NATROMのブログ

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冥王星の発見物語

冥王星が新しい定義では惑星ではなくなるというニュースが最近あった。「冥王星はパーシヴァル・ローウェルの弟子のトンボーが苦労して見つけた」というのが私の冥王星に関する知識。私の非専門分野の自然科学の知識は、多くはアシモフの科学エッセイに由来する。アシモフのエッセイは化学、生物学、天文学、物理学などなど分野を問わない。しかもどれも面白く読める。久しぶりにひっぱりだして読んでみた。

発見・また発見! (文庫)

改めて読み直してみたら、別にトンボーはローウェルの直接の弟子というわけではなく、ローウェル天文台で働いていただけであった。ローウェルが亡くなったのが1916年、トンボーがローウェル天文台の観測スタッフに加わったのが1929年。でも、同じ勘違いしている人はたくさんいた→■ローウェル 弟子 トンボーでGoogle検索。師匠の悲願を弟子が果たしたというわかりやすい話のほうが印象に残りやすいのであろう。それに、直接の弟子ではないとは言え、トンボーがローウェルの遺志を継ぐものの一人であったことは確かだ。


1930年3月13日−もしパーシヴァル・ローウェルが生きていたならば75回目の誕生日を祝っていたであろう日、トンボーはこの新惑星の発見を発表した。新惑星は冥王星(プルートー)と名づけられた。これは、一つにはプルートーがギリシャ神話に出てくる暗黒の地下世界の王であり、新惑星が太陽から非常に遠いため、他の惑星よりもはるかに少ない太陽光線しか受けないことをあわらしたものだった。そしてまた一つには、この名前の最初の二文字がパーシヴァル・ローウェル(PL)の頭文字と符合していたからであった。(P154)

この辺で私の脳内では「ヘッドライト・テールライト」が流れる。冥王星が惑星でなくなっても、天文学者達の偉業は変わらない。