NATROMのブログ

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和田秀樹先生、検診を受けていないほうが肺がん死が少ない研究ってどの研究ですか?

先日、『80歳の壁』など多くの著作で知られる医師の和田秀樹先生とX(元Twitter)で対話させていただく機会がありました。高血圧による脳出血のリスクや和田先生が自身のクリニックで提供している高額な医療のエビデンスについて質問いたしました。■和田秀樹氏に答えていただきたい3つの質問にまとめています。和田先生からは「これまでのやりとりを公開して、このような短いバージョンでない形で反論させていただきます」とのお返事をいただきました。まことにありがとうございます。約1か月間が経ちますが、いまだに「短いバージョンでない形での反論」がありません。もちろん、医学的正確さを心掛けれるならばそんなに早くは反論できないということもあると承知しています。不正確でもいい文章なら気軽に量産できます。私には信じがたいことですが、医学的に不正確な内容の本を大量に出版する医師もいます。読者の健康と命を印税に替えているようなものです。

和田先生のご意見にすべて反対しているというわけではありません。たとえば、「がんの早期発見」が望ましいとは限らない、というプレジデントオンラインの記事*1はたいへんに参考になりました。たとえば、




欧米で実施される比較試験や調査は、対象の母数が大きく、かつ、長期にわたっています。医学が科学である以上、医師は常にエビデンス(科学的根拠)に基づいた判断をしていく必要があると、私は考えています。


という部分。私も強く同意します。欧米における大規模臨床試験の結果を否定して、高血圧や糖尿病を放置してよいという誤解を振りまいて患者の命を危険にさらしたり、公費を使わない自費診療ならエビデンスに乏しい治療を行ってよいかのような主張をする医師もいます。大規模RCTだけがエビデンスではありませんが、大規模RCTの結果を否定するなら相応のエビデンスの提示が必要です。また、国家に損をさせない自費診療であっても、患者さんの健康や命にかかわることであり、和田先生がおっしゃるように医師は常にエビデンス(科学的根拠)に基づいた判断をしていくべきです。自分のクリニックの医療について何のデータも提示できず「私が担当でないのでわかりません」「エビデンスがあるはず」「(代替医療の提唱者の)臨床成績を信じているだけ」などと言い逃れる医師は実に無責任です。

さて、がんの早期発見が常に望ましいとは限らないことは、私も何度も言及したことでありますが、一方で、がん死亡率を減少させる有用ながん検診もあるのも事実です。検診から得られる害と利益について患者さんは十分に情報を提供された上で意思決定がなされなければなりません。がん検診を全否定することも全肯定することもなく、和田先生のおっしゃるようにエビデンス(科学的根拠)に基づいて判断していかなければならないのです。日々、勉強です。

さて、和田先生の記事には以下のような記述があります。


また、胸部エックス線撮影やCT(コンピュータ断層撮影)による放射線被ばくも問題です。放射線を浴びれば、ご存じの通り、発がん率は上昇します。アメリカの喫煙者を対象とした大規模な調査によると、定期検診を受けている人のほうが、肺がんの早期発見数が多くなりました。ところが、肺がんによる死亡数は、定期検診を受けていない人のほうが少ない、という結果が出たのです。

不勉強ながら、放射線被ばくの影響により検診を受けている人の肺がんの発生や肺がん死が増えたという大規模な調査について、私は存じませんでした。強いていえば、1986年に発表された、45歳以上の喫煙男性を対象に、4か月ごとの単純胸部レントゲン+喀痰細胞診(検診群)と、1年おきに検査を受けるよう勧められた群(対照群)を比較したメイヨークリニックによる比較試験が思い当たりますが*2、早期発見数の増加は放射線被ばくによるものではく、密な検査によるものですし、肺がん死は対照群でわずかに少なかったものの有意差はなく誤算範囲内に収まります。この研究をもって放射線被ばくのせいでがんが増えたかのように言うのは不適切だと考えます。一般的にがん検診ではがんの発見は増え、がんによる死亡は減るか変わりません*3。肺がん検診でがん死が検診群に多く、しかもそれが放射線被ばく由来であることを示した研究が存在するのなら、患者さんに適切な情報提供をするためにもその論文を読まなければなりません。先日に3つも質問しておきながら恐縮ですが、ぜひとも和田先生にご教示いただきたいです。



質問4:検診群において肺がん死が多いという「アメリカの喫煙者を対象とした大規模な調査」の詳細、および、肺がん死の増加が放射線被ばく由来だと判断された根拠について教えてください。



お忙しいでしょうから、お答えは待ちます。

肺がん検診の害と利益を評価した「アメリカの喫煙者を対象とした大規模な調査」で有名なのはNLST研究です*4。肺がん高リスク者に対し、低線量CTによる肺がん検診を行うと、行わない場合と比較して、肺がん発生が1.13倍*5、肺がん死亡が0.8倍でした(相対リスク減少で20%)。つまり肺がんによる死亡数は検診を受けている人の方が少なかったのです。喫煙者に対する低線量CTによる肺がん検診が肺がん死を減らすことは系統的レビューでも確認されています*6。医師は常にエビデンス(科学的根拠)に基づいた判断をしていく必要があると考えている和田先生が低線量CTによる肺がん検診のエビデンスに言及せず、「CTはさらに危険です」などとおっしゃった理由を詳しく知りたいです。「日本の医師は情報のアップデートが遅い」*7などと他者を批判する和田先生のことですから、NLST研究をご存じなかったなんてことはありえないと信じています。

和田先生は「心臓ドック」と「脳ドック」を「予期できない突然死を予防するためにも有効」だとして、受ける価値があるとしています。ですが、私の知る限り、心臓ドックや脳ドックが突然死を減らすという質の高いエビデンスはありません。脳ドックはMRIで施行可能なので放射線被ばくの問題は避けられますが、心臓ドックは放射線被ばくが伴います。「さらに危険なCT」に見合うだけの利益が心臓ドックにあるかどうか、エビデンス(科学的根拠)に基づいた判断が必要です。


*1:■「がんの早期発見」が望ましいとは限らない…老年専門医が「65歳を過ぎたらがん検診はするな」というワケ 「余命を伸ばせる=治療は成功」は本当か (4ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

*2:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/3528436/

*3:細かいことを言うと前立腺がんにおいて、がんの診断が死亡診断に影響するというバイアスが観察されている(https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36121053/)。がんと診断されると、他の原因で亡くなっても誤ってがんによる死亡と診断されてしまうバイアスである。ただし、肺がんでは起こりにくいと思われる。

*4:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21714641/

*5:肺がん発生の増加は放射線被ばくではなく過剰診断もしくは将来に発症するがんの前倒し診断によると考えられている。

*6:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34198856/

*7:https://nikkan-spa.jp/1906796/2