NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

線引きは許されないのか?薬害肝炎訴訟

フィブリノゲン製剤によってC型肝炎感染者が多数でた薬害事件について、「線引きは許されない。一律救済を」と原告側は主張している。


■肝がん、肝硬変は4000万円=薬害肝炎訴訟の和解骨子案(時事通信)


 汚染された血液製剤でC型肝炎に感染したとして、患者らが国と製薬会社を訴えた薬害肝炎訴訟の控訴審で、大阪高裁が和解骨子案の中で示した1人当たりの補償額は、肝がんや肝硬変で4000万円、慢性肝炎で2000万円など、症状に応じて設定されていることが14日、分かった。
 原告側は骨子案が提示された13日に、「一律救済でなければ受け入れられない」と受け入れを拒否、政府の政治決断を求めている。


■薬害肝炎患者 「未提訴・期間外」に5億円(読売新聞)


 血液製剤「フィブリノゲン」などを投与され、C型肝炎ウイルスに感染させられたとして、患者らが国と製薬会社に損害賠償を求めた薬害C型肝炎集団訴訟で、国側が、大阪高裁が示した和解骨子案では救済対象から外れている未提訴の患者についても、「活動支援金」の名目で計5億円を支払う修正案を原告側に打診したことが16日、分かった。
 原告側の求める「全員救済」を目指した形だが、原告側は同日、「被害者を線引きすることに変わりはなく、全員救済の意味をはき違えている」として受け入れ拒否を表明。和解交渉は引き続き難航しそうだ。


C型肝炎の危険性は徐々に判明してきたものであるから、過去のどこかの時点で線引きをして、「線より以後は数千万円の補償、線より以前は0円」とするのは合理的でない。ただ、原告側の「線引きは許されない」との主張の理由はそのようなものではないようだ。患者側になんら落ち度はなかったのだから、C型肝炎ウイルスに感染したのは国および製薬会社に責任があり、よって感染させられた患者はすべて補償の対象になるべきだ、と原告側は言っているようである。

気持ちは十分に理解できるが、少なくとも、危険性が不明確であった時点における感染に対して、巨額の賠償金を支払う必要はない。C型肝炎ウイルスの発見は1980年代後半である。むろんそれ以前より非A非B型肝炎として知られていたわけであるから、何らかの感染対策は不可能ではなかったという主張もあろう。しかし、情報が不十分な状況下では正しく判断できるとは限らない。怠慢だ、人命軽視だと、口汚く当時の官僚を罵る人たちもいるが、彼らに問おう。もしあなたが、当時の厚生省官僚であったのならば、フィブリノゲン製剤による薬害肝炎を防げたか?私だったら、防げなかったと思う。感染の拡大を少なくできたかどうかも自信がない。

医療事故裁判と構図は似ている。すべての情報が出揃った現在から過去を振り返って、「この時点でCTを取ればよかった」「高次医療機関に転送すべきだった」と批判することは簡単である。しかし、医療は本来不確実なものだ。結果責任・後だしジャンケンで医師の責任を問うべきではない。同様に、結果責任・後だしジャンケンで国や製薬会社の責任を問うべきではない、と私は考える。新薬の承認と未知の副作用の危険性はトレードオフの関係にある。未知の副作用の責任まで取らせていたら、責任回避のためになかなか新薬が承認されなくなる。結果責任で医師を裁くと防衛医療・萎縮医療が起こるのと同様である。

患者に救済が不要だと言っているのではない。一律救済を求めるのであれば、国や製薬会社の責任を厳しく問うのではなく、不可避な不幸な事故に対する救済として求めるほうがよい。巨額な補償金ではなく、治療費の補助程度にならざるを得ないだろう。その代わり、救済の対象は輸血による感染まで広げる。「感染時期で差別するのか」と一律救済を求める原告の方々は、感染経路で「差別」しないことをもきっと理解していただけるだろう。マスコミの報道についても、医療事故裁判と似ている構図がある。「被害者」の闘病生活やあきらめた夢の話に焦点があたり、医学的な情報に乏しい。また、「被害者」がいるからには、どこかに「悪い奴」「責任者」がいるに違いないという論調も見られる。「患者は死んだのだから、医師に過失があるに違いない」という考え方と似ているように私には思われる。犯人探しが不毛なこともあるのだ。