日本高血圧学会による高血圧治療ガイドラインが5年ぶりに改訂され、合併症のない75歳未満の成人の降圧目標が従来の140/90 mmHg未満から130/80 mmHg未満に引き下げられた。
「高血圧は薬で下げるな」「基準値の引き下げは薬を売りたい製薬会社の陰謀だ」といった主張がニセ医学であることはほとんどの人がおわかりだと思う。ただ、高血圧の基準値がどんどん引き下げられることについて疑問を持つ方もいらっしゃるであろう*1。ガイドラインが変わっただけでこれまで病気じゃなかった何百万人もの人が病気だと診断されるなんて、不思議と感じるのは当然だ。今回は血圧の基準値が下がっていく理由について大雑把に説明したい。
血圧の高い人は、そうでない人と比べて、心血管疾患などで死にやすい
今では常識に属することだが、高血圧は心血管疾患のリスク因子である。ただ、これを証明するのは意外に難しい。心血管疾患の患者さんをたくさん集めて血圧を測って高血圧の人が多いことを示しても証明にならない。血圧が高いせいで心疾患になったのか、心疾患のせいで血圧が高くなったのか区別ができないからだ。
研究のスタート地点で心血管疾患のない人を多数集めて血圧を測り、長期間観察して心疾患の発生を数えて比較する必要がある。コホート研究という。こうした研究により、高血圧だと心血管疾患などの病気になりやすいことがわかってきた。こうして高血圧が病気と診断されるようになったわけだ。「これまで病気とみなされていなかった人たちが、新しい医学的知見によって、新たに病気だと診断されるようになる」こと自体は多くの人に受け入れられるだろう。
すごく血圧の高い人が降圧薬を飲むと、飲まなかった人と比べて、心血管疾患などがすごく減る
「高血圧が心疾患を増やすなら、血圧を下げてやれば心疾患を予防できるのではないか」と考えるのは合理的な推測だ。ただ、これは実際に臨床試験をやってみないとわからない。もしかすると、「動脈硬化などの別の要因で心臓に血液を送りにくくなっているがゆえに体が頑張って血圧を高くしている」なんて可能性もあったわけで、その場合は血圧を下げると逆に心疾患が増えてしまう。
1960年台、いまから50年以上前に、高血圧の人を対象に、降圧薬を飲む群と、飲まない群(対照群)にランダムに分け、降圧薬を飲んだほうが心疾患などの高血圧の合併症を減らすことが示された。ランダム化比較試験という。このころはすごく血圧の高い人(拡張期血圧が120 mmHg前後とか)が対象だったから、臨床試験の対象人数が少なくても有意差が出ていた。
そこそこ血圧の高い人が降圧薬を飲むと、飲まなかった人と比べて、心血管疾患などが減る
次は「すごく血圧の高い人が降圧薬を飲んだら心疾患を予防できるのなら、そこそこ血圧の高い人ならどうだろう?」と考えるのは当然である。臨床試験を行い、降圧治療の効果が示され、基準値が下がる。ただ、その基準値が最適かどうかはさらなる臨床試験を行わないとわからない。今度は軽症の高血圧患者を対象にした臨床試験が行われる。
細部はいろいろあるが、基本的にはこうしたサイクルによって徐々に高血圧の基準値が下がってきた。ちなみに「すごく血圧の高い人」「そこそこ血圧の高い人」「軽症の高血圧」と言えるのは現在の知識からみた後知恵である。
ちょっぴり血圧の高い人が降圧薬を飲むと、飲まなかった人と比べて、心血管疾患などが減るようだ
このサイクルによる基準値の引き下げは、理論的にはどこかで下げ止まるはずだ。個々の患者さんにおける軽症の高血圧に対する降圧治療の利益は小さく、臨床試験は大規模にならざるを得なくなる(小規模だと小さな差を観察できない)。ここらあたりから結果の一貫性もなくなってくる。それぞれの研究で細かい条件は異なる。日本人と外国人、糖尿病や脂質異常症などの他のリスク因子、血圧の測定方法、降圧薬の種類、アウトカムを心疾患の発症とするか死亡とするか、などなどで、結果が変わってくる。
今回のガイドライン改訂の理由の一つは、海外で行われた大規模なランダム化比較試験である((https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26551272))。糖尿病のない50歳以上の収縮期血圧130~180mmHgの高血圧患者9000人強を、120mmHg以下を目指す集中治療群(介入群)と、140mmHg以下でよいとする従来治療群(対照群)にランダムに分け、約3年強観察した。その結果、集中治療群では従来治療群と比べて年間の複合心血管病発生率が年間2.19%から1.65%に下がった(ハザード比で0.75倍)。ただし、低血圧、失神、電解質異常、腎障害といった副作用は集中治療群の方が多かった。
ガイドラインをどうするかは難しい
こうした研究結果が出たからといって即座に降圧目標を下げたほうがいいとは限らない。とくにこの研究は心血管疾患の多いアメリカ人が主な対象であり日本人に適応できるかどうかは注意を要する。しかし一方で、日本人集団における質のよい研究結果が出るまで放置していいわけでもない。個々の患者さんにとっては軽症の高血圧を治療するかどうかの影響は小さいが、対象となる患者さんが多く集団全体に与えるインパクトは大きいのだ。
その辺りは総合的に判断するしかないし、議論があっていい。製薬会社の影響はそれはあるだろう。なにしろガイドライン一つで薬の売り上げが相当変わるのだ。医師であるなら、ガイドラインに書いてあるからと鵜呑みにせず、批判的な検討が必要だ。ディオバン事件のような不正がある可能性も忘れてはならない。ただ、製薬会社の意向だけでガイドラインを書き換えることなどできようはずがない。
週刊誌等で「飲んではいけない薬」といった特集が組まれ、医師の肩書を持っているはずの人が不正確なコメントをしている。そういう医師の書いた書籍も多数販売されている。不正確でも派手で人目を集める主張をすれ週刊誌や書籍がより売れる。そこには需要があるのだ。製薬会社が儲かるのが嫌だ、とか、血圧を下げるなと主張する「ニセ医学本」に感動した、とかいう理由だけで基準値の改定に疑念を呈するのは不毛である。それよりも臨床研究のデータを精査・検証するほうが建設的だ。
*1:厳密に言えば、今回は高血圧の診断基準はそのままで降圧目標が改訂された