NATROMのブログ

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胃がんにおけるピロリ菌の「真の」相対リスクはどれくらい?

個人的にはとても興味深い話だけど、かなりマニアックだし、調べ方がまだ不十分なので、裏(過去日付エントリー)に書きます。

■ピロリ菌は胃がんの原因の何%か?において、ピロリ菌の相対リスクを5〜10倍として集団寄与危険割合を計算し、「ピロリ菌が原因である割合はおおよそ75%〜90%ぐらいであった」と書いた。するとコメント欄において、ピピットさんから、「ピロリ菌に感染している人は未感染者に比べて20倍以上胃がんになりやすい」としている医療機関のページがある、とご指摘していただいた。

ウェブ上には「20倍以上」「20〜30倍」といった記述があることは承知していたが参考文献等が見当たらず、後述するように総説やメタアナリシスでは20倍というような大きな数字ではなかったため、該当記事では相対リスクは5〜10倍として書いた。ところが、ピピットさんから、■ヘリコバクター・ピロリ感染管理−マーストリヒト IV/フローレンス コンセンサスレポート−において、




初期の疫学的データでは非噴門部胃癌におけるH. pylori感染のリスクは3倍と推定されたが、より正確な方法論および適正なコントロール群を用いた疫学的試験により、リスクは20倍もしくはそれ以上と示唆されている84,175


と教えていただいた(とても興味深い情報、ありがとうございました)。2012年の"Gut" という雑誌に掲載されている。消化管分野では一流誌といっていい。参考文献が2つ提示されている。



■Helicobacter pylori in gastric cancer established by CagA immunoblot as a marker of past infection. - PubMed - NCBI
■Is Helicobacter pylori infection a necessary condition for noncardia gastric cancer? - PubMed - NCBI



どちらも症例対照研究で、それぞれ2001年と2004年に発表。オッズ比(相対リスクの近似値)は21.0 (95% CI, 8.3-53.4) 、28.4 (95% CI: 3.7, 217.1)で、「20〜30倍」という数字の根拠はこれらの文献と思われる。(『誰かが「盛った」数字が一人歩きしている可能性もあると私は考えます』とコメントしたけれども違いました。ごめんなさい。でも文献提示してくれよ)。サンプルサイズはそれほど大きくないが問題はそれだけではなく、「ピロリ菌感染者」の定義の違いに由来する。

「胃がん+ピロリ+相対リスク」で系統的レビューやメタアナリシスは調べていたけど、20〜30倍という数字ではない。たとえば、2001年の、12の症例対照研究のメタアナリシス。



■Gastric cancer and Helicobacter pylori: a combined analysis of 12 case control studies nested within prospective cohorts. - PubMed - NCBI



"These results suggest that 5.9 is the best estimate of the relative risk of non-cardia cancer associated with H pylori infection …"(相対リスクのもっともよい推定値は5.9倍であることが示唆される)とある。これは2001年と古く、「より正確な方法論および適正なコントロール群を用いた疫学的試験」が考慮されていないのかもしれない。しかし、2011年(つまり20倍とか30倍とかいう研究が発表された後)の系統的レビューおよびメタアナリシス。



■Helicobacter pylori infection and gastric cardia cancer: systematic review and meta-analysis. - PubMed - NCBI



相対リスク"RR = 3.02; 95% CI 1.92-4.74"。つまり3倍。「より正確な方法論」と比較して、かなり乖離があるわけですな。ポイントはピロリ菌が産生するタンパク質CagAにある。「20〜30倍」という数字を出した症例対照研究はいずれもCagAを考慮に入れている。

さてここで、ピロリ菌感染(曝露)と胃がん(疾患)の関係の強さを知りたいときに必要な数字をおさらいしよう。ピロリ菌に感染している胃がん患者さんを何百人集めても、それだけではピロリ菌と胃がんの関係はわからない。ピロリ菌感染がある胃がんの人数、ピロリ菌感染がない胃がんの人数、ピロリ菌感染があって胃がんでない人数、ピロリ菌感染がなく胃がんでない人数の4つの数字が必要だ。表にするとこう。




