NATROMのブログ

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利己的遺伝子と男の浮気

利己的遺伝子説の批判者は、こう誤解することが多い。


■ドーキンス説の問題*1


 利己的遺伝子説を信じる進化論学者は、こう主張することが多い。
 「男はみんな浮気をするのが当然だ。そうすればたくさんの遺伝子を残せて有利だからだ」
 こう主張するとき、彼らは自説のどこが間違っているか、わからないのだろう。


過去にもとりあげた*2南堂久史氏による。文字コードのえらい人としても有名である。もし南堂氏がこのエントリーに反論するのであれば、是非、誰がそのような主張をしているのか、具体的な引用とともにご教示いただきたい。私の知る限り、「男はみんな浮気をするのが当然だ。そうすればたくさんの遺伝子を残せて有利だからだ」などと主張している「利己的遺伝子説を信じる進化論学者」はいない。ドーキンス自身は、以下のように書いている。



「浮気」戦略というのは、これが雄のふるまう方法だというわけではなく、二つの仮想的な代替戦略の一つとして仮定されたのである。いま一方の戦略は「誠実」戦略であった。この至って単純なモデルの目的は、浮気することが自然淘汰によって有利になるのはどのような状況であり、特定の雌への誠実さが有利になるのはどのような状況なのか、を例示することである。雄では誠実より浮気が起こりやすいなどとは何ら前提になっていなかった。実際、私の公表したシミュレーションのある行程は、両方の雄が混合した個体群では誠実な雄が少し優勢になるとの結果になった。(■延長された表現型―自然淘汰の単位としての遺伝子 P32)


ドーキンスに対して、「『男は浮気して当然』と誤解されうる表現はいかがなものか」という批判はありだ。しかしながら、「『男は浮気して当然』という主張は間違いだ」というのは誤解に基づいた的外れな批判である。誤解が生じた責任の一端はドーキンスにもある。とは言え、読者がこの種の誤解に陥らないように本文および補注でドーキンスは再三注意しているし、そもそも啓蒙書を書くのにあたり正確さとわかりやすさはトレードオフの関係にある。たまに不注意な読者が誤解に陥ることがあるとは言え、ハミルトンによる血縁淘汰をはじめとしたダーウィン進化論の発展を非専門家に伝えた功績のほうが大きいと私は考える。

加えて、誤解している人の多くはドーキンスの著作を読んでいない(もしくは「タイトルを読んだだけ」)のではないか。竹内久美子をはじめとした「サイエンスライター」による、利己的遺伝子のアイデアの不正確な説明(もしくは「高度なジョーク」)をそのままドーキンス自身の説だと勘違いしているというわけ。たとえば、南堂久史氏によるドーキンス批判(あるいは拡張)には、びっくりするぐらいドーキンス自身の言葉が出てこない。原著論文どころか、邦訳されたドーキンスの著作すら引用されない。以下の引用から、南堂氏は実は「利己的な遺伝子」すら読んでおらず、二次的な解説書からドーキンスを理解したつもりになったのではないかと疑われる。


■[補説] 利己的遺伝子の意味(Open ブログ)*3


 ドーキンスの利己的遺伝子説は、世間で広く知られているとおりだ。「個体は遺伝子の乗り物である」というドーキンスの(擬人的な)表現で示されているとおりである。
 世間で理解されていることは、おおむね、本質を突いていると考えていい。というのは、人々は、ドーキンスを読むよりは、その解説書を読んでいて、その解説書を書いた人は、ドーキンスを正しく読み取っているからだ。


   ドーキンス → 正しい理解者による解説 → 一般人


 という経路があり、これでおおむね、正しく理解されている。
 しかしながら、一部の専門家は、ドーキンスの原著(和訳)を読んだとき、その意図を誤読してしまう。ドーキンスの原著はやたらと分量が多くて、論旨もごちゃごちゃと入り組んでいるせいで、そこに書いてある全貌を理解するより、そこに書いてある逐次的な語句ばかりを読んでしまうのだ。そのせいで、局所的な理解しかできなくなる。(虫瞰的とも言える。鳥のように全体像を理解できず、目先しか理解できなくなる。)
 つまり、専門家であるほど、物事の本質を理解できない、というふうになる。


