NATROMのブログ

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遺伝情報のデータベース

逮捕された人は全員指紋を採られ、データベース化されている。遺伝子型で同じことをやるときの問題点について。

■DNA捜査――ルールを定めて活用を(朝日新聞 社説 2004年11月5日)


 指紋が残っていなくても、犯人の血痕や毛髪があれば、DNA型がわかる。ただ、過去に逮捕された人たちのデータベースがないと、それと突き合わせて犯人を割り出すことはできない。
 逮捕者から採血してDNA型を鑑定し、犯罪現場から採ったDNA型と照合することは今も行われている。採血にはそのつど裁判所の許可が必要で、昨年は、千件余りの事件でDNA型の鑑定が捜査に使われた。
 そうしたDNA型は各県の警察本部によって個別に管理されている。その垣根をなくし、指紋と同じように全国的なデータベースをつくれば、もっと捜査に役立つ。とくに、現場に血液や体液が残りやすい殺人や強姦(ごうかん)事件では、容疑者の割り出しに威力を発揮するだろう。
 問題は、逮捕者のうち、誰から採血してデータベースをつくるかだ。
 指紋と同じように扱えばいい。そう考える人がいる一方で、軽犯罪や過失の交通事故で逮捕された人からまで採血するのは行き過ぎだという人もいる。
 慎重論が出るのは、DNAが個人情報のかたまりだからだ。
 鑑定するのはDNAまるごとではなく、遺伝に関係ないとされる部分に限る。型の数字だけを記録し、血液は廃棄する。そう警察庁は説明する。個人情報の秘密を侵すことはないというのだ。
 しかし、データベースに入れる対象者の範囲は法律できちんと定めるべきである。「捜査に必要な場合」というようなあいまいなことでは、不安がぬぐえない。そもそもDNA型の利用は犯罪捜査に限るべきことは、言うまでもない。

社説というものはたいがいはそうなんだけど、ごもっともなことだけ言って、あまりたいそうなことは述べていない。まあ、こういう問題に関しては、唯一の正解などというものはなく、どこかで妥協点を見つけるしかないのだから、しょうがない。どのような犯罪者に関しても一切DNA情報を記録してはならないという極端の一方の端と、あらゆる国民のDNA情報を管理するというもう一方の端の間の、どこかに妥協点を見つけるべきだ。個人的には指紋やDNAの情報を知られたって平気だけど、慎重論が出る理由はよくわかる。ドーキンスは「虹の解体」の第5章、「法の世界のバーコード」で、この問題に触れ、DNAデータベースの不正利用の危険性について三点ほど述べている。

一つ目は、血縁関係に関するプライバシーが損なわれるという点。「たとえば、実際にはそうではないのに、自分がある子どもの父親であると信じ込んでいる男性が、相当数存在する。同様に、実際には父親ではない人を、自分の父親だと信じている子どももかなりいる。国家的DNAデータベースにアクセスすれば、誰でも、ことの真相を知ることができてしまうようになるかもしれない。しかし、それは甚大な精神的苦痛、結婚生活の破綻、神経の混乱、ゆすり、さらにはもっと悪い結果をもたらしかねない。(P155-156)」

二つ目は、医療・生命保険や、就職に利用される危険。さまざまな疾患が、程度の差こそあれ、遺伝的な影響を受けている。生命保険会社が、DNAデータベースから疾患のリスクを予測して、掛け金を高くしたり、加入を断ったりするかもしれない。これは実は微妙な問題で、一概に悪いと言えない部分もあるのだが、議論抜きに正当化することはできない。

三つ目は、民族・人種差別に利用される危険性。ヒトラーのような人物に悪用される危険はないのか?「DNAからユダヤ人を特定することができるわけではない。しかし、たとえば中央ヨーロッパだとか、特定の地域に祖先をもつ人々は、ある特別な遺伝子を共有していることがある。そして、ある種の遺伝子をもつことと、その人がユダヤ人であることは、統計的な相関がある。もし、ヒトラーの時代に国家的なDNAデータベースが存在して、彼の政権がそれを自由に用いることができていたとしたら、それを濫用する恐ろしい方法を発見していたかもしれないのだ。(P157)」

二つ目の問題は、ドーキンスが指摘しているように、データベースに入れる情報を表現型と無関係な部分に限るということでほぼ解決できる。朝日の記事にある「鑑定するのはDNAまるごとではなく、遺伝に関係ないとされる部分に限る」というわけのわからない文章は、このことを言いたかったのであろう。「表現型に関係のないとされる部分」もしくは「遺伝病に関係ないとされる部分」がより正確だろう。正直言えば、この辺のことはあまり気にしなくてもいい。そもそもが、中立説の予測するように、遺伝子多型の大半は表現型と無関係である。莫大な数の遺伝子多型から、疾患と関係のあるものを見つけるのはものすごく大変だ。三つ目の問題も、日本に限れば、それほど心配する必要はないだろう。

一つ目の問題も、国家的なDNAベータベースならともかく、犯罪者のDNAデータベースに関しては大きな問題にはならないだろう。ただ、管理が甘いと悪用される危険は常にある。たとえばの話、かつて犯罪を犯したが社会に復帰した人、あるいは、犯罪者の血縁者がゆすりにあうという可能性はある。ただ、こうした現実的な問題点以上に、日本では感情的・生理的な嫌悪感が問題になるのではないか。しかし、きちんと説明すれば、必ず納得が得られるだろう。たとえば、レイプの前科者のDNAデータベースがあるだけで、新たな犯罪の抑制になるのは明らかだと私には思える。