オッズ比の計算方法


ここで問題になるのは誤分類。「本当は胃がんだけど胃がんじゃないと誤診」とか、「本当はピロリ菌感染ありだけで感染なしと誤診」とかいう例が混ざると結果が不正確になる。胃がんの診断はほぼ正確と考えていい。しかし、過去の研究ではピロリ菌の感染の有無は抗ピロリ菌抗体で判断していたんだけど、これが不正確。とくに「ピロリ菌に感染し続けて、胃粘膜が萎縮し、いかにも胃がんのリスクが高そうなくせに、抗ピロリ菌抗体が陰性になる」という例がある。ピロリ菌感染の有無で胃がんリスク評価する検診方法(ABC検診)でD群に分類されている。




ABC検診の説明。■ABC検診(胃がんリスク分類) | デンカ生研株式会社から引用。赤丸は引用者による。

胃がんリスクが高いくせにピロリ菌感染なしと誤分類されると、オッズ比はてきめんに下がる。オッズ比=ad/bcでいうと、aが減ってbが増えるからだ(誤分類でcが減ってdも増えるけどその増え方が非対称)。

そこで、「抗ピロリ菌抗体以外の、もっとピロリ菌感染を正確に判断する方法」が採用された。それが、ピロリ菌が産生するタンパク質CagA。タンパク質そのものを測定したり、CagAに対する抗体を測定したりする。CagAを採用することで、「胃がんリスクが高いくせにピロリ菌感染なしと誤分類」を減らせることができる。すると、オッズ比が10倍とか20倍とか30倍とかになる。抗ピロリ菌抗体だけで判断すると、3倍程度、高くてもせいぜい5〜6倍なのに。

ただね、CagAを採用すると、今度は逆に相対リスクを過大評価すると思うんだよ。CagAそのものが胃がんリスクに関係しているから。「ピロリ菌感染歴があるのに抗ピロリ菌抗体陰性の人」のうち、胃がんリスクの高いCagA陽性の人だけをピロリ感染ありと分類し、胃がんリスクの低いCagA陰性の人はピロリ菌感染なしと分類する。すると「真の」相対リスクより高めの数字が出る。「ホントはピロリ菌感染あり。でも抗体もCagAも陰性でピロリ菌感染なしに誤分類される人」がどれぐらいいるかはわからないけど、いないはずはない。

「胃がんリスクには影響しないけどピロリ菌感染有無をより正確に測る指標」があればいいんだけど、今のところはそんな便利な指標はない。「抗ピロリ菌抗体だけだと相対リスクを過小評価、CagAを加味すると過大評価」することを念頭において判断するしかない。そして、日本人を対象にしたそこそこサンプルサイズの大きい症例対照研究では、抗ピロリ菌抗体だけだと相対リスクは5.1 (3.2-8.0)、CagAを加味すると10.2 (4.0-25.9)という結果だった。



■Effect of Helicobacter pylori infection combined with CagA and pepsinogen status on gastric cancer development among Japanese men and women: a nest... - PubMed - NCBI



そう考えると、やっぱり相対リスク20〜30倍というのは「そういう研究もある」程度で、やっぱり過大評価だと思う。また、よしんば相対リスク30倍という数字を採用したとしても、集団寄与危険割合は99%もの高い数字にはならない(97%ぐらい)。

臨床医の興味の対象は介入の効果(除菌したらどれぐらい胃がんが減る?どういう人にピロリ菌の検査をすべき?)なので、ピロリ菌の「真の」相対リスクはあまり重視されない。5倍だろうと30倍だろうとたいして違わない。「ピロリ菌を調べて除菌したらこんなにいいことがありますよ」という主張に都合がよいので、ちょっと大きめの推定値が採用される傾向があるのかもしれない。というかあると思う。