NATROMのブログ

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線虫がん検査の『HIROTSUバイオサイエンス』の神経芽腫マススクリーニングに関する誤り

線虫を利用したがん検査「N-NOSE」の疑惑を報じた■NewsPicksの記事に対し、HIROTSUバイオサイエンスが反論として■「一部メディアでの報道および内容の解説について」というプレスリリースを出しました。このプレスリリースにはさまざまな問題点がありますが、ここでは主に神経芽腫マススクリーニングに関する誤りについて焦点を当てます。線虫検査の有効性や性能とは直接は関係しませんが、HIROTSUバイオサイエンス側のがん検診の疫学についての理解の程度や科学的事実に対する誠実さについて、何某かの示唆を与えるものだと考えます。


誤:神経芽腫マススクリーニングの有効性は今や専門家の間では知られている。
正:神経芽腫マススクリーニングの有効性は現在も専門家の間では認められていない。


小児神経芽腫(神経芽細胞腫)は神経の細胞ががん化する小児がんの一種です。尿中に排泄されたがん細胞が分泌したカテコラミンの代謝産物を検出する尿検査によってがんを発見できます。日本では1985年から生後6か月の乳児を対象に「神経芽細胞腫マススクリーニング検査」が行われましたが2003年に休止されました。現在、神経芽腫マススクリーニングを推奨している国はありません。

たとえば、NIH(アメリカ国立衛生研究所)のウェブサイト■Neuroblastoma Screening (PDQ®) - NCIには、「確かな証拠に基づくと、神経芽腫のスクリーニングは死亡率の低下にはつながらない」「乳幼児の神経芽腫スクリーニングは過剰診断をもたらす。これは不必要な診断および治療処置につながり、その結果、治療合併症による死亡を含む身体的および精神的苦痛を引き起こす」との記述があります。

イギリスの国立検診委員会(■Neuroblastoma - UK National Screening Committee (UK NSC) - GOV.UK)も同様に「この疾患(神経芽腫)に対するスクリーニングは現在推奨されていない」「スクリーニングによって神経芽細胞腫による死亡が減少するという証拠はない」と述べています。HIROTSUバイオサイエンスが提示している「マススクリーニングが有効な根拠」は専門家の間では十分な証拠とはみなされていません。また、HIROTSUバイオサイエンスは神経芽腫マススクリーニングに不利な証拠について提示していません。詳細については後述します。


誤:日本では 2003年に「過剰診断」を理由に全乳児を対象にした対策型検診である神経芽腫スクリーニングを中止した。
正:「過剰診断」は神経芽腫スクリーニングの休止の理由の一つであるが、それ以外にも死亡率減少という効果が明確でないことも理由である。


日本における神経芽腫スクリーニングの休止の経緯については■神経芽細胞腫マススクリーニング検査のあり方に関する検討会報告書が詳しいです。「一般にマススクリーニングの評価においては、(1)死亡率減少効果があるか、(2)マススクリーニングによる不利益がないか、が最も重要である」「現行の生後6ヶ月時に実施する神経芽細胞腫検査事業による死亡率減少効果の有無は、現在、明確でない」と述べられており、過剰診断だけが休止の理由であるかのようなHIROTSUバイオサイエンスの主張は不正確です。

なお、無症状者に対する線虫によるがん検査にがん死亡率を減少させる効果があるかどうかについても不明確です。死亡率減少効果を評価した観察研究はありませんし、検証するための臨床試験の予定もありません。HIROTSUバイオサイエンスは線虫がん検査を提供にするにあたって、がん検診の有効性を評価する指標であるがん死亡率を減少させる効果が確認されていないことについて顧客に説明すべきであると私は考えます。


誤:早期発見のデメリットとしてしばしば「過剰診断」があげられるが、問題は、見つけ過ぎることではなく、治療の必要がないにも関わらず治療する「過剰治療」である。
正:治療を伴わなくても、がんと診断されること自体が不安や余計な検査といった不利益を生じる。


過剰治療が問題であって治療しなければ過剰診断自体は問題はないという誤解はときにみられます。積極的監視(アクティブサーベイランス)といって、甲状腺がんや前立腺がんといったがんは、診断されても手術や抗がん剤治療は行わずに頻回の経過観察を行うという選択肢があります。積極的監視を選択して「過剰治療」を避ければ害がないと考えるのは想像力の欠如を示しています。

「すぐには手術はしなくていいものの、あなたはがんです」と言われて不安に陥らずにいられる人はどれほどいるでしょうか。過剰診断の害には、過剰治療以外に精神的な害もあり、不安やうつ病、自殺の増加との関連も指摘されています*1。また、ほかに、頻回の検査や医療費の負担も生じます。がん死亡率の減少といった利益が明確でないがん検診は害だけが生じることになりかねません。