「専門家の過小評価」の典型的な例である。ちなみに、正しい理解者とは、たとえば、「ブルーバックスの中原とかいう人」、つまり中原英臣*4だそうだ。南堂氏はブルーバックスを読んだだけで「相対性理論は間違っている」と主張する人とよく似ている。南堂氏によれば、ドーキンスの意図を専門家は誤読し、ブルーバックス等の解説書を読んだ一般人は正しく理解しているそうだが、なるほど、ドーキンスの原著を「やたらと分量が多くて、論旨もごちゃごちゃと入り組んでいる」と感じる人にとっては魅力的な仮説だ。ただ、「専門家は○○と言っているが、ドーキンスは××と言っている」というような、「専門家がドーキンスの説を誤解している」根拠は示されていない。南堂氏は、多くの専門家の誤解を指摘できるほどの天才であるので、それが根拠なのだろう。おそらく、「ドーキンスの説を誤解している専門家」にドーキンス自身も含まれる。

*1:URL:http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/class_82.htm

*2:■ドーキンスはマチガッテイル系■ドーキンスをシュウセイスル系

*3:URL:http://openblog.meblog.biz/article/264778.html

*4:ウイルス進化論の人

進化論は間違っていたんだよ!

な・・・・なんだってー!!(AA略)


■進化論は間違っていた!?(livedoorニュース)


 「実はダーウィンの進化論を生命の進化の常識として信じきっているのは日本人くらいなのです。ダーウィンの進化論は聖書が語るすべてを否定することで、すなわち神の存在を否定するもの。キリスト教圏やイスラム圏ではあまりメジャーな学説ではありませんでした。バチカンが進化論の一部を許容した現在でさえアメリカの数州やカナダの公立学校では創造論として進化論とは違う種の起源を教えているほど」


 今回、絶対匿名を条件にコメントを引き受けてくれた国立大学の准教授であるA氏は淡々と話を始める。


 「基本的にダーウィンの進化論は間違っていません。ただ、アインシュタインの相対性理論の登場と遺伝子科学の進化により進化論を取り巻く環境が激変したため、従来の進化論では説明のつかない不具合が生じ始めたのです」


「進化論が常識なのは日本だけ」「海外では創造論が教えられている」というのは、いつものやつ。絶対匿名を条件にコメントを引き受けてくれた国立大学の准教授というのはちょっと味わい深い。なぜに国立大学?准教授?進化論否定に相対性理論を持ち出すパターンも珍しい。発言内容をみるに、おそらく准教授A氏は存在しないんじゃないかな。もともとは、「内外タイムス」という「東京都の夕刊地方紙(スポーツ紙)」*1の記事。記事の信憑性を問題にするのは野暮というものであろう。問題は、面白いか、面白くないかである。

NMR(ナイガイミステリーリサーチ)を名乗っているところから、例のあの漫画をベースにしていると思われる。■内外タイムス [ NMR ]には、「ツチノコ捕獲法」「謎の吸血サークルを追跡」「外国の怨霊は日本語が分からない!?」「相次ぐ永田町のUFO発言 その背景にあるのは何か!?」といった記事が並んでいる。ややUFOネタが多い気はするが、おおむね楽しく読めた。ただ、もっとこう、突き抜けた感じが欲しい。本物を見慣れているからなのか、迫力に欠ける。今後に期待。


*1:Wikipediaの「内外タイムス」の項より

網 vs. 自然選択

漁業資源の保護の方法の一つとして、網の目の大きさの規制がある。適切な網目の大きさを設定すれば、網からすり抜けた小さな個体がいずれ成長して資源は保たれる。しかし、進化論を考慮すると、漁業資源管理の上で問題が生じうるらしい。生存競争の点から、魚の体のサイズが大きい利点はいくつかある。より多くの卵を産める、ライバルの個体との争いに勝ちやすい、捕食されにくい、などなど。ならばより早くサイズを大きくする戦略は有利である(たまたまこの戦略は漁師にとっても望ましい)。むろん、大きければ大きいほど有利なわけはなく、種ごとに適正なサイズがあるのだが、自然状態と、漁業がなされたときとで、適正なサイズが異なるのだ。David O. Conover, Fisheries: Nets versus nature, Nature 450, 179-180より図を引用。



今回のエントリーで言いたいことは、この図でほとんどすべて。網で大きな個体が取り除かれる環境下では、魚のサイズや成長速度が小さくなることが予測され、それを実証した研究がある。北西イギリスのウィンダミア湖における、パイク(カワカマス)漁の記録を利用した。1921年にいったん網による漁が中止され、1944年から再開された。うろこの「年輪」を測定したり、タグをつけて再捕獲して成長速度や集団の大きさ、死亡率を推測して、成長率の傾向を見たところ、進化論の予測と一致したとのこと。こういう昔の記録が残っていて、さらにそれを利用して実証的な研究ができたのは結構すごいよな。