NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

聖地の近況

数年前は、医師の勤務条件が悪いことを口にしても、たいていの非医療従事者の反応は、「嫌なら辞めれば」「他の仕事だって大変なのだ」というものであった。開業医と勤務医の区別がつかず、大学病院のイメージは「白い巨塔」そのままで、外来に出ていないときは医師はサボっているものだと思われていた。大病を経験した人もしくはその家族には医師の大変さを理解してもらえるが、たいていの人はそのような経験はない。

最近では産科医不足をはじめとして医師の勤務条件についての報道が多くなってきて、それなりの理解を得られるようになってきている。本土に爆撃機が飛んでくるようになれば、嫌でも戦争の行方がやばそうであることに気付くということだろうか。なんにせよ医師不足・勤務条件の悪化についての理解が深まっているのはよいことですね。まあ中には、今でも「嫌なら辞めろ」という言う人達がいて、ネタなんだかマジなんだかわかんなかったりするが。

さて、「嫌なら辞めろ」と言われて実際に医師が辞めた病院で一番有名なのが市立舞鶴市民病院である。2ちゃんねるの医師板では、聖地とみなされている。過去には優れた研修を行なっていた病院として有名であった。参考:“大リーガー医”に学ぶ―地域病院における一般内科研修の試み■市立舞鶴市民病院(医学生による実習体験記)。今はどうなったか。


■医師不足…待遇、労働条件改善を(読売)


 10年前は18診療科を擁して常勤医師34人、外来患者1日平均665人、入院患者同190人。2次救急も24時間受け入れていた。しかし、現在の常勤医は院長代行1人、外来十数人、入院は寝たきりで動かせない2人だけという異常事態が4月から続く。院内は気味が悪いほどひっそりしていた。循環器科など五つの専門外来を除く全診療科が休診しているからだ。
 市立舞鶴市民病院(198床)の危機の始まりは、内科診療をリードしてきた元副院長の退職だった。元副院長は、大学からの医師派遣に頼らず研修医を公募、米国から定期的に招いたベテラン内科医らの指導で総合内科医を育成する独自の研修方式を1986年から導入。この制度に魅力を感じた若手医師が全国から集まった。
 しかし、今後の運営方針を巡って、経営陣と意見が合わなくなり2003年6月に辞意を表明、04年3月に退職した。これに呼応するように、13人いた他の内科医も前後して集団辞職。新たに着任した内科医2人も過労を理由に2か月足らずで病院を去った。

激務であろうとも、都市部でなくても、馬鹿高い高給を出さなくても、環境を整えれば医師は集まるのである。その環境がなくなったとき、一気に崩壊が起こったのだ。舞鶴市民病院は環境の変化が一気に起こったので目立ったが、他の地方の公的病院では変化がゆっくりなのであまり目立たない。しかし、確実に変化は起こっている。