「神経芽腫マススクリーニングが有効な根拠」に対する批判的検討

HIROTSUバイオサイエンスは「マススクリーニングが有効な根拠」を提示し、「今では神経芽腫のマススクリーニングの有効性は認められている」と主張しています。しかしながら前述したように、専門家の間では神経芽腫マススクリーニングの有効性は認められていません。それはなぜか、各根拠について検討すれば明らかになるでしょう。

HIROTSUバイオサイエンスによれば、2006年に「登録症例に基づく神経芽細胞腫マススクリーニングの効果判定と医療体制の確立」と題する調査が行われたとし、檜山英三氏(広島大学)を研究代表者とした厚生労働科学研究成果データベースのURLが提示されています。また、『2008年には、「神経芽腫マススクリーニングが有効であった」とする記事が、世界的医学誌 Lancet誌に掲載されています』とし、日経メディカルの記事のURLが提示されています。Lancet誌に掲載された論文の筆頭著者は檜山英三氏です。Lancet誌に論文が掲載されたのなら、その論文を提示すればいいのに、なぜ日経サイエンスの解説記事を提示したのかは意味がよくわかりかねます。できるだけ孫引きを避けて一次文献にあたるというのは科学の基本なのですが。

2008年にLancet誌に掲載された檜山英三氏による論文は以下です。

■Effectiveness of screening for neuroblastoma at 6 months of age: a retrospective population-based cohort study - PubMed

日本における神経芽腫マススクリーニングが有効であったとする根拠は、検診開始前(1980~1983年に出生)、定性検査時期(1986~1989年に出生)、定量検査時期(1990~1998年に出生)の3つの期間において、神経芽腫による72か月までの累積死亡率がそれぞれ10万出生あたり5.38人、3.90人、2.83人で、マススクリーニング開始後に神経芽腫死亡率が減少したというものです。

検診によってがん死亡率が減少したことが示唆され、神経芽腫マススクリーニングが有効であった根拠だと言えます。しかしながら、医学の世界では一つの研究だけでコンセンサスが否定されるようなことはめったにありません。実際、檜山らの研究には発表時から批判的な見解が述べられていました。

■Screening for neuroblastoma: a resurrected idea? - PubMed

批判の一つは、方法論上の欠点です。検診開始前、定性検査時期、定量検査時期の3つの時期を比較していますが、同時期の対照と比較されていません。時間とともに神経芽腫死亡率が減少したのは、マススクリーニングのおかげかもしれませんが、神経芽腫の治療法が進歩したおかげかもしれません。また、登録情報の不完全さも指摘されていました。がん登録のデータベースを利用して行われた研究ですが、死亡診断書に基づく症例数と比較すると60%強しか登録されていませんでした。神経芽腫マススクリーニングに否定的な結果は、先行するカナダおよびドイツの研究から得られていました。檜山らの研究は専門家のコンセンサスを覆すにはいたりませんでした。

檜山らの研究が不適切であったというわけではありません。どのような研究にも一定の制限や限界があるものです。神経芽腫マススクリーニングが有効であったかもしれないというデータが提示されたもの、批判的に吟味された上で受け入れられなかったという、通常の科学のプロセスの一つに過ぎません。ときにニセ医学を推進する企業に悪用される恐れがあるとは言え、科学界に一定の異論があるのは建設的な議論のために有用です。

檜山らの研究への批判の中で二つの課題が提示されました。一つは、日本で2003年にマススクリーニングが休止された後の神経芽腫死亡率の検証、もう一つは生後18ヵ月での神経芽腫マススクリーニングの検証です。

神経芽腫死亡率減少が検診のおかげであれば、検診を休止すれば死亡率は元に戻るはずです。いくつか研究はありますが、その中でも2016年に発表された代表的な研究を提示します。

■The incidence and mortality rates of neuroblastoma cases before and after the cessation of the mass screening program in Japan: A descriptive study - PubMed

マススクリーニング前後に生まれた小児を比較したところ、副腎がんによる累積死亡率には差はありませんでした。神経芽腫マススクリーニングは、がん死亡率を減少させなかったことを示唆します。もちろん、この研究にも限界や制限はありますが*2、この研究以外の多くの研究を総合し、専門家の間で神経芽腫マススクリーニングの有効性は認められていないのです。

2003年まで全国的に行われた検診は生後6か月の乳児を対象にしていましたが、これまで示した通り有効性は不確かな上に多くの過剰診断が生じます。そこで生後18か月で検診を行う案が提示されました。HIROTSUバイオサイエンスのプレスリリースにも「予後不良例を早期発見できる時期として18ヶ月を提唱し、新たな前向き研究を推奨しました」という記述があります。その結果はどうだったのか。やはりいくつか研究がありますがその一つを紹介します。2021年発表です。

