NATROMのブログ

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脚氣ハ果タシテヴィタミンB缺乏症ナルカ

脚気は心不全および末梢神経障害を来たす疾患で、明治から昭和にかけての日本では、年間に2万人以上が死亡する年もあった。現在は、脚気の原因はビタミンB1欠乏であることがわかっているが、当時の日本では、脚気の原因について激しい論争があった。ビタミン欠乏説に反対した医学者は、主に東大出身者であり、「事実よりも権威重視」「頭が固い」といった批判をされることがある。たとえば、東大病理学教授の緒方知三郎が、脚気の原因として中毒説ないし伝染病説を重視すべきで、「ビタミン欠乏が脚気の原因をなすとは到底信じられない」と述べたことに対して、後年、「(緒方は)あまり根拠のない仮説を過信したにすぎなかったのである」*1と評されている。

もちろん、権威を過信すると失敗するという一面はある。しかし、新しい学説に対し、保守的な立場を取る科学者もまた、科学の進歩のために必要なのだ。ある一つの研究で、新説が完全に証明されることはめったにない。新しい知見はすこしずつにしか明らかにならないし、相矛盾する研究が併存することはざらにある。論争が起きるのは当然である。保守的な立場を取る科学者を説得する事実を積み重ねて新説は定説となるのだ。保守派がいるからこそ、「より確かな証拠」が揃うのだ。脚気論争の当時において、脚気がビタミン欠乏症である証拠が十分にそろっているように見えるのは後知恵によるものかもしれない。このエントリーでは、ビタミン欠乏説に反対した緒方知三郎らによる1924年の論文を紹介したい。1924年と言えば、脚気論争も決着がつきつつある時代である。簡単に脚気論争をおさらいすると、

  • 1884年 高木兼寛が練習艦・筑波での実験で、従来より蛋白質を多くした改善食が脚気の発生を抑制することを示した。
  • 1894年〜1895年 日清戦争
  • 1897年 エイクマンが白米を与えたニワトリに、人間の脚気に似た多発神経炎が生じること、米糠が多発神経炎の発生を抑制することを示した。
  • 1901年 フレインスがニワトリ白米病が微量の未知物質の欠乏によって起こることを示した。
  • 1904年〜1905年 日露戦争
  • 1908年 臨時脚気病調査会発足。森林太郎が初代会長。
  • 1910年 鈴木梅太郎が米糠からオリザニンを抽出した。
  • 1912年 フンクがビタミンを命名した。
  • 1919年 島薗順次郎がオリザニンの治療効果を報告した。
  • 1921年 大森憲太がビタミンB欠乏食が人間に脚気様症状を起こすことを示した。
  • 1924年 臨時脚気病調査会が「脚気はビタミンB欠乏を主因としておこる」という結論を下した。同年、調査会が廃止された。


以降も、ポツポツと脚気ビタミン欠乏説に反対する論文は発表されているものの、1924年までには脚気ビタミン欠乏説は既に主流となっていた。ビタミン欠乏説反対派にとっては負け戦の気配が濃厚になっていたころに、緒方らは、「脚気症内臓におけるヴィタミンB貯蔵量について 並びにヴィタミンB欠乏症(白米病)のそれとの比較」、日新医学 13:742-774 (1924)を発表した。原著は旧字体+カタカナ表記であるが、引用者によって新字体およびひらがな表記に変更した。





原著はこんな感じ。カッコいい。


緒方らは、「脚気」と、「ヴィタミンB欠乏症(白米病)」は、異なる疾患であると考えていた。1924年には、動物実験だけでなく、ビタミンB欠乏食が人間に脚気様症状を起こすことが知られていた。緒方らの立場では、ビタミンB欠乏食が引き起こした疾患は、あくまでも「ビタミンB欠乏症」であって、脚気ではないというわけ。



脚気は果たしてヴィタミンB欠乏症なるか、肯定論者の多数はヴィタミン欠乏症がいかなる疾患かを深く研究する所なく、ただヴィタミンB欠乏症の一、二神経症状(特に麻痺症状)が脚気に類似すること、ならびに食餌ないし薬剤のヴィタミンB含有量の多少と、脚気症状の軽快増悪との間に幾分の関係あること等を指摘し、直に脚気即ヴィタミンB欠乏症なりとの断案を下せるに過ぎず。実に本問題の如き真に未解決の謎として、今日なお医学の暗黒なる分野中に残されたるものの一つに数うべきものなり。


