NATROMのブログ

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ジェンダーフリー教育をめぐる議論ウォッチ

頭のいい人による議論を見るのは、ためになるし楽しい。議論をしている両者に知性があるのが望ましいのだが、議論をしている人の一方が馬鹿でも、だんだんと「ためになる」部分は減っていくものの、「楽しい」部分は増えていく。今回は、ジェンダーフリー教育をめぐるバトルを紹介する。登場人物は、林道義さん*1とMacskaさん。まず、林道義さんによる■警告・ジェンダーフリー教育の害毒の主張。


 ジェンダーチェックと称して、男女で区別することを、なんでも槍玉に挙げる。体育着やランドセルを同じ色にせよ、体育の時間も男女混合にせよ、端午の節句や雛祭りも差別だと主張される。
 こうした男女無区別主義は恐ろしい弊害を生む危険がある。男女の区別をしないと、子供たちのアイデンティティーが健全に作られない、つまり自我が正常に発達しないからである。

(中略)

 中でも、自分は男または女だという自己意識はアイデンティティーの基礎であり、たいへん重要である。
 これが揺らいで定まらないと、性同一性障害(注3)に陥るばかりでなく、自我そのものが健全に形成されない恐れが出てくる

他にも、「このままジェンダーフリー教育が広まると、五年後十年後には青少年の心の病が急増する恐れがある」とか言っていて、なんだか「夫婦別姓だと子供が精神病になる」と主張していた精神科医研修医を思い出したよ。ともかく、Macskaさんが■生物学基盤論を唱えながらジェンダーフリー教育の弊害を叫ぶ矛盾で、林道義さんを批判した。議論の要点は、林道義さんがジェンダーフリー教育の弊害と同時に、「男らしさと女らしさは社会的・文化的に作られたものではなく、生まれつきのものだ」などと主張しているのは矛盾であるというもの。


もし男らしさ・女らしさといった男女の社会的特徴が生まれつきほぼ決定されているならば、わざわざ区別を教えずとも(極端に反対方向の洗脳教育でも行わない限り)自然と学ぶはず。名簿が混合であろうがどうであろうが、その程度で生物学的に強く方向付けられた差異が無くなってしまったり、性自認が反対の性同一性障害になったりするわけがない。ジェンダーが生まれつきだという主張は、その前の育て方次第によっては性自認が逆になるという主張と明らかに矛盾している。育て方次第で性同一性障害になるのであれば、それは生物学的な「基礎」があやふやな物であるということになるはずではないか。

以下議論が続く。

林道義さんによる反論
■「生物学的根拠説」に立ちながら「ジェンダーフリー教育の弊害」を言うのは「矛盾」か ( macska への反論 1-1)


Macskaさんによる再反論
■思いつきでしかない「ジェンフリ教育の弊害」/林道義氏への返答


林道義さんによる再々反論
■幼稚で非良心的な学問の方法 ( macska への反論 1-2)


Macskaさんによる再再々反論
■タネのばれたトリックを繰り返す林道義氏の空虚な議論


林道義さんによる再再再々反論
■単なるハッタリ屋 ( macska への反論 1-3)


Macskaさんによる再再再再々反論
■自分自身を更なる窮地に追い込む林道義氏の爆笑反論


いまのところ、ここまで。読んでいて、とても楽しい。こういう議論は、自分じゃなくて、誰か他の人がやるのをウォッチするのが楽チンでいいですな。馬鹿との議論は消耗するので、読者からの感想がないとやってられなくなる。こういう楽しい議論をみかけたら、積極的に感想を述べるようにしている。

*1:林道義さんは、その独特な進化論理解で、進化論と創造論の掲示板でも話題になったことがある