NATROMのブログ

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血液型性格診断と偏見

もし私が、「血液型と性格には関係がある」という立場でディベートする羽目になったら、能見正比古・俊賢の主張をさっくり全否定することから始める。「能見親子による血液型人間学はダメダメでトンデモでありえないよねー。でも、それはそれとして、血液型と性格に関係がないとは言えないんじゃないかな」てな具合。ダメな肯定論があるからって、必ずしも肯定論が間違っているわけではないという理屈だ。しかし、どういうわけか、血液型と性格の関係に肯定的な人は、能見親子の主張に対しても肯定的であるケースを散見する。


■血液型性格判断は科学である必要などない。(ひとよみにっき)*1


このあたり、どうも違和感を感じるのですが、やっぱり大きな問題は、「能見正比古」という、血液型と性格の関係性の元となるタイプを書いた、もっとも偉大な作家が、すでにお亡くなりになってしまっていると言うことが、すべての不幸の始まりなんだろうなと思います。

だから、「血液型性格判断は科学ではない」などという、チンケで頭の悪い風評ばかりが一人歩きすることになってしまうんだろうと思います。

だいたい元々、能見正比古さんが書かれた著作では能見さん自身がこれを科学であるとは言ってなかったはずです。いま手元に本がないのでなんとも言いようがないんですが。

とにかく能見さんは、「元となる雛形を作った」ということで偉大なんですよ。


能見正比古は、「血液型性格判断は科学である」と言った

「血液型性格判断は科学ではない」などという、チンケで頭の悪い風評というのもスゴイ言い方だ。■血液型と性格の相関には科学的根拠がないと言う学者は、学者を辞めろ*2というエントリーを書いた同じ人が言っているのは味わい深いけど、それは置いといて、ここでは、能見さん自身がこれを科学であるとは言ってなかったはずという主張を検討してみよう。私は、■遺伝学からみた血液型性格判断を書くにあたって、能見正比古・俊賢両者の著作を引用した。強調は引用者による。



あえて声を大にしてくり返しておくと、実用情報としての「血液型人間学」は、血液型と人間の行動思考性との関連を、さまざまなアンケート調査、血液型分布率調査などによって統計学的に観察分析する自然科学であり、星座や生年月日、十二支などを用いる占いなどとは、まったく縁もゆかりもない分野である。 (能見俊賢、血液型ウォッチング P15)



断定できることは、今や血液型と人間性との間に、大きな関係の実在することが、一点の疑う余地なく実証されたということである。史上初めて人間の行動に、科学的な基準が与えられたのだ。 (能見正比古、新・血液型人間学 P4)


二例だけじゃ心もとないという方もいらっしゃるかもしれないので、孫引きではあるが■血液型優生学■能見科学:データ数・科学宣言より能見正比古の言葉を引用する。「れっきとした科学」「すでに実証ずみの科学的事実であることを前提。もはや疑う余地もなく、科学的に根拠づけられた」「科学的事実に基づいた性格診断法」「(血液型人間学は占いに比べて)より科学性があり信がおけよう」「血液型と人間の行動・表現との大きな関係の実在は、あらゆる科学的吟味の上に立って、一点の疑いもなくなった。もっとも直接的かつ明瞭確実に、また万人に伝達しうる一般性をもって、科学的実証が成された。」etc…。「能見さん自身がこれを科学であるとは言ってなかったはず」というのは思い違いであったと、「ひとよみにっき」のブログ主さまにご理解していただけるだろうか。


科学的根拠を抜きにしても血液型人間学の主張は差別的である

「ひとよみにっき」のブログ主さまにとっては、「科学的根拠なんかどうでもいい」そうなので、能見正比古が血液型性格判断は科学である」と言ったかどうかは重要な問題ではないのかもしれない(「もともと「科学」あるいは統計学なんかで取り扱える種類の話ではない」という主張とは矛盾するけどね)。血液型人間学は他人を偏見を持たずに理解するためのツールであって、科学的根拠の有無とは無関係に、能見の考え方は立派であるそうだ。


■血液型性格判断は科学である必要などない。(ひとよみにっき)*3


人間が生きていて、どうにも理解しにくい他人がいて、その人をどう受け入れてあげればよいのか? そのための合理的な受入方法のひとつとして、血液型の知識があるんだよ、ということを、まず最初に考えてもらいたいと思うわけですよ。

だから、若い女の子とかで「私はB型の人とは付き合わないんです」とか言ってる事自体が、能見さんの最初のコンセプトからはずれる。
そういう考え方が間違いなのですよ。


●良く分からない人を、偏見を持たずに、いかに理解してあげるのか?


