NATROMのブログ

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EBM(Evidence Based Mahjong):根拠に基づいた麻雀


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■科学する麻雀

EBM(Evidence Based Medicine:根拠に基づいた医療)というものがある。医療において、医師の個人の経験や勘だけに頼るのはやめて(それも大事なんだけどね)、客観的な情報を利用しようってこと。たとえば、薬Aを使用したらよく効いた、薬Bはあまり効かなかった、という経験だけをもって、薬Aを使用するのはよろしくないということ。しばしば、個人の経験はあてにならない。たまたま偶然に薬Bが効かなかっただけかもしれないし、薬Aが効くという先入観が効果判定に影響を与えたかもしれない。きちんとした研究、つまり、十分に大きい集団をランダムに二群に分けて、バイアスが入らないようにブラインド条件下で、薬Aよりも薬Bのほうがよい治療成績をあげていたら、医師は薬Bを使うべきだろう。

「科学する麻雀」を読んでまっさきに思いついたのは、この本(及び著者であるところの「とつげき東北」氏)は、麻雀におけるEBM、根拠に基づく麻雀を目指しているのだ、ということ。これまでの麻雀プロが書いた麻雀本って、ほとんど根拠がなかったのだ。たとえるなら、それぞれの医師がそれぞれ自分の経験と勘に頼って医療を行っていたようなものだ。むろん、麻雀プロは我々素人よりも麻雀をたくさん打っており、その経験は貴重なものだ。本来のEBM(根拠に基づいた医療)でも、「権威者の意見」もエビデンスと認めている。でも、エビデンスの質としては低いわけ。その理由は簡単。個人の主観的な経験は、偏りやすいのだ。

たとえば、いわゆる「流れ」について。「流れ」の定義にもいろいろあるけれども、「調子の悪いときはツモも悪い」といった低級オカルト的な「流れ」を信じている人すらいる。要するに、サイコロを振り続けて、1の目が3回続けて出たあとに1の目が出る確率は6分の1ではない、といったことを信じているのと本質的には同じだ。調子が悪いときは、「流れ」を変えるために、あえて鳴くことを勧める戦術もある。非合理的だわな。そうした「流れ」が存在するという証拠はない。少なくない人が麻雀における「流れ」の存在を信じているのは、人の心理的な傾向として、実際には存在しない「流れ」を主観的に感じてしまうということで説明可能だ。血液型性格診断や占いの類を信じてしまう心のメカニズムと同じ。*1

既存の麻雀本でも、オカルト的な「流れ」を否定するマシな本もあるけれども、それでも多くの場合、「個人の主観的な経験」の域を超えていない。「科学する麻雀」はその一歩先を行く。オンラインの麻雀「東風荘」の大量のデータやシミュレーションの結果を元に、できるだけ客観的な「エビデンス」を提供する。たとえば、「裏スジ」が危険かどうかのエビデンス。「裏スジが危険である」とは、たとえば、捨て牌に2があれば、3−6のスジが危険だということ。その根拠は手牌に「245」とあれば、2を捨て3−6待ちになるからだと言われている。裏スジが本当に危険かどうか、経験で分かるだろうか。個人的な経験はしばしばあてにならない。もっとよいエビデンス、たとえば大量の牌譜から、捨て牌に2がある群とそうでない群とを比較して、3−6のスジが危険かどうか検証したエビデンスがあれば、そちらを優先すべきだろう。これまでは、そうしたエビデンスは不在だった。「科学する麻雀」はそのエビデンスを提供する。裏スジは危険ではない。

細部に関しては異論もあろう。インターネット上の麻雀は実戦とは違うとか、シミュレーションのモデルが単純すぎるとか*2。確かに最高レベルのエビデンスではない。しかし、「科学する麻雀」はこれまで不在だったレベルのエビデンスを提供したのである。これまで、「飲んだ、治った、効いた」レベルのエビデンスしかないところに、複数のランダム化比較試験のメタ分析ではないにせよ、データに基づいた証拠を出したのだ。結論そのものだけでなく、そうした方法論を提供したこと自体が意味がある。

最後に苦言をいくつか。エクセルのグラフがそのまま図になっているが、原図はカラーであったのが本では白黒になっているので、見にくいところがある。方法論と結論を明確に区別し、重要な結論はまとめてくれると嬉しい。索引があればなおよい。データをすべて掲載することは不可能だろうが、URLを記載して元データにあたることができればよいだろう。P113の手にはイーソーの刻子(コーツ)が二つある。

*1:中にはほとんど「宗教」のレベルの麻雀の流派も存在する。

*2:とつげき東北氏はシミュレーションの妥当性について検証している。目的から考えるとシミュレータは十分役に立つレベルだと私は思う。