NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

インフォームド・コンセントのコスト3 医師の良心を補完するイタコ

インフォームド・コンセントのコストについては、以前にもとりあげた(その1その2)。説明のための文書や時間といった目に見えるコストの他に、患者が効かない代替療法に流れたり、必要な検査を受けなかったりといった不利益が発生するという趣旨である。ブックマークのコメントで「医療者側から見て、明らかに間違った選択肢も、患者側が満足できるならそれでいい」とあったが、早期発見できれば内視鏡的に切除できた大腸がんを、数千分の1の確率で起こる合併症を恐れて検査を受けずに見逃され、数年後に進行された状態で発見されて苦しんで死んでも、患者側は満足できるのだろうか。

インフォームドコンセントのコストに関連して、「勝手なこと言うな」と感じた記事。


■イタコの「口寄せ」に癒やし効果…青森県立保健大調べ(読売)


 日本三大霊場の一つ「恐山」(青森県むつ市)などで死者の霊魂を呼び寄せるとされるイタコの「口寄せ」に、癒やし効果があるとする研究結果を、青森県立保健大の藤井博英教授(精神保健学)のグループがまとめた。
 現代医療に欠けているものを補い、看護学に応用できるとしている。
(中略)
 藤井教授は、多くのイタコが死亡した親族や友人らの“言づて”として、悩みを抱えた患者らに、問題の解決時期を示し、「そこまで我慢すれば良くなる」などと述べる点に注目。「現代医療は患者にリスクを説明し、自己決定を促す傾向にあるが、患者は医師や看護師に『見通しをつけてほしい』と願っている。イタコの口寄せには安心感や前向きに生きる力を与える効果があり、学ぶべき点がある」と話している。


イタコの口寄せに癒し効果があるというのはその通りだろう。そりゃ、医学的に不正確なことを言ってもいいのであれば、いくらでも癒す言葉を言えますがな。現代医療だって、見通しはつける。ただ、予後が悪い場合、医学的に見通しをつけても、患者は癒されない。口でうまいこと言ってそのときは患者を癒せたとしても*1、下手すりゃあとで「説明と違う」と裁判沙汰になる。イタコは、医師とは違って嘘を許容されているからこそ、たやすく癒す言葉を吐けるのだ。もし仮に、「口寄せ」で示された問題の解決時期が間違っていたときイタコが訴えられるようになれば、口寄せの「安心感や前向きに生きる力を与える効果」は失われるであろう。

事実はときに残酷なものである。そして、たとえ患者のためを思ってやったことだとしても、事実を正確に伝えなければ、「患者の自己決定権を奪った」と医師は訴えられる。医師がうかつに「大丈夫」と言えないようにしたのは誰か。非常に稀な合併症であってもリスクを説明せよと責任を問うたのは誰か。インフォームド・コンセントは、なるほど必要なものであろうが、それゆえに失われたものだってある。

「白い巨塔」は有名でありご存知の方も多いであろう。小説版、あるいは田宮二郎が財前教授を演じた旧テレビドラマ版で、里見医師が、胃癌が発見された山田うめに対してどのような医療を行なったか。本人には病名は告げず、渋る山田うめに、里見が医学的に正しいと判断した検査、手術を半ば強引に受けさせたのだ。パターナリズムそのものであり、自己決定権もあったものではないが、「インフォームド・コンセントって何?」という時代のものだからしょうがない。特筆すべきは、里見医師は財前教授と対比される良医、医師の鑑として描写されていることである。このような医療が理想とされた時代があったのだ。

これが現代ならどうなるか。説明なしでは、手術がうまくいったならともかく、結果が思わしくない場合に訴えられたら説明義務違反で100%負ける。良医である里見医師がインフォームド・コンセントを行なわないということはありえないので、病名はもちろんのこと、胃癌が疑われる場合の検査、検査に伴う合併症、手術のリスク、他の治療手段、生命予後、薬の副作用等々について説明して、患者とその家族に同意書のサインをもらうことになるだろう。山田うめは果たしてサインをしただろうか。また、同意書にサインを求める里見医師に、小説版・旧テレビドラマ版と同じ医師の良心を我々は感じることができるか。リメイクされたテレビドラマ版では、山田うめのエピソードは削られた。

「現代医療に欠けているもの」があると言われても、いまさら昔には戻れない。高価なインチキ健康食品に比べればイタコの口寄せはマシであり、現在医療の欠けている部分を補完する役割はあろう。しかし、イタコの口寄せのいったいどのへんに学ぶ点があるのか私には分からない。


*1:信頼関係ができているときに限り、治らない患者に「大丈夫、治りますよ」と言うことも私はあるけど、よく見極めないとトラブルの元になる。