近年の産科を巡る医療崩壊によって「出産難民(お産難民)」という言葉を良く聞くようになった。ウィキペディアの定義によれば、「産科医や小児科医の減少に伴い顕在化した、病院出産を希望しながらも希望する地域に適当な出産施設がない、あるいは施設はあっても分娩予約が一杯で受け付けてもらえない妊婦の境遇を、行き場を失った難民になぞらえた言葉である」*1。同様な言葉として、「がん難民」という言葉も時に耳にする。なんとなく「癌なのに医師にかかれない人たち」を意味するように聞こえるが、実際にはだいぶ出産難民とは意味合いが違うようだ。
■がん難民、推計68万人 民間研究機関が調査*2(東京新聞)
納得できる治療を求めて悩んでいる「がん難民」はがん患者の53%で、全国で推計約68万人に上ることが7日、民間研究機関の日本医療政策機構(代表理事・黒川清前日本学術会議会長)の分析で分かった。
がん難民は平均3カ所の医療機関を受診し、医療費は、それ以外のがん患者の1・7倍。がん難民に着目した調査は珍しく、同機構は「がん難民解消の政策に生かしてほしい」としている。
調査は2005年1−6月、約30の患者会やインターネットを通じて実施。がん患者1186人の回答を分析した。
明確な定義がないがん難民について「医師の治療説明に不満足、または納得できる治療方針を選択できなかった患者」と規定。いずれかに該当する人は625人、全体の53%に上った。治療方針に納得していない患者に限ると27%。02年の厚生労働省の調査で日本のがん患者は約128万人いることから、約68万人ががん難民と推計した。
「医療機関にかかれない」ではなく、「医師による説明が足りない、納得できる医療を受けられない」ということらしい。かような人たちを「がん難民」と呼ぶのであれば、私のブログにも「がん難民」が登場している。「緩和ケア病棟に入院すると退院できないから嫌だ」という患者さん。「エビデンスのない治療法でも行え」という患者の息子。たいへんにぶっちゃけて言えば、このような患者さんや家族は、事実に基づく限り、どのような説明をしても納得することはけっしてない。彼らが求めているのは、医学的に正しい説明ではなく、「治ります」という虚偽の希望の言葉である。後から責任を問われることがなければ口先だけの「患者様を癒す」説明をしてもよいが、今の時代、不正確な説明を行って結果が悪かったら訴訟である。
「がん難民」とは、どうやら、NHKの番組で使用された言葉らしい。ブログを検索してみると、「日本のあまりにお寒い現状と比べて、アメリカでは…」などという感想が読める。なるほど、アメリカ合衆国においては、日本の平均的な医療よりも高度ながん治療を受けることができるであろう*3。ただし、金次第。中途半端な貧乏人は医療機関にかかることすらできない。アメリカ合衆国に学ぶこともあるだろう。しかしながら、受けられる医療の平等性については、圧倒的に日本の方が上である。「格差をなくすために」という番組を見てアメリカ合衆国をうらやましがるとは私には理解できない。がん難民についての別のページも紹介しよう。2006年12月7日現在、Googleで「がん難民」でトップに来るのが以下のサイトである。
■日本のがん医療を変えよう委員会:「がん難民」をなくしたい!〜全てのがん患者に最新情報を〜 三浦捷一さん 医学博士*4
私は今から5年前肝臓がんに罹患、手術を受けたが翌年より肝臓内多発転移、腹部リンパ節遠隔転移などのため、何度か治療は難しいと言われた。
私は再手術、重粒子線治療、X線サイバーナイフ、肝移植など、あらゆる方策を考え専門家に相談したが、いずれの手段も常識的には無理であることが分かった。やむをえず危険性が高いために断られた転移リンパ節摘出手術を無理に希望して受けた。
更に臨床試験中の治療法であるインターフェロン、5−FU併用持続動注療法を受け、幸いこれが功を奏し幾度かの危機的状況から脱出できた。今なお再発の治療を繰り返しながらも日常生活を送れているのは、私が医師という有利な立場から最新医療情報を知る機会があり、自己責任のもとにこれら未承認の治療法を受けたことによる結果である。
私と同様の状況にある数多くのがん患者にこれらの情報を届け、その治療を受けたいと希望する患者に早急に同じ治療が実施されることを願っている。
このような高度な医療を多くの患者さんが受けることができるようになるのが理想である。それは理解できる。しかし、これほどの高度な医療を多くの国民が受けられる国は存在しない。ではその理想に少しでも近い国はどこか?日本である。国民皆保険制度によって、インターフェロン併用持続動注療法は無理としても、動注化学療法やなんと肝移植まで受けられる。「がん難民」という言葉は著しく不適当だと私は考える。三食十分な食事があるのに、隣町の金持ちがフランス料理のフルコースを食べているのを見て、「私はなぜフランス料理を食べれないのだ。納得できない」と言っている人を「難民」と呼べるだろうか。隣町では日々の食事に事欠く人もいるのに。だいたい、情報格差を解消したところで、経済的に保険適応外の治療を受けられない人はどうなるのだ?高度な医療を求めるのがいけないと言っているのではない。私が肝癌になり、保険適応の治療が効果なくなったら、インターフェロンを自費で使う。しかし、それは贅沢であることを自覚している。難民どころか、「がん貴族」である。当初の東京新聞の記事の最後の段落を引用しよう。
■がん難民、推計68万人 民間研究機関が調査*5(東京新聞)
同機構は、がん難民を100パーセント解消すれば年間約5200億円の医療費が削減できると推計している
もうね、アホかと。削減どころか、がん難民を解消するためにどれだけ余分な医療費が必要かを推計するべきである。医師に十分な説明をする時間を与えるだけでもコストがかかる。医師・病院ごとの治療成績をまとめるのも、バイアスを除くのは一仕事である。全てのがん患者に最新情報がいきわたって、インターフェロン併用持続動注療法のような最新医療を全ての患者が受けるようになったら、いったいどれだけの医療費がかかるのか。日本医療政策機構が、医療費削減を口にして、その実、何を目的としているのかは注目に値する。「足るを知る」、つまり、「贅沢は敵だ!保険適応内での医療で納得せよ」つうことで、がん難民の解消を図るつもりなら面白いけど。