NATROMのブログ

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船瀬俊介に殺される〜「抗ガン剤で殺される!」批判〜

船瀬俊介は自称環境問題評論家で、週刊金曜日編「買っていはいけない」の著者の一人です。このころから船瀬氏の主張には問題点が多くありましたが、最近、特に抗癌剤について看過できない主張を行っているので、ここで批判いたします。わからないことがございましたら、コメント欄かメール(f:id:NATROM:20211021153631j:plain)でご質問してください。可能な限り回答いたします。ご自身や大切なご家族が癌にかかれば誰でも不安になります。抗癌剤を使うとなれば、治るのだろうか、副作用はどうなのだろうか、とあれこれと悩むのは当然です。しかし、無知に付け込む怪しげな主張に惑わされないようにしてください。少なくとも、最低限の医学知識を持った人で、船瀬俊介氏の抗癌剤に関する主張に賛同する人は皆無であることだけは確かです。反論があるという方は、コメント欄にどうぞ。

船瀬俊介氏の主張

船瀬氏は「抗ガン剤で殺される―抗ガン剤の闇を撃つ」という著作も書いていますが、ネット上で閲覧可能な船瀬氏の主張は、Youtubeでの10分足らずの動画、および、毎日新聞北海道版2007年2月24日の山田寿彦記者による記事があります。


「抗ガン剤で殺される!」船瀬 俊介 氏WF2006年3月(Youtube)
環境問題評論家・船瀬俊介さん講演(毎日新聞紙面から)


批判の対象とすべき事柄は複数ありますが、その中でも、今回は、「厚生労働省の技官が抗がん剤はがんを治せないと認めた」という主張の是非を検討します。

抗がん剤はがんを治せないと厚生労働省の技官が認めたのか?


厚生労働省に取材したんですよ。癌の専門技官、技官がいましてね、
要するに技官というのはプロ中のプロですよ。日本の厚生行政の。聞いたんですよ。
「ズバリ聞きます。抗がん剤はがんを治せるんですか」
「お答えします。抗がん剤ががんを治せないのは常識ですよ」
とはっきり言った。

厚生労働省のような公的な機関が抗癌剤が癌を治せないことを認めた!とびっくりしてしまう人もいるかもしれません。しかし、よく考えてみれば、「厚生労働省の技官が認めた」というのは、船瀬氏からの伝聞に過ぎません。取材の詳細はもちろんのこと、技官の名前すら出していません。どのようなやり取りがあって「抗癌剤が癌を治せないのは常識ですよ」と技官が答えたのかをよく考えてみる必要があります。厚生労働省の技官とのやり取りは、船瀬氏による捏造か、でなければ著しく文脈からかけ離れた恣意的な引用であると私は考えます。想像してみてください。たとえ船瀬氏が言うように癌患者を食い物にする「癌マフィア」による抗癌剤利権が存在するとしても、いや存在するとしたらなおさら、官僚が「抗癌剤が癌を治せないのは常識」などと回答するでしょうか。一口に抗癌剤といってもたくさんの種類があり、癌だって臓器別・組織別に多くの種類があります。「抗癌剤の種類、癌の種類、あるいは癌の進行度によって違いますので一概には言えません」といった官僚的な答えになるのではないでしょうか。医学的な知識がなくったって、船瀬氏の主張がおかしいことに気づくことはできるのです。

抗がん剤は固形がんを治せないか

厚生技官の答えが船瀬氏による捏造でないと好意的に考えたとすると、実際は固形がんに限っての話であるのを、その部分は伏せたものと思われます。固形がんというのは、白血病などの血液系の悪性腫瘍と違って、肺癌や胃癌や大腸癌のようなひと塊りになって発生するがんのことです。固形がんの治療方針は、基本的には、切除可能であれば外科的に切除します。なんらかの理由で切除しきれなかったときには、抗癌剤を使うこともあります。この場合、完全に治すことはできません。この意味において、「抗癌剤が癌を治せないのは常識です」。治せないのなら、いったいなぜ抗癌剤を使うのでしょうか。その目的は、生存期間の延長や生活の質の改善です。一例として、治癒切除不能な大腸癌に対する抗癌剤(化学療法)の効果を図でお示しします。





治癒切除不能・再発大腸癌における化学療法による延命効果の変貌
兵頭一之介、消化器病化学療法の進歩、日本内科学会雑誌 98(3):550 (2009)より引用




無治療であれば平均して6ヶ月の予後生存中央値が6ヶ月(半分の人は6ヶ月以上生きる)であったのが、抗癌剤の組み合わせによっては26ヶ月になっているのがおわかりでしょうか。もしあなたが不幸なことに治癒切除不能な大腸癌になったとしたらどうしますか?人によって抗癌剤を使わないという選択肢を取るのも自由ですが、抗癌剤による20ヶ月の延命は意味がないと考えますか?やり残した仕事を完成させたい。息子の卒業を見届けたい。娘の結婚式に出席したい。孫を一目でもいいから見たい。たとえ癌を治せなくても、これらの希望をかなえることに意味はあると私は考えます。もちろん、他のあらゆる治療と同じように、抗癌剤による治療には副作用はあります。しかし、十分に耐えられる範囲内です。施設によっては、外来で施行することもあるくらいです。

