十分に情報を提供された成人が輸血を拒否するのはかまわないと思う。自己責任だ。では、未成年者だったらどうなのか?輸血をしないと生命の危険があるが親権者が輸血を拒否している場合、医療者は輸血をすべきか否か。実は事例がある。
■自己決定権の限界〜エホバの証人輸血拒否事件をめぐって〜*1
(1)川崎事件
昭和60年6月6日、神奈川県川崎市において、交通事故で負傷した当時10才の少年が救急病院に搬送されたものの、両親がエホバの証人の熱心な信者であったため、救急病院の医師に対して少年の輸血を断固拒否、医師は両親を説得するとともに輸血をせずに処置を続けたら、大量出血からくるショックのため、少年は事故から約5時間後に死亡した。
本件においては、医師が最終手段として意識のあった少年に対して「生きたいだろう。お父さんに輸血してもらうようお父さんに言いなさい。」と呼びかけ、少年は「死にたくない、生きたい。」と答え、父親に訴えたにもかかわらず、父親は拒否し続けたという。
説得―エホバの証人と輸血拒否事件(大泉実成著)という本にもなった。だいぶ前に読んだきりなので記憶があやふやであるが、「生きたい」という少年の訴えも実際のところは微妙なところで、「意識が朦朧としているところに生きたいか、と尋ねたらうなずいた」ぐらいの話であったように記憶している。エホバの証人の親に対して「生きたい」と訴えることは輸血をしてくれと同義ではない。輸血を拒否して亡くなったとしても、教義に忠実であれば復活し永遠の命を得ることができるのだから。「生きたい」という息子の訴えを、「輸血を拒否し、復活して生きたい」と、親はそう解釈するだろう。
そもそも、10歳の男の子が、「僕は輸血は嫌だ。輸血をせずに死んだとしても将来復活できるから」と明確な輸血拒否の意思表示をしたとして、医療者はそれに従うべきなのか。海外では、裁判所が緊急に判断して輸血できる事例もあるそうだ。子が受ける医療の内容についてはある程度は親が決めることはできるだろうが、あまりにも常識を外れたケースは介入する必要があろう。「常識を外れたケース」は虐待とみなされる。日本では緊急に裁判所が判断するというシステムは確立されていない*2。個々の病院であらかじめガイドラインを定めているところもあるが、統一されたものは(私の知る限り)これまでなかった。それがこのたび、日本輸血・細胞治療学会など関連5学会の合同委員会が指針を発表した。
指針によると、15歳未満は輸血するものの、18歳以上では患者本人が、15歳以上18歳未満では患者と親の双方が輸血を拒んだ場合は輸血しないとした。最高裁の判例に基づき、宗教上の輸血拒否を患者の自己決定権として尊重した。
ただ、18〜19歳の患者でも、医療について適切な判断ができないと複数の医師が評価した場合には、輸血すると定めた。
15歳未満への輸血について、大戸教授は記者会見で「子供は親の所有物ではない。社会が守るべき存在だ」と社会の責任を強調した。
15歳で一つの大きな区切り。指針では、15歳未満は患者と親の双方が輸血を拒んだとしても輸血できると読める。何歳で線引きするかは議論もあるだろうが、私は概ね妥当な判断だと思う。子供は親の所有物ではない。社会が守るべき存在だという点については完全に同意。エホバの証人に限らず、おかしな代替医療にはまった親が、子に対する標準的な医療を拒否する事例についても適用してもらいたい。ホメオパシーやら千島学説やら、自分の命を危険にさらす分にはいくらでもご自由にやっていただいてよいが、子供を巻き込むのはやめろ。
*1:PDFファイルです→URL:http://www14.plala.or.jp/gaybernationclub/contets_daigakuseikatu/kenpou_rejume_66.pdf
*2:2009年3月25日追記。親権を一時的に停止するよう求めた児童相談所の保全処分請求を半日で家庭裁判所が認めた例あり→■輸血拒否した両親・親権停止が男児の命を救った