注釈しておく。当時、臨床的に見られた脚気は、ビタミンB以外の栄養素についても欠乏傾向にあった。脚気を起こすほどのビタミンB不足の食事が、ビタミンB以外の栄養素が十分であったわけがない。一方で、ビタミンB欠乏食による人体実験は、ビタミンB以外の栄養素が不足しないようにデザインされていた。結果、他の栄養素不足によって修飾された臨床的な脚気と、実験的に引き起こされた「ビタミンB欠乏症」は、類似していたものの、完全に一致はしていなかったのである。肯定派が「だいたいあってる」と主張する一方で、否定派は「同一であるとは断言できない」と主張したのだ。

類似点と相違点を言い合うだけでは埒が明かない。そこで、緒方らは考えた。脚気がビタミンB欠乏症であるのなら、脚気患者はビタミンB欠乏に陥っているはずだと。当たり前のように思えるが、当時は、ビタミンBが不足している食事だと脚気が発生しやすいことまでは知られていたものの、脚気患者がビタミンB欠乏であるかは調べられていなかった。現在であれば、患者のビタミン欠乏の有無を知るには、採血して、検体とともに、ビタミンB1の項目にチェックした伝票を業者に送れば済む。しかし、当時は、ビタミンBの測定系から構築する必要があった。ビタミンBの量を直接測定する方法がないため、間接的な方法をとった。



ヴィタミンBは他種ヴィタミンと同様に、未だ直接にその含有量を定量し能わざるものなるが故に、前述のごとき研究成績*2は、いずれも間接的証明法に依れるものにて、生物に対する生長促進作用、又は白米病に対する発病予防、ないし治療効果の強弱によりてその多少を推定するに過ぎざるなり。余らは直接定量法の発案せられざる今日において本研究を進めんとする以上、この間接証明法に従うはまたやむを得ざるところなり。


間接証明法とは、鳩の白米病に対する治療効果でもってビタミンBの含有量を測定する方法である。人為的にビタミンB欠乏状態にした鳩は、麻痺等の脚気に似た症状を呈する。この鳩に、検体を与え、神経症状、体温や血糖値などの変化を見る。検体にビタミンBが十分に含まれていれば、鳩は白米病から回復する。緒方らは、自分たちの間接証明法を検証するために、複数の鳩を用いて、米糠や健康なニワトリの肝臓が白米病を回復する力を持ち、一方で、白米病のニワトリの肝臓を与えても白米病は回復しないことを示した。



前述のごとく、余らの案出せる白米病治療効果によるヴィタミンB含有量測定法は、健康鶏肝粉、白米病鶏肝粉との間に明らかなる相違を示し得たるが故に、同一方法に依りて脚気はヴィタミンB欠乏症なりやの疑問を解決せんとする余らの目的を達し得べきこともまた確実となれり。


ビタミンB測定法の系がうまく働くのを確認した後、人体材料を検体とした実験を行った。検体は、具体的には、死亡した患者の肝臓を粉にしたものである。脚気がビタミンB欠乏症であるのなら、脚気患者の肝臓を白米病の鳩に与えても回復しないはずである。一方、脚気がビタミンB欠乏と無関係であるなら、脚気患者の内臓にはビタミンBが貯蔵されているわけで、白米病の鳩を回復させるはずだ。一例や二例では実験にならない。緒方らは、脚気患者14例および対照として他病死した患者15例の肝臓を複数の鳩に与えた。結果は、両者に差なし。



脚気死、非脚気死間における肝粉ヴィタミンB含有量を比較考察するに、前掲の両表によりて明かなるがごとく、ヴィタミンB含有量は、全脚気14例中8例は多量、2例は中等量、3例は少量、1例はきわめて微量なるに対し、非脚気症例においては、全15例中6例は多量、2例は中等量、5例は少量、2例はきわめて微量にして、ヴィタミンB欠乏症に罹患せる家鶏と、健康家鶏との間におけるがごとき著明なる相違を発見するを得ず。人体材料においては、実験動物より得たるごとき健康時におけるものを求め能わず、従って対照として検査せるものは、何れも病死により得たるものなるが故に、ヴィタミン含有量の著しく減少せるものあるも、また当然の所見に属す。しかして脚気死のそれが、これら非脚気死に比して幾分にても、減少せるがごとき傾向をも示さざることは、特に注意すべき所なり。


