NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

”複合形質”の問題

牧野は、個体数が十分であれば100億分の1の確率でも有利な突然変異は起こるのではないかという想定された反論に対して、こう答えている。


生命というのは複雑精緻なシステムであるから、そこで起こった単独変異は、ほとんどシステムの攪乱であり、故障でしかない。いくつもの変異が偶然にも合目的的に合体してはじめて、有利さを主張できるのである。たとえば、イルカが超音波発信機を突然変異によって獲得したとしても、エコーロケーションのための受信機や解析頭脳を同時に備えていなければ、それが何になるというのだ。あるいは、ミツバチが有名な収穫ダンスというステキなボディーランゲージを見につけたとしても、たまたまそれを解読してくれる仲間がいなければ何の意味もない。それでは最初の突然変異、すなわち、”移行への最初の小さな一歩”には何の適応的な価値もなく、100億匹の延べ個体数をすみやかに達成するなんてことはまずあり得ない。結局それらの変異が偶然の幸運で合体する確率は、100億分の1×100億分の1……という無限小に収束する算式をとるほかはないのである。(P40)
たとえば目のような複雑な器官がいったいどのようにしてできたのか、という「還元不可能な複雑性」に関する疑問は、ダーウィンの時代からあり、ダーウィン自身によって回答されている。「目を構成する要素がすべて同時に出現しないと機能しない」というよくあるダーウィン進化論に対する反論は、明らかに間違いである。ドーキンスが指摘したように、「眼がないよりは、水晶体のない眼を持つほうがましである」。複雑に見える生物の形質も、漸進的な段階によって説明可能である。眼の場合は幸いにも、さまざまな種が段階的な眼を持つことによって、進化の段階が推定できる。

牧野がやってみせたような計算は、むしろ、ダーウィン的な進化以外の方法では、初めから何らかの知性が関与したとでも仮定しない限り、複雑な形質が進化し得ないことを示している。「超音波発信機」と「受信機」と「解析頭脳」を同時に備えさせるほど、「自己組織化する能力を持つ生体高分子系」は賢いのだろうか?よしんば生体高分子系が十分に賢いと仮定して、そのような生体高分子系は非常に複雑なものであるに違いないが、いったいどのようにそうした複雑なものが生じたのであろう?牧野の主張する「自己組織化する能力を持つ生体高分子系」も、牧野自身が批判している「生命物質系が目的性を示すのは、”宇宙原理”だとか”生命要因”などといった、得体の知れない生気論的な神秘力によるのだという、非理迷妄な議論(P12)」と似たりよったりである。


このような、さまざまな単位形質が体系的に合体しなければ意味のない”複合形質”の進化の問題は、主流進化論の最大の難点であり、進化学者たちは故意にその問題を避けているようにみえる。(P42)
進化学者が問題を避けているのではなく、牧野が進化学者による議論を知らないだけ。ドーキンスによる「ブラインド・ウォッチメイカー」(原著1986年、和訳1993年)はこの問題によく答えているが、「ダーウィンよ さようなら」の参考図書には挙げられていない。木村資生の「生物進化を考える」は参考図書に入っているが、同書第5章「自然淘汰と適応の考え」において、ダーウィンが眼のような完成された器官が自然淘汰でできるのかどうかという問題を論じているところが紹介されている。そもそも、ダーウィンの「種の起源」が参考図書に挙げられていないのはどういうこと?

ちなみに、参考図書には、日本語の本のみで、原著論文は一つも挙げられていない。牧野は、「自己組織化」が自然淘汰の代わりに生物の複雑さを説明すると考えているようだが、参考図書にはカウフマンをはじめとした、自己組織化、カオスの縁、複雑系関係の本はない。カウフマンは、進化における自己組織化の果たす役割を重視しているが、ダーウィン的な進化を理解しているし、否定もしていない。今後、ダーウィン進化論を修正したり内包したりする新しい学説が登場するかもしれない。しかしそれは、ダーウィン進化論を理解している人によってのみ、なされるだろう。