閉症の関係を、疑いもせずに取り上げたことである。書評者には、こうした危機的状況を科学的に評価する能力に欠けている。まあ翻訳家であり、リスク評価の専門家ではないので、それはしょうがないのだろう。では朝日新聞の編集者は?「ワクチンと自閉症の関係は最近は懐疑的に考えられていますよ、先生」と言ってあげられなかったのか。紙面に出すまでに複数の人からチェックが入らないものなの?それとも、複数の人のチェックをすり抜けて、この書評が載っちゃったのだろうか。あるいは、朝日新聞社は利益優先の企業であり、売り上げのためなら、予防接種に関する誤った知識が多数の市民の命を脅かしてもかまわないのだろうか。上記サイトでは、2003年のランセット誌から、「役に立たない科学者(junk scientists)やお金めあての弁護士,そしてすぐに真に受けるジャーナリストによって,親の不安が利用されるのは恥ずべきことである」という言葉を引用している。

朝日新聞の書評は以下のように締めくくられる。



 一個人が政府や企業に立ち向かうことはできなくても、政府や企業も煎じ詰めれば人間なのだから、個人の姿勢によって社会を変えていける、という著者の考え方には賛同したい。かつて、資本家が労働者を機械の歯車のように扱った時代があった。今や我々は、消費者という名の歯車にならないように自覚を持つことが必要なのだろう。


ワクチンに毒が含まれているかもしれないのと同様に、大新聞の書評にも虚偽が含まれているかもしれない。我々は消費者という名の歯車にならないように自覚を持つこつことが必要であろう。「すぐに真に受けるジャーナリスト」に騙されないように。

*1:書評者の常田もさすがに「異論も予想される」と書いているが、「がんが根絶されると治療が産業として成り立たないので医療研究機関ががん予防に真剣に取り組んでいない」という告発もしているそうだけど。予想以上に香ばしい可能性もある