NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

澤田石先生へのお返事(2018年4月14日)

■■内科勤務医 @NATROM 医師とのやり取りの記録 その一(2018/4/13) — Twishortもしくは■澤田石先生からのご質問へのお返事、および、こちらからの質問の再掲 - NATROMの日記の澤田石先生のコメントに対するお返事です。


澤田石先生へ。ご丁寧なお返事、ありがとうございました。

澤田石先生が批判をする(十分)条件は「現実世界で知り合いである」だけでなく「公人もしくは准公人」もあり、現実世界で知り合いでなくても「公人もしくは准公人」を対象に批判しうることがわかりました。さらに准公人は「社会保険and/or税から報酬を得ている人々」と定義され、保険診療を行っている医師が含まれていることもわかりました。よって、澤田石先生が医療ジャーナリストである伊藤隼也氏を批判しないのに、村中璃子氏を批判していた(そしてその後基本的に批判することはやめていた)理由もわかりました。

しかしながら一方で、別の疑問も生じます。


(1)政府の有識者会議の構成員である伊藤隼也氏は准公人ではないですか?

伊藤隼也氏は2010年から「厚生労働省新型インフルエンザ専門家会議」あるいは「内閣官房新型インフルエンザ等対策有識者会議 」の構成員です。准公人を「社会保険and/or税から報酬を得ている人々」と定義すると、伊藤隼也氏は准公人であると私は考えますが、いかがでしょうか。金銭的な報酬は少ないでしょうが、「少ないから准公人ではない」と言えるのでしょうか。また、金銭的な報酬が少ないとしても政府の有識者会議の構成員であるという肩書が、メディアでジャーナリストとしての働くときに伊藤氏に利益をもたらすことは明らかです。


(2)フォロワー数が3万越え、マスコミも露出している「ジャーナリスト」が准公人ではない、という判断は妥当ですか?

そもそも、対象が「社会保険and/or税から報酬を得ている」かどうかをいちいち勘案して批判するかどうかを判断するというのは非合理的です。批判対象が収入源を正確に開示していない場合は批判できないのですか。「村中璃子氏は准公人だから批判するが伊藤隼也氏はそうではないので批判しない」という基準は後付けに持ち出された言い訳に過ぎないように見えます。後付けでないなら、なぜ初めから准公人基準を持ち出さなかったのでしょうか。

ネット空間では有象無象の「匿名のゴミアカウント」を相手にしていられない、という態度は正しいでしょう。しかしながら、伊藤氏は「匿名のゴミアカウント」ではありません。フォロワー数が3万人以上で、テレビにも出演しています。それも「医療ジャーナリスト」という肩書で。仮に伊藤氏が専門家会議の構成員ではなく、よって「社会保険and/or税から報酬を得ている人々」ではないとしても、医学的に不当な主張を行えば批判されるべきではないですか。


(3)伊藤隼也氏を本当に「全体として信用」できますか?

お忘れになっているかもしれませんが、伊藤隼也氏が批判の対象になるかならないかは、「伊藤隼也さんの子宮頸がんワクチンについての言説には、私はすべて賛成してます」*1という澤田石先生の発言からはじまっています。医師を名乗ったアカウントがそのような発言を行うのはきわめてまずいと私は考えました。

「私は人物Aの分野Bについての言説にすべて賛成している。しかし、人物Aは准公人ではないし個人的な知り合いでもないので、人物Aが分野B以外についてどのような荒唐無稽な発言をしても私は批判しない」

というのは無責任です。百歩譲って、HPVワクチンとはまったく関係のない「医療事故関係のことで、過去に私からみて宜しくない発言」をしたけれども、ワクチン関係の言説については信頼できるというのなら話はわかります。しかしながら、伊藤氏はワクチン関係について問題発言をしています。


(3-I)「数年前にインフルエンザワクチンを打った直後にインフルエンザになったからインフルエンザワクチンやめた」



インフルエンザワクチンは接種後数週間しないと効果を発揮しません。また有効率は40〜60%程度であり、接種してもインフルエンザになることもあります。「論文等を参考に利益と害を勘案した上でワクチン接種をやめた」ならともかく、「インフルエンザワクチンを打った直後にインフルエンザになったからインフルエンザワクチンやめた」という主張は非合理的です。典型的なニセ医学的思考です。

これは「子宮頸がんワクチンについての言説」でなく、インフルエンザワクチンについての言説ですが、それでもワクチンについてかような考え方をする人物が、HPVワクチンについて「すべて賛成」できるような発言をできる能力があるとは思えません。

他にも伊藤隼也氏の問題発言は多数あります。たくさんありますが、HPVワクチンに関連し、かつ、わかりやすいものを紹介します。


(3−II)「子どもにASDやADHDという科学的に十分でなく診断基準そのものに議論のある診断を受けさせている時点で、知性とデリカシーが欠如している」



ASD(自閉症スペクトラム)やADHD(注意欠如多動性障害)の診断基準は、議論がないとは言いいませんが、おおむね確立していると言ってよいです。少なくともHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)やASIA(アジュバント誘発自己免疫症候群)よりはずっと。ただ、問題は診断基準に議論があるかどうかではなくその診断を受けさせていることを「知性とデリカシーが欠如している」と伊藤隼也氏が表現していることです。

HPVワクチンに反対する人たちはしばしば、「HPVワクチン推奨者は被害者やその家族を誹謗・中傷している」と主張します。なるほど、たとえば「HANSという科学的に十分でなく診断基準そのものに議論のある診断を受けさせている時点で、知性とデリカシーが欠如している」などという発言があれば、それは誹謗・中傷であると言っていいでしょう。そのような発言があれば、具体的にその発言を特定した上で、断固として批判していただきたいものです。

翻って、伊藤氏の発言です。我が子の行動に悩み、専門家に相談し、ASDやADHDという診断を受けた保護者が読んで、どう思うでしょうか。ASDやADHDの診断基準に問題があると主張するなら批判の対象は専門家たちであって、家族ではないはずです。付け加えて、伊藤隼也氏がこのような発言をした背景には、標準的な精神医学を完全に否定している内海聡医師の影響を受けている可能性がある、と指摘しておきます*2


(3−III)「20代の女性へ 「子宮頸がん検診」は受けないで!!」というブログを紹介



リンク先は、近藤誠氏に肯定的なブログです。HPVワクチン否定と検診否定の組み合わせは最悪です。「検診さえすれば子宮頸がんはほぼ完全に予防できるのだからワクチンは不要である」という検診の効果を過大評価した主張も間違っていますが、検診否定よりはずっとましです。20歳台の子宮頸がん検診に議論があるのは確かですが*3、議論するとしても丁寧さが必要ではないですか。HPVワクチンの接種率が低迷している日本は、相対的に若年女性の子宮頸がん検診の利益が大きくなると考えられます。それとも「子宮頸がんワクチンについての言説」でないから許されるのでしょうか。

しかも、澤田石先生はHPVワクチンのみの発言に限らず、「HPVワクチン問題故に伊藤氏を全体として信用してます*4とツイートしています。上記、(3-I〜III)の伊藤氏の発言を読んでもなお、「伊藤氏を全体として信用」できるのかどうか、お答えくだされば幸いです。これらで不足なら別の根拠も出します。いくらでもあります。

澤田石先生は医師とのとなので(完全に自費診療か、もしくは引退していなければ)、「准公人」であると言えます。准公人が、あるジャーナリストについて「全体として信用してます」と発言したのです。ならば、そのようなジャーナリストの発言についていささの責任があると私は考えますが、いかがでしょうか。