そのほかに、固形がんに対する抗癌剤は、外科手術のあとに再発予防目的で使用されることがあります。術後補助化学療法といいます。たとえば、リンパ節転移のあった大腸癌(stage III)の術後に抗癌剤を使用することは、再発率を下げ、生存率を改善するというエビデンスもあり、既に標準的な治療となっています。大きな癌の塊の全部を抗癌剤が殺すことはできませんが、大きな塊を手術で取ったあとに残った再発する芽になりうる小さな癌の塊ならば、抗癌剤によって潰すことができるのです。まさしく、根治のために抗癌剤を使うのです。

抗がん剤は血液のがんなら治せる

固形がんに限っては、条件付きで「癌を治せない」と言ってもまだ間違いではありませんが、白血病や悪性リンパ腫のような血液のがんについては、「抗がん剤ががんを治せない」というのは誤りです*1。固形がんと違って、血液のがんは、腫瘍細胞がバラバラになっていることが多く、そのために抗がん剤が効きやすいのでしょう。昔と比較して、どれくらい治るようになってきたのか、小児の急性骨髄性白血病を例にとってご説明しましょう。





AML(急性骨髄性白血病)の5年生存率の推移の比較
田渕健、小児がん治療の最近の進歩、急性骨髄性白血病、癌と化学療法34(2):156-161(2007)より引用
EUROCARE、MRC、SEERはそれぞれヨーロッパ、イギリス、アメリカ合衆国のがん登録システム
KCMCは神奈川県立こども医療センター



縦軸が5年生存率です。1950年ごろにはほとんど0%で、小児が急性骨髄性白血病に罹ったら5年は生きられなかったことを示しています。1970年ごろから少しずつ成績が良くなり、現在では50〜70%は5年間生きることができます。小児白血病の場合は再発する可能性もありますが、5年間生存できた人の多くは治ったとみなしてよいでしょう。厳密に言えば、白血病の治療は抗がん剤だけでなく、造血幹細胞移植や分子標的薬を組み合わせて治療します。しかし、治療の基本は抗がん剤によって白血病細胞を死滅させることです。他の治療と同じく100%治る保障はありませんが、抗がん剤は血液のがんを治します。このブログの読者の中にも、白血病からの生還者がいらっしゃると思います。

私が船瀬氏の主張を看過できない理由の一つは、小さいお子さんをお持ちのお母さん方の中に、船瀬氏の主張をたやすく信じてしまう人がいることです。ホメオパシーやワクチン否定とつながっていることが多いようです。Youtubeや講演会のDVDを見ることは、医学関係のページを読んだり生存率のグラフを見たりするのに比べてたやすいでしょう。深く考えずに、「抗癌剤は効かないんだ」と思い込み、それを他の人に広めているうちに、もし、子供たちの誰かが不幸にも白血病になったとしたらどうでしょうか。

いざ自分の身に降りかかってはじめて真剣に調べて、船瀬氏の欺瞞に気付くことができたら幸いです(このエントリーがそういう人たちの助けになりますように)。もし気付けなかったら?子供が標準的な治療を受ける機会を奪われたとしたら?標準的な治療で100%治すことはできませんが、70%ぐらいは治せます。一方、船瀬氏が勧めるような「笑い」や「生きる力」や「キトサン」で白血病を治せるという科学的証拠はありません。船瀬氏は「ガンで死んだら110番 愛する人は“殺された”」という本も書いています。もし、船瀬氏の主張を鵜呑みにした結果、誰かが亡くなったとしたら、まさしくその人は“殺された”と言ってよいと思います。



2012年8月16日追記。

■船瀬俊介氏「日本の平均寿命統計は捏造である」
 船瀬氏は「日本の平均寿命統計は捏造」であり、「日本人の実際の平均寿命は二人に一人は医者に殺される医療殺戮大国のため、推定ですが、せいぜい50〜60歳程度」とも主張しています。このような荒唐無稽な主張をする人を信用してもよいものか、よく考えてみましょう。


*1:細かい話をしますと、「癌」とは「上皮性の悪性腫瘍」のことを指し、造血細胞は上皮性組織ではありませんので、白血病は「癌」ではありません。よって、「抗がん剤は癌(上皮性の悪性腫瘍)は治せないとは言ったけれども、白血病については治せないなんて言っていない」という言い逃れが考えられますが、船瀬氏の他の主張(抗がん剤は細胞毒で生命を殺すために使われる、など)との整合性が保たれません