丸山ワクチンが承認されない理由
医療ジャーナリストを名乗っている木原洋美氏は、丸山ワクチンを擁護するプレジデントオンラインの記事で、「筆者自身も20年以上の取材経験の中で、権威が勝手な都合で有望な科学を排除する事例を何度も目の当たりにした」と書いています*1。丸山ワクチンは「有望な科学」であるのに、権威の勝手な都合により排除されているのだ、と言いたいのでしょう。
本当にそうでしょうか?効果があるのであれば、きちんとした臨床試験で有効性を示せば承認されるはずではないでしょうか。丸山ワクチンと不活性プラセボ(生理食塩水)を比較したランダム化比較試験は複数回実施されていますが、いずれの試験でも有効性は示されませんでした。とくにアジア7カ国共同のランダム化比較試験は、対象者を600人以上(臨床試験登録情報では793人)にまで増やして行われましたが、主要評価項目である全生存期間において統計学的な有意差を示すことはできませんでした*2。
丸山ワクチンが承認されていないのは、臨床試験で有効性を示せなかったからであって、権威の勝手な都合により排除されているからではありません。木原氏は、自身のFacebookにおいて、「信頼できる体験談を100ぐらい、(実際に取材して)発信しようと思っています」と書いています*3。もしかすると、「臨床試験で有効性が示せなくても、体験談を積み重ねることで承認されるべきだ」とお考えなのかもしれません。同じように有効性が確認できない代替医療、たとえばホメオパシーやゲルソン療法を支持する人も同じことを言いそうですね。
線虫がん検査の導入が進まないワケ
丸山ワクチン以外に、「権威が勝手な都合で排除した有望な科学」があるのかもしれません。その一例として考えられるのが、線虫によるがん検査です。いわゆる「がん線虫検査(N-NOSE)」は、「尿1滴で15種類のがんリスクがわかる」とされ、現在1万円台の価格で提供されています。木原氏は、このがん線虫検査を擁護する記事を複数執筆しており、同検査に関連した書籍も出版しています*4。
木原氏は、「線虫がん検査の導入がなかなか進まないのは、あまりにも新しい技術だからではないか」といった趣旨のことを書いています。本当にそうでしょうか?線虫がん検査によってがん死亡率を減らせることを臨床試験で示せば、世界中で導入されると思います。しかし、そのような臨床試験は実施どころか、計画すらされていません。がん死亡率減少を検証する以前の話として、がん検診を受けるような一般集団における感度・特異度すら検証されていません(■「線虫がん検査」の感度・特異度は過大評価されている)。がん患者集団における感度・特異度においても、PET核医学分科会などから懸念が表明されています。疑義のいくつかは、線虫がん検査を提供する会社がブラインド条件下での検証に応じれば解決しますが、会社は応じていません。本物のジャーナリストなら、会社の受け売りをそのまま記事にするだけではなく、「なぜブラインド条件下の検証を行わないのか」といった取材をしてほしいものです。
線虫がん検査が公的に導入されていないのは、臨床試験でがん死亡率の減少といった有効性が示されていないどころか、感度・特異度についても十分に確立したものとは言えないからであって、権威の勝手な都合により排除されているからではありません。日本では、線虫がん検査に限らず、「血液や尿1滴で多くのがんのリスクがわかる」とうたう検査が数千円から数万円で提供され、事実上、がん検診として利用されています。しかし、これらの検査について、がん死亡率を下げるといった明確な利益が臨床試験で示されたものはありません。ワクチンや医薬品であれば、有効性や安全性が証明されなければ販売は認められませんが、検査については規制が十分とは言えず、有効性が確立していない検査であっても販売が可能となっているのが現状です。つまり、排除されているどころか、むしろ規制が追いついていない状況にあると言えます。
なぜ病的疲労に対する特効薬の開発が進んでいないのか
丸山ワクチンや線虫がん検査以外に、「権威が勝手な都合で排除した有望な科学」があるのかもしれません。木原氏は、■残念ながら、栄養ドリンクでは治りません…疲労の最新研究でわかった「寝ても取れない疲れの正体」 「慢性疲労」の原因はストレスでも加齢でもない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)において、近藤一博氏(東京慈恵会医科大学 疲労医学講座特任教授)が『「休んでも取れない病的疲労」についても原因と治療薬の発見に成功した』、認知症治療薬であるドネペジルこそが特効薬だと主張しています。その「特効薬」の開発が進んでいない理由として、『日本政府的には「コロナはもう終わった」ことにしたがっていること』や『ドネペジルの特許がだいぶ前に切れていること』を挙げてます。
