NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

誰が高齢者を診るのか

地方の中核病院に勤務していると、たまに行き場のない患者さんを受け持つことがある。老夫婦二人だけの家庭で、片方が脳血管障害で倒れた場合などである。息子夫婦が同居していても、仕事などで自宅で介護するのが困難なケースもある。比較的軽症であれば、老健施設や療養型の病院に入所・転院することになる。これもいつでもOKというわけではなく、たいていは席が空くのを待っていなければならない。これが、「手のかかる」患者さん(たとえば定期的にインスリンの注射が必要である、近い将来看取る必要がある、麻薬を処方している、など)だと行き先を探すのが一仕事になる。こういう余計な仕事が増えるのは面倒だ。どうせなら、医学的なことに時間をかけたい。

重症・急性期であれば急性期病院で診るのは当然として、病状が安定してくると転院を考えるのだが、「手のかかる」患者さんだとどこもいい顔をしない。けしからんとばかり言ってもいられない。療養型病床を減らすのが政府の方針であるから、診療報酬を削られているのである。本来なら、「手のかかる」患者さんが療養型病院に入り、「手のかからない」人は在宅や老健施設でということなのであろう。しかし、「手のかかる」患者さんばかりを診ていてはやっていけないように診療報酬が設定されている。これが患者さんが少ないのなら選んでられないのだが、供給過小・需要過多であるため、老健施設や療養型の病院は患者を「選ぶ」ようになるのは当然であろう。かくして、行き場のない患者さんが急性期病院のベッドを占領し続けることになる。カルテには「安定。○○病院へ転院依頼。返事待ち」とだけ書き続ける。当然、医療費は余計にかかるという罠。

だったら、もっと在宅で診るほうへ誘導するというのが、政府の方針らしい。


■75歳以上の医療制度、診療報酬「在宅」重視へ(読売)


 入院・外来中心の医療を在宅医療重視に転換するため、地域の主治医による日常的な高齢者の状態の管理から、死亡時までの医療行為に対し、現在より手厚い診療報酬体系の確立を目指す。高齢者医療費の抑制を目的に、入院など一部の医療に導入されている投薬や診察の回数に関係なく診療報酬が一定額となる「定額払い制度」の、高齢者の外来診療への適用拡大も検討する見通しだ。
 日本の高齢者医療は、平均入院日数が欧米の3〜5倍程度に達することなどが特徴と言われている。

すでに、id:Yosyanさんが■厚労官僚は50年前がお好き(新小児科医のつぶやき)で指摘しているのだが、在宅医療だって介護のための労働力が必要なわけで、誰が負担するかと言えば家族である。上記引用した読売新聞の医療関係の他の記事には、「患者の視点で」「患者不在の議論はよくない」などと美辞麗句があるのだが、『診療報酬「在宅」重視へ』という記事に患者や患者の家族の視点がないのはなぜだろう。「自宅における家族の介護労働を考慮すれば、施設介護を充実させた方が、社会全体での効率は高くなる」というInoueさんの指摘に私は賛成である。ちなみに日本の高齢者の入院期間が長いのは、自己負担が少ないのと、介護施設の不足と、外国では行なわないような延命治療のためである。在宅重視に診療報酬をいじったくらいでは変わらないね。「入院中にはかかった医療費以上の年金はもらえない」「高齢者に人工呼吸器は保険適応外である。やりたいなら自己負担で」ぐらいは言わないと。

このままいくとどうなるか予言しよう。診療報酬を削られ療養病床が減る。老健施設は現在以上に予約待ち。在宅で診ろと言われても家族は限界。ちょっと熱でも出たらこれ幸いと救急車で急性期病院へ受診し、入院させろとごねる。医師は入院の必要がないと思っても、帰宅させて万が一結果が悪ければ責任を問われるのでしょうがなく入院させる。もしかしたら、「診断の遅れにより死亡。家族は入院を希望するも主治医は帰宅させた」などと新聞沙汰になり、真面目だが運の悪い医師が犠牲になるかもしれない。かくして、急性期病院は、現在以上に、急性期医療の必要のない患者さんでいっぱいになるであろう。本当に急性期医療が必要な患者さんが来たときに空床がないなどという事態が起こらないと、問題点は十分に理解されないのか。