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病原体は自然発生する!森下敬一@千島学説の業績

酒向猛先生と並んで、千島学説を追試したと言われる数少ない医師の一人が森下敬一先生である。残念ながら、「現代医学・生物学の常識からすれば,まさしく破天荒そのものの現象」であったためか、学会発表では「よき理解者を得るには至ら」ず、「中央のいわゆる学術雑誌がこぞって私の論文掲載を拒否するの挙に出るという手痛い圧迫を加え*1」られた。そのためか、森下氏によるまともな学術論文は(少なくとも私の知る限りは)存在しない。しかし、生命科学協会(会長は森下先生自身)より「血液とガン 血は腸でガンは血でつくられる」という著作が1966年に出版されている。





森下敬一著、「血液とガン 血は腸でガンは血でつくられる」、生命科学協会

左端に立っているハンサムが国会証言を行う森下敬一先生。


40年以上前に書かれたということを念頭に置いても、きわめて興味深い内容であったので紹介したい。千島学説の扱う範囲はきわめて広いため、ここでは特に病原菌の起源について述べる。通常の医学では、体内から細菌やウイルスが発見されたなら、外部からの感染があったと考える。細菌が体内から湧いて出てきたなどと考えない。こうした自然発生説はパスツールによって否定された。しかし、森下先生はパスツールの思想は「医学の正しい発展をゆがめた間違いの原則である」とする。



この「バクテリアはバクテリアから」というパスツールの思想が,伝染や感染の概念を生み,不必要にバクテリアを恐怖させているのである。(P8)


森下先生は科学者であるので、実際に実験によってそれを確かめた。赤血球を無菌的に培養すると、赤血球内から球菌または桿菌が発生してくるのである。著書には多数の写真が掲載されている。私には細菌ではなく「赤血球が壊れた構造物」にしか見えないが、おそらく写真が悪いのであろう。あるいは、森下先生には常人には見えない何かが見えていたかだ。細菌が発生したのであれば、写りの悪い写真を撮るだけでなく、培養なり、同定するなりすれば説得力があるだろうが、森下先生はなぜかそのような実験はされていない。グラム染色すらなされていない。細菌が自然発生するのであれば、伝染病という概念自体が揺るがされる。



結核などの場合,肺の一部分に炎症が起こっていて,そこに結核菌が認められるという場合を考えてみよう。肺のその部分の組織細胞が健康であれば,それは生理的なビールスにまで解体をして排泄されなければならないのに,炎症が起こっているために,肺の細胞をこしらえている生理的なビールスがバクテリアに姿を変えた,ということなのである。したがって,私は,病原菌という解釈のしかたに異議をもっている。ほんとうに,病原菌として体外からはいりこんだのか,それとも細胞が病的にこわれて発生したバクテリアなのか,はたしてそのどちらなのかという点については,もっと慎重に考える必要があろう。病原菌という言葉が許容されるならば,病気の結果としての病果体ということばもまた,同時に許されなければならないと思う。それはともかく,細胞がバクテリアに姿を変ずるということは、当然の話である。(P54)


どうか、森下先生の主張を時代のためだと思わないでいただきたい。結核菌の発見は1880年代になされた。「血液とガン」の執筆当時、細菌学はすでに確立された学問であり、細菌が「細胞が病的にこわれて発生した」と考えるまともな医学者はいなかった。”医学常識を全然もたないもののタワゴトだ”(P34)と言われたぐらいである。現在はもちろんのこと、当時であっても千島・森下学説はきわめて独創的であったのである。当然、感染対策についてもきわめてユニークな意見を持つ。昭和40年に日赤産院で乳児結核が多発したという事件があったのだが、森下先生は「結核をいわゆる伝染病とみなす限り,正しくは解決されないだろう」と述べる。



まず,その乳児結核が,未熟児やこれに類する虚弱児におこっている,という事実を直視しなければならぬ。そして,こういう子供を生む母親の不健康さ、異常性を度外視してはならない。おそらく,これらの母親は,妊娠期間中にも不自然食をとり、化学薬剤の厄介になるような生活を続けながら,胎児に危害を加えていたことだろう。そういう意味で,まず乳児結核にかかるような子供を生んだ母親の責任が問われるべきだ。(P84)


乳児結核にかかるような子供を生んだ母親の責任が問われるべき」。乳児の「伝染病」は母親の責任なのだ。「伝染病の実在を疑問視」してきた森下先生は、さまざまな細菌・ウイルスを自分に感染させる自己実験を行うべきであったと思う。とくに致死性の高いやつを。森下先生によれば、予防注射や防疫対策も「茶番に過ぎぬ」「無駄遣い」である。輸血や血液製剤によるウイルス性肝炎が問題となっているが、森下先生はどう述べておられるか。



血清肝炎を発病せしめるものとして,肝炎ビールスだけに責任が負わされているけれども,肝炎ビールスこそが迷惑であろう。病気は,外因と内因の相対的な関係によっておこるもので,病原菌だけに責任があるのではない。肝炎にかかる人は,その人自身のからだの側にも問題がある。
たとえば,ほぼ同質の血液を用いても,男と女とくに妊産婦との間に,血清肝炎発生率の差異がみられる。妊産婦や子供では、血清肝炎がおこりにくい。それは、妊産婦のからだが,たいへん同化能力に富んでいるということ,また子供のからだも原始的能力に満ちているということと関係がある。これらの活動的なからだにおいては,たとえ輸血時に肝炎ビールスがある程度侵入したとしても,それほど問題にはなるまい。(P82)

当時、輸血によって感染しうる肝炎ウイルスの存在自体は知られていた。B型肝炎ウイルスが発見されるかされないかというぐらいの時代である。森下先生の略歴には、昭和39年より東京都赤十字血液センター研究・技術部長、昭和42年より東京都葛飾赤十字血液センター所長とある。赤十字血液センター所長が、活動的な体には「肝炎ビールスがある程度侵入したとしてもそれほど問題にはなるまい」と発言したのだ。薬害肝炎訴訟において、政府は森下先生を証人として呼ぶべきであった。「肝炎にかかる人は、その人自身のからだの側にも問題がある」と証言してもらえたであろう。千島・森下学説を考慮した肝炎対策がとられていたら、どのような事態が生じたであろうか。現実には、1973年よりHBs抗原のスクリーニングが導入されて、輸血によるB型肝炎は激減した。

バクテリアやウイルスが自然発生するとしたら、DNA(もしくはRNA)はどこから来るのか?「核のDNAも新たに製造されるもので、たとえば,DNAのない卵黄球から赤血球やその他の細胞がつくられる場合もそうである(P4)」。40年以上前とは言え、この著作が書かれたのはDNAの2重らせん構造の発見後、既に10年以上経っていることに注意されたい。遺伝子の本体がDNAであること、DNAの半保存的複製も当時すでに分かっていた。

現在でも、森下敬一博士は健在である。 お茶の水クリニック院長として、 森下血液生態医学や森下氣能医学といったユニークな診療をされておられる*2。また、毎日新聞北海道版で、「病は食から」という連載をされていた。さすが毎日新聞、といったところか。


*1:森下敬一著、「血球の起源」、生科学評論社、1960年

*2:URL:http://homepage1.nifty.com/morishita_/