これこそが能見正比古が著作を通じて訴えていたことなのであって、こういう立派な考え方に「科学的根拠」なんか必要なはずがないのです。


仮の話として、血液型と性格の関連が科学的に証明されたとしても、良く知らない人を血液型によって判断しようとするのは偏見に他ならない。たとえば、「B型の人は失敗を防ぐ仕組みには全然興味を持たない傾向が強い」という主張が事実だとしても、目の前にいるB型の人は失敗を防ぐ仕組みに十分に興味を持っているかもしれないではないか。科学的根拠がないのなら、なおさらである。人間学と言うのであれば、血液型ではなく、その人個人を知ればいいだけではないか。またもや孫引きであるが、能見正比古その人による偏見の実例を、「血液型優生学」より再度引用する。


■長嶋茂雄の怪


長島*4はB型。よくいえば天衣無縫、悪くいえば八方破れの行動ペースで、指揮官には向いていない。監督で成功しているのは圧倒的にO型で、水原、西本、上田、古葉がいい例です。王もO型だが、O型には二つのタイプがある。一つは職人的技術を習得し、それをより深くきわめる型。もう一つは極端に強い勝負師性を身につける型。王は前者のタイプだ。バッターとして専門家になりすぎたから将来、監督になっても英雄になり得るかは疑問だ。


長嶋の血液型がB型であるというだけで、指揮官には向いていないと断じるのが、偏見でなくてなんなのだろうか。若い女の子が「私はB型の人とは付き合わないんです」とか言ってる事と何が違うのか。本当にこれが「立派な考え方」と言えるのだろうか。「血液型優生学」では、さらに酷い事例が紹介されている。ABO式血液型分類を、表現型の4分類ではなく、遺伝子型の6分類に分け、「AAとBBは異常群と異常予備群に分類される気質の保有者」としている。

■血液型優生学:第2報:遺伝子型6分類法の嘘


一番困るのは“両親の血液型”を知らない人である。これは手掛りがない。
しかし、それであっても心配はいらない。気質型AA、BBの人だったら、どんな人が見ても“ひどく変わった”人か“異常”視されている人たちなのである。

AA型の一部は外部に対し自分の心の防壁をおろしっ放しという姿勢だ。外見はもの静かで、ひどく行動性に乏しいだろう。いつも一点を見つめ静かにほほ笑みを浮かべているだろう。この人たちは、多く、宗教団体の中に集まっていることも考えられる。悪い場合には、よく農村などで“仙人”と呼ばれる奇人となるであろう。いつも動かぬ笑顔を浮かべて、空の一角を見つめて、村の決まった場所で日を暮らす。前を人が通っても、まったく気がつかないふうである。

 BB型の一部は反対に行動的である。他人がどう思おうと、どこ吹く風。花から花へ、鳥から鳥へと、さ迷い歩くだろう。私たちはこうした典型的人物を知っている。それは、先頃亡くなった放浪の天才画家山下清氏だ。
 私は、氏の気質について、今後、さらに学びたいと思っているが、いまのところ断定に近く考えているのは、山下清氏は、単にBB型の標準的人間にすぎぬということである。
 こうした、AA型、BB型の人々のうちの何人かが、精薄児といって、あるいは自閉症、障害児と呼ばれて、ときには“キチガイ”“バカ”などと罵られて、不当な扱いを受けているであろうことを想像すると、私は非常に抵抗を覚える。AA型、BB型の研究は、放置しておくことのできぬ問題であろう。


「私はB型の人とは付き合わないんです」もマシに思えるくらいの、「立派な考え方」である。「ひとよみにっき」のブログ主さまによると、「その人の精神活動の根本部分を、キチンと聞き出して理解して、それを血液型との相関で見てみましょう、というのが能見さんの考え方」なのだそうだが、能見によると「私も白状するとAA・BBの観察の機会に恵まれない。推定される人は少なくないが、確認していない」だそうだ。観察せずに、「気質型AA、BBの人は"ひどく変わった"人か"異常"視されている人たちだ」などと書いたのだ。どこがフィールド調査なのか。思い込みで偏見を垂れ流しているだけではないか。「血液型優生学」では、能見らによる血液型性格診断は、B型や、AA型・BB型といった少数派を貶め、多数派に優越感を与えるマーケティング戦略であると指摘している。私も同感である。■血液型優生学には読む価値がある。

誤認知などにより、「血液型と性格に関係があるのではないか?」と思ってしまう人がいるのはわかる。だからといって、一般の人は、「血液型と性格の相関には科学的根拠がないと言う学者は、学者を辞めろ」「血液型と性格との関係性を無視しようとしてる人間がバカに見えて仕方ない」などとは言わないと思う。専門家を批判する前に、「いったいなぜ血液型性格診断に科学的根拠がないとされているのだろう?」と考えてみるべきである。しかるべき場で質問をすれば教えてくれる親切な人もいただろうに。


*1:URL:http://hitoyomi.diarynote.jp/200906261017184771/

*2:URL:http://hitoyomi.diarynote.jp/200906241304468605/

*3:URL:http://hitoyomi.diarynote.jp/200906261017184771/

*4:原文ママ。正しくは長嶋