■Results of mass screening for neuroblastoma in 18-month-old infants in Osaka area, Japan - PubMed

大阪府において生後18ヵ月を対象にマススクリーニングを受けた患者を後ろ向きに検討したところ、検診を受けた14万人超のうち85人が陽性と判断され、14人が神経芽腫と診断され、うち12例が超低リスク、2例が高リスクと分類されました。高リスクのがんはたった2例、つまり生後18ヶ月幼児を対象にしても効率的に予後不良例を発見することはできなかったということです。大阪府の神経芽腫マススクリーニング検査は2018年に終了しています*3。同様に札幌市でも「検査を継続するために必要な検査の有用性が明らかとならなかったため」2017年に生後18ヶ月幼児を対象としたマススクリーニングを休止しました*4

HIROTSUバイオサイエンスのプレスリリースは、「神経芽腫マススクリーニングが有効な根拠」として、ほかに「神経芽腫の診断の進歩—血清診断法により手術なしで悪性度を診断できる時代へ」というメディカルノートという日本語の医療情報サイトの記事を紹介し、「その後の研究で、日本では神経芽腫マススクリーニング開始後、神経芽腫乳児の死亡率がマススクリーニングを始める前の2分の1に減っていること、2歳以上の進行例が減っているという報告もされました」と述べています。そのような報告があれば一次情報を提示すればいいのに、なぜメディカルノートの解説記事を提示したのかは意味がよくわかりかねます。また、マススクリーニング開始前後の比較ではマススクリーニングの有用性を示したことにはなりません。

「マススクリーニング休止後、乳児期以降の進行例が増えているという予備データも報告されており、現在、死亡率についても詳細に検討する厚生労働省の研究班が立ち上がっています」とありますが、だったらそのデータおよび死亡率の検証結果を提示すべきです。「神経芽腫マススクリーニング休止後の神経芽腫発生状況に関する研究」が開始されたのは2016年で、7年が経とうとしています。もし、「神経芽腫マススクリーニングが有効な根拠」があるのなら、とうぜんに査読論文として発表されているはずです。

『2017年には京都府立医科大学の家原知子氏が研究者代表を務め、厚労省の補助金を活用し、マススクリーニングの効果について大規模な検証が行われ、やはり「有効であった」との結果が出ています』とのことですが、文献の提示がなく検証しようがありません。kaken.nii.ac.jpではじまるURLが提示されていますが(2023年9月25時点でリンク切れ)、そこにデータがあるのでしょうか。だとしても、2017年時点で結果が出ているのであればとっくに査読論文として発表されているはずです。

『当初神経芽腫マススクリーニングでは判定できなかった、治療しなくてもいい症例と治療が必要な症例の判別法を開発し、2021年に発表。これもまた神経芽腫マススクリーニングが実施されていたからこそ得られた効果であったと述べています』については、やはり文献の提示がないどころか、神経芽腫マススクリーニングが有効であった根拠でも何でもありません。有効性について検証しないまま拙速に検診を導入してしまったゆえに生じた「治療しなくてもいい症例」を犠牲にした上での成果なのではないですか。

HIROTSUバイオサイエンスが挙げた根拠は、すべて科研費関連のサイトもしくは日経メディカルやメディカルノートといった医療サイトの解説記事です。日経メディカルの記事を通じて2008年のLancet誌の論文に行き当たりますが、査読論文に関する言及はこれ一つに過ぎず、前述したように専門家の間では受け入れられていません。「マススクリーニングの有効性は今や専門家の間では知られています」として挙げられた根拠としては心もとないものがあります。神経芽腫マススクリーニングに有利な証拠をかき集められるだけかき集めて、やっとこの程度ということなのでしょう。一方で神経芽腫マススクリーニングに不利な証拠については言及されていません。きわめて不誠実であると私は考えます。

専門家の間に知られている神経芽腫マススクリーニングから得られる教訓

日本における神経芽腫マススクリーニングの事例は疫学の教科書にも挙げられています。たとえば、ラッフル&グレイ著『スクリーニング―健診、その発端から展望まで』では、2004年に新生児神経芽腫マススクリーニングを休止させた日本の厚生労働省は「模範的な行動を取ることができた(P196)」と評価されています。

Leon Gordis著『疫学 -医学的研究と実践のサイエンス』では、カナダおよびドイツの研究に言及し「これまでの研究からは、神経芽細胞腫のスクリーニングを積極的に支持する結果は得られていません」とし、「疾患の有無を検出できるとしても、それだけで、必ずしもそのスクリーニング検査が有益とは言えないことをよく認識しておく必要があります(P337)」と述べられています。線虫によるがん検査が全身15種類のがんの有無を検出できるとしても、それだけでは無症状者に対する線虫によるがん検査が有益とは言えないことを、よく認識しておく必要があります。