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分子進化の中立説

木村資生が提唱した分子進化の中立説は、広く認められて、進化生物学の重要な一分野を占めている。現在の進化生物学を批判するためには、当然のことながら、中立説の知識が不可欠であろう。牧野は中立説をどう記述しているだろうか。


結局のところ、中立説は自然選択説に対する修飾要素でしかあり得ない。しかしなお、はしなくも中立説に表れた現代進化思想の内実を、私はここで告発したい。
その一つは、進化ということばを、限りなく矮小化してしまった罪である。
そこでは何だろうと、遺伝子が変化しさえすれば進化であるかのように論じられているけれども、ときには表現形質にすら影響しないほどの偶発的変異が、大きな分類群を説明できるだろうか。中立説の論者は、中立的変異で原始哺乳類からクジラが生まれると本気で信じているのだろうか。彼らは枝葉末節ばかりを突つくことにより、進化の本題というべき大進化の原因の探求を遠く退けてしまったのである。
「中立説の論者は、中立的変異で原始哺乳類からクジラが生まれると本気で信じているのだろうか」って、信じているわけないだろ。要するに、牧野は「この店では、魚が売っていない。大根が魚と本気で信じているのか?」と八百屋を非難しているのである。中立説を正しく理解している人にとっては、定義上、適応的な進化は中立説では扱えないことが分かっている。参考図書を見る限り、中立説および集団遺伝学に関する本は、木村資生の「生物進化を考える」だけである。教科書すら読んでいない。牧野は、啓蒙書を一冊読んだだけで、ある偉大な学説を批判したのだ。牧野は、集団遺伝学の基本を理解していない。

近年ではタンパク質のアミノ酸配列やDNAの塩基配列がよく知られるようになった。相同的なタンパク質について、これを古生物学的に分岐年代の明らかな生物群の間で比較してみると、アミノ酸の時間的変異率はほぼ一定で、一アミノ酸座位について(タンパク種によって差があるが)、平均10億年に一回くらいであることがわかった。これがいわゆる"分子時計”の概念であり、異なる生物間でアミノ酸配列や塩基配列を比較してみると、その相違の程度によって分岐年代がわかり、系統関係が推定できるのである。(P37)
ここまではOK。問題はない。ところが、

しかし、たった一段階変異するのに10億年もかかるのでは、進化なんか起こりっこないように思える。
(中略)
ここで、遺伝子突然変異によって、あるタンパク質の特定のアミノ酸座位が、20種のアミノ酸のうちの特定の1〜2種に置換されたときのみ、目標とする”有利な”形質が得られるものとしよう。もちろんそれ以外の置換は、すべて無用な変異である。
ただし、この数字は、その座位がどのアミノ酸に変わったかまでは不問にしているので、すべての無用な変異を含んでいる。もしその座位が特定のアミノ酸に置換することを期待するには、変異率は100億年に一回の桁と見積もらなければなるまい。これは継代的に存続する一つの遺伝子に着目するならば、それが偶然に有利な変異に遭遇するためには、何と100億年を見込まなければならないということを意味する。
牧野は、系統におけるアミノ酸の置換速度と、個体における突然変異の発生率を混同している。この混同は致命的なもので、牧野が集団遺伝学についてまったくの無知であることを示している。前者が平均10億年に一回くらいとしても、個体における突然変異が同じくらいの頻度であるわけではない。分子時計に使われるタンパク質におけるアミノ酸の置換速度は、タンパク質の機能に左右される。重要な機能を持ったタンパク質ほど、アミノ酸置換速度は遅い。だからこそ、「タンパク種によって差がある」のだ。一方、ある個体に有利な突然変異が起こるかどうか、というのは別問題である。DNAの複製はきわめて正確であるが、それでもヒトぐらいのゲノムを持つ生物は、常に毎世代についていくつかの突然変異は起こっている(集団に固定するかどうかは別として)。10億年も待つ必要はない。