この結果をもって、脚気患者の肝臓のビタミンB含有量は、非脚気患者の肝臓に含まれるそれと比較して減少していない、すなわち、脚気がビタミンB欠乏症であるという説に対する反証になると緒方らは結論した。私たちは、脚気がビタミンB欠乏症であること、すなわち、緒方らの結論が結果的に間違っていることを知っている。なぜ、緒方らは間違ったのか。一つは、ビタミンB含有量を、鳩の白米病からの回復という定量困難な指標によって測っているからであろう*3。血糖値や体温も参考にしているが、「元気回復」「麻痺なお少しく存するも元気」「幾分か軽快」「軽度麻痺」という判断は主観的にならざるを得ない。「脚気患者の肝臓にはビタミンBは含まれているはずだ」という先入観から判断が影響を受けることもありうる。理想的には、測定者は、検体が脚気患者由来か非脚気患者由来かを知らされずに、つまりブラインド条件下で判断するのが望ましい。しかし、測定をブラインド条件で行ったという記載はなかった。緒方らが正しい結論を得られなかった理由は他にもある。当時、既に脚気に対するビタミンB投与は治療法として認知されつつあった。死亡した脚気患者は、生前にビタミンBの投与を受けた可能性が高い。緒方らも、自分たちの実験の弱点について正直に記載している。



病死内臓ヴィタミンB含有量は、生前患者に与えられたるヴィタミンB量に関係するところ大なるべきは当然の理なり。されば全実験例において、患者が摂取せし食餌の調査を試みたれども、その多数例にありては、病床日誌中にこれに関する明細なる記事を欠けるもの多くして、ついにその目的を達すること能はざりしは、余らの大に遺憾とする所なり。また脚気例においても同様に食餌の種類、特にヴィタミンB製剤投与に関して不明なるもの少なからず。従って余らは、生前に与えたるヴィタミンB量において正確なる比較研究を試み能はざりき。


私の知る限りにおいて、当時のビタミンB製剤は経口投与である。経口投与されたビタミンBは、消化管で吸収され、まず肝臓へ運ばれる。よって、全身のビタミン欠乏状態と肝臓のビタミンB含有量が相関しないことは十分に考えられる。他にも、死亡してから肝臓の検体を得るまでの時間経過も、結果を狂わす一因になりうる*4。非脚気死からの検体でも、ビタミンB含有量が少ないものがあるのは、おそらくはこのためだろう。

以上は、後知恵での考察であって、当時においては、これ以上の研究を行うのはきわめて困難であったろう。自説に都合の悪い事実も隠さず、断定せず、将来、直接測定法が開発されたときに真否が明らかになるであろうとの正しい予測*5のもとに、緒方らは研究した。科学研究は常に理想的な状況で行えるわけではない。ヒトを対象した研究では特にそうだ。しかし、限界のあることを承知して、少しでも研究を進めるのが科学である。



余らは脚気本体に関し、ヴィタミンB欠乏症説の旺盛なる現時に当り、直にその学説に左袒*6し他を顧みる余裕なき研究者に向って、余らがここに報告せるが如き実験成績は、確かにその一反証たる得る事実なることを警告せんと欲す。


緒方らは、脚気の謎を追及した。権威に安住して安易にビタミン学説を否定した頑迷な学者ではなく、事実を明らかにする努力を惜しまなかった懐疑主義者であった。改善食が脚気を抑制することを示した高木兼寛、米糠からビタミンBを抽出した鈴木梅太郎と同じく、緒方知三郎も、ビタミン学説の進歩に寄与した一人であると言える。


*1:松田誠、■脚気病原因の研究史 ―ビタミン欠乏症が発見,認定されるまで―(PDF)

*2:引用者注:前述のごとき研究成績とは、ビタミンBが肝・膵・腎などに比較的多量に含まれ、筋肉・腫瘍・胎児には少ないという先行研究のこと

*3:「治療効果を観察するに際して最も重きを置きしは、神経症状回復程度なりし…」

*4:「さればこの時間内に肝臓組織内に現わるる死後変化、とくに自家融解ならびに腐敗現象によりて組織内に含有せられるヴィタミンBの一部は化学的変化を起し、従ってその量の減少を来たさんことは、吾人のあらかじめ考慮し置かざるべからざる重要問題なり」

*5:「後日ヴィタミンB化学的測定法の発見せられるときに、始めて余らの測定成績の真否は確定せられるべきものなり…」

*6:引用者注:左袒=味方すること