本当にそうでしょうか?きちんとした臨床試験で有効性を示せば開発は進み、承認もされるのではないでしょうか。「脳内のアセチルコリン不足が病的疲労の原因であり、ドネペジルが改善させうる」という仮説自体は検証に値する有望な仮説です。しかし、「治療薬の発見に成功した」と主張するためには、病的疲労の患者に対しドネペジルを投与する臨床試験が必要です。そうした臨床試験は行われ、木原氏がプレジデントオンラインの記事を書いた時点で論文として発表されていました。
新型コロナ後の病的疲労を有する110人をドネペジル群とプラセボ群にランダムに割り付けて、疲労感と精神症状に対する有効性を評価しました。もし、この臨床試験において有意差が出たのに治療薬としての開発が進まなかったというのであれば、「権威が勝手な都合で排除したんだよ!!」と言えたでしょう。しかし、実際には主要評価項目も副次評価項目も有意差は認められませんでした。
病的疲労に対してのドネペジルの開発が進んでいないのは、臨床試験で有効性を示せなかったからであって、権威の勝手な都合により排除されているからではありません。排除されているどころか、仮説の立案から数年で二重盲検ランダム化比較試験を実施し、結果の公表までこぎつけたのです。有効性が示されなかったのは残念ですが、期待されたほどの効果がないと明らかにしたこと自体が大きな成果です。医学はこのように一歩ずつ進歩していくものです。関係者各位の尽力と英知に、あらためて深い敬意を表します。
問題は「治療薬の発見に成功した」と称するプレジデントオンラインの記事です。記事が掲載された時点で、すでに否定的な結果が示された臨床試験が公表されていたにもかかわらず、記事中でその事実に一切触れられていません。知らなかったのなら取材不足、知っていたのにあえて触れなかったのなら不誠実です。事後に行われた層別解析*5において一部に可能性を示唆する所見はあったようですが、そうだとしても、改めて臨床試験を実施して有意な結果が得られてもいないのに、「治療薬の発見に成功した」と主張するのは誤りです。もし論文でそのような主張をしたら典型的な粉飾(Spin)みなされます。層別解析で有意差があったとしても、多重検定や検出力の問題があり、改めて追試が必要です。
木原氏は「根拠に基づいた医療」を軽視している
以上をまとめると、木原氏はEBM(根拠に基づいた医療)を軽視していると言えます。すなわち、ランダム化比較試験で否定的な結果が出ていても「体験談」を積み重ねればいい、がん検診においてがん死亡率減少を評価する必要はない、事後的な解析で治療薬の発見を主張する、といった姿勢です。EBMについて十分に理解した上で既存のパラダイムを更新しようとしているノーベル賞級パイオニアか、もしくは、単にEBMの基本を理解していない自称「医療ジャーナリスト」かのどちらかでしょう。後者であるのなら、単にエビデンス不足によって排除されたにすぎないのに、「権威が勝手な都合で有望な科学を排除した」と誤解するのは無理もありません。
追記
■体験談は丸山ワクチンに効果があるという根拠にはならないのコメント欄にて、木原さんからコメントをいただきました。お返事を書きましたが、いまのところ木原さんからのお返事はありません。もし、当該記事をお読みであれば、ぜひともお返事をください。このブログのコメント欄への投稿も歓迎いたしますが、ご自身のFacebookでもかまいません。その際、とくに、■主に丸山ワクチンを巡って木原洋美さんへお返事 その2の冒頭に再録している、
- 『開けてみたら「全身に転移しており」と言われた』とのことだが、何を開けたのか、「開けてみたら」という記述はやなせたかしさんの著作に書いてあったのか?
- 2006年の第3相ランダム化比較試験の実薬群(40μg)の生存率の解釈について、外部対照と比較するのは不適切ではないか?
という質問へのお返事をお願いいたします。
*1:『「あんぱん」では描けない、やなせたかしが晩年に明かした後悔…"余命3カ月"の妻・暢と過ごした"最期の5年"』、URL:https://president.jp/articles/-/102737
*2:ClinicalTrials.gov 登録番号 NCT02247232。現時点で査読論文は未公表だが、ゼリア新薬の株主通信に概要が記載されている
*3:URL:https://www.facebook.com/hiromi.kihara.775/posts/pfbid0AyNmBCpaJvDHN7dFYRAYqtLXadE64uXfes2VPkRHvjj2CyKLKGCDr4eVvPA9ErwLl
*4:URL:https://gendai.media/articles/-/100675、URL:https://www.amazon.co.jp/-/en/dp/B0B71B2445
*5:副次評価項目には含まれず