2025年にもなって丸山ワクチンを称賛する記事が出るとは
丸山ワクチンとは、結核菌を熱水処理して作られた、がんに効果があるとされる注射薬で、承認はされていないものの、有償治験薬という特例的な扱いで使用が可能である。その丸山ワクチンに肯定的な記事がプレジデントオンラインに掲載された。ちなみに、この記事を書いた「医療ジャーナリスト」の木原洋美氏は、線虫がん検査(N-NOSE)を擁護する一連の記事も書いている。
この記事では、NHK連続テレビ小説「あんぱん」のヒロインのモデルである、やなせたかしさんの妻・暢さんが、丸山ワクチンを使用し、「余命3カ月だったはずが5年間、お茶の稽古や好きだった山歩きを楽しみながら生きながらえることができた」と述べられている。やなせたかしさんが丸山ワクチンに効果があると考えていたのは事実だが、本当に効果があるかどうかは別問題だ。
一般の読者ならともかく、医療ジャーナリストが体験談を根拠に「余命を3カ月から5年にのばした治療法」*1と持ち上げるのはお粗末だ。こうした「体験談」が世の中にあふれていることをご存じないのだろうか。医療ジャーナリストは本来、体験談は治療効果の証拠にはならないことを伝えるべき立場のはずだ。
反論記事をプレジデントオンラインに書いた。要点は、体験談は丸山ワクチンに効果がある根拠にはなりえないこと、現在においても丸山ワクチンが承認されない理由は有力者の圧力ではなく質の高いエビデンスの不在であること、プラセボを対照としたランダム化比較試験では効果が示されなかったことである。
手術直後に「長く保ってあと3カ月」と余命宣告されたエピソードは不自然だ
書ききれなかった点をここで補足する。やなせたかしさんの著作を根拠に『緊急入院し、即日手術を受けた後、担当医から別室に呼ばれたやなせさんは、「奥様の生命は長く保ってあと3カ月です」と告げられる』と木原氏は書いた。この著作が執筆されたのは1994年で、暢さんが手術を受けたのは1988年である。6年も前、動揺の中で聞いた医師の説明を、その後も長い闘病生活の中で類似の説明を重ねて受けているはずの状況で、果たして正確に記憶していられるものだろうか。
当時、やなせたかしさんがかなり厳しい説明を受けたであろうといことは推測できるが、それにしても「長く保ってあと3カ月」というのはかなり疑わしい。通常、予後が3カ月と見込まれる乳がん患者に手術を行うことはない。暢さんは抗がん剤治療も受けたが、状態がそこまで悪い患者には抗がん剤治療も行わないのが一般的だ。
1988年ごろの日本の転移性乳がんの経過について、参考になる文献を紹介する。

1988年から1993年にかけて、国立がんセンターで抗がん剤治療を受けた転移性乳がん患者315人(解析対象279例)を解析したところ、生存期間の中央値は28.0か月、5年生存率は22.5%、10年生存率は5.3%であった。国立がんセンターで抗がん剤治療を受けることのできる患者は選別されているため、当時の平均的な転移性乳がん患者よりは予後がよいと思われる。ただ、暢さんも東京女子医大で抗がん剤治療を受けている。1988年ごろの大学病院で抗がん剤治療を受けた転移性乳がん患者の5人に1人は5年以上生きられる。運がいい方とは言えるが奇跡的とまでは言えない。したがって併用した代替医療に効果があるという根拠にはならない。暢さんの事例は「併用した標準治療が効いて延命できたが、家族が代替医療の成果と誤解している」という可能性が高いように思われる。根拠に乏しい治療法の体験談としては典型的である。
丸山ワクチンを勧めた里中満智子さんは円錐切除手術を受けていた
漫画家の里中満智子さんが丸山ワクチンを勧めたというエピソードについても補足したい。丸山ワクチンをはじめたきっかけは、里中さんが、やなせたかしさんに「私も癌だったの。私は手術がいやで、丸山ワクチンを打ち続けて7年目に完治したの。試してみませんか」と言ったことだとされる。確かに、やなせたかしさんの著作にもそう記述されている。里中さんが手術をせず丸山ワクチンだけで完治したと誤解してしまいそうだが、事実は異なる。以下は、里中さんのインタビュー記事である。「がんサポート」編集部という専門性のあるスタッフが本人に直接聞いた話だ。
■「積極的な夢」そして「人任せにしない知識欲」 子宮頸がんも糧にしたマンガ家・里中満智子さん | がんサポート 株式会社QLife
医師は気をつかい、がんという言葉を極力避け、腫瘍などと表現した。しかし、治療法の説明で「抗がん薬」という言葉を出さざるを得なかった。里中さんは「お医者さんも大変だな」と少し引いた姿勢で聞いていた。ステージはⅠa期だった。里中さんにとって、がんの告知よりもショックだったのは、「子どもが産めなくなること」だった。子宮の全摘出を勧められたのだ。
(中略)
里中さんの場合は、「子どもを持つこと」だった。当初は慰めのつもりか「子どもなんて苦労するだけですよ」などという知人もいたが、里中さんは子宮全摘出ではなく、子宮を温存する円錐切除(がん部位だけの切除)での対応を願い出た。周りも盛り立ててくれるようになっていった。担当医も「治ったらすぐに子づくりできるように相手を見つけておいてくださいよ」と笑顔で言ってくれた。
円錐切除手術は無事終わった。予定されていた抗がん薬と放射線による治療は取りやめ、1週間で退院の運びとなった。担当医は「手術はとてもうまくいきました。あとはまめに、念入りに検査を受け続けてください」と言った。里中さんは、その言葉の意味の大きさを感じた。
ステージIaの子宮頸がんの治療法は、単純子宮全摘術が第一選択であるが、妊娠希望例は円錐切除手術も選択肢に入ると私は理解している。切除した標本の切断面を顕微鏡で調べて、病変が完全に切除されているか、それとも病変が切除しきれていないかを評価するが、里中さんは「手術はとてもうまくいきました」と説明されていることから、おそらく切除できていたものと思われる。単純子宮全摘術を避けて局所療法のみを行った事例の予後については多くの報告があるが、たとえば、浸潤や血管侵襲のない200症例を追跡したところ再発例は一例もなかったという報告がある*2。他の論文を参照しても再発は数%以内だ。里中さんは丸山ワクチンだけでなく、「いろいろな民間療法にもトライ」したそうである。患者の気持ちとしてはよくわかる。ただ、丸山ワクチンやそのほかの民間療法に効果があったという根拠にならないことは自明であろう。単に円錐切除術によって、もともと再発しない90%超の集団に含まれたにすぎない。
やなせたかしさんは医学の専門家ではなく、また、自伝という性質上、病気の経過を正確に記す必要はない。また、一般読者が丸山ワクチンに効果があると受け取ったとしても仕方ないだろう。問題は、専門性を有しているはずの「医療ジャーナリスト」が体験談を無批判に受け入れてしまったことである。乳がんや子宮頸がんの専門医に取材すれば防げた誤りだったはずだが、木原氏はその手間を惜しんだように見える。
*1:URL:https://www.facebook.com/hiromi.kihara.775/posts/pfbid0XrPKLq6P2Bb4NhdkD5qFR9kxBnbbSVJ3FZpv7uBXgJgtWhV6tD4QSYqxdecZrp5vl