NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

逮捕されるかもと思うのは愚かか

進化論と創造論についての掲示板で、癒着胎盤での帝王切開で母体が死亡し、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反容疑で産婦人科医師が逮捕された事件が話題になった(参考:■癒着胎盤で母体死亡となった事例)。そこで、法律に詳しい参加者が、以下のように言った。


(業務上)過失致死罪というのは、過失がなければ当然犯罪不成立なわけです(構成要件不該当)。で、「過失があった」といえるためには以下の2点が成立しないといけない。
(1)結果の予見が可能であった(予見可能性)
(2)結果の回避が可能であった(回避可能性)
逆に言うと、「死ぬなんて到底予測できなかった」あるいは「死ぬ可能性はわかっていたけど、防ぎようがなかった」場合には犯罪不成立です。


裁判所としては、鑑定で「予見可能性あり」「回避可能性あり」とでていて、他に犯罪不成立となる要件がないのなら、有罪判決を下すしかありません。

法律の解釈としては正しいのだろう。しかし、わが身にあてはめて考えるに、以下のような事例の場合、私は逮捕されて、有罪となってしまうかもしれないと考えるのは、法律の素人の浅はかな考えなのだろうか。

肝癌の治療の一つに、ラジオ波焼灼療法というものがある。ぶっちゃけ簡単に言うと、針を肝癌に刺して電磁波で焼いてしまうという治療だ。刺して焼いちゃうわけだから、当然いろんな合併症(出血、他臓器損傷、胆道損傷etc..)が起きうる。もちろん、エコーで見ながら、太い血管や胆道を避けて刺すのだが、100%合併症を避けうるわけではない。文献にもよるが、重篤な合併症の起こる確率は0.3 %程度とされている。

ラジオ波焼灼療法以外の治療法として、エタノール注入療法や肝動脈塞栓療法、外科的肝切除などがある。エタノール注入療法はラジオ波焼灼療法より合併症が起こる頻度は少ないが、効果が不十分とされている。肝動脈塞栓療法も、例外はあるも根治はあまり期待できない。外科的肝切除は当然合併症があるし、患者や肝癌の進展度によっては手術できない場合もある。要するに、ケースバイケースで治療法を選択するということになる。

で、ラジオ波焼灼療法を選択し、重篤な合併症が起こったとする。刑事責任は問われるのか?インフォームドコンセントをとらないといけないので、患者さんには、起こりうる合併症について前もって説明を行う。よって、「結果の予見はできなかった」とは主張できない。では回避可能性はどうか。合併症が起こってしまったあとから、「エタノール注入療法か肝動脈塞栓療法を選択すれば、このような合併症は起こらなかった可能性が高い」と指摘されれば、同意せざるを得ない。私は幸いこれまで重篤な合併症を起こした経験はないが、それは単に症例数が少なく、運が良かっただけであることを知っている。次の治療で、もしかしたら合併症を起こすかもしれない。新聞記事の見出しも想像できる。「肝癌治療で医療ミス。誤って胆道を損傷。肝臓専門医不在にも関わらず治療を強行」。

私はまだ恵まれている。対象となる患者さんは肝癌で、多くは高齢である。緊急でラジオ波焼灼療法を行うことはないから、考える時間はある。説明の時間もたっぷりとれ、よってトラブルを回避しやすい。緊急の手術を行わなければならない外科・麻酔科の先生方、小児救急を診る先生方はもっとたいへんだ。なにより、若くて元気で「健康に産まれて当たり前」と考える人たちが対象の産科の先生方の苦労はいかほどのものだろうか。