ブッシュが勝ったりケリーが負けたりしている今日この頃、アメリカ合衆国の進化論教育はどうなっているのだろう。以下の記事は紹介する価値があると考える。*1
今、カンザス州では公立学校で、進化論の学習を薄め創造論を強化しようとする動きが再び
強くなってきている。 この問題についての州教育委員会は1月まで開かれないが、しかし
理科教育での進化論の取り扱いについて論争は既に始められている。
それは1999年に州教委は進化論を軽視し、神による創造論に拠ってカリキュラムや州の
学力標準テストを作成したので、世界中の人から嘲り笑われるような状態になった。 その
後、改正して今日に至っているが、今回さらに検討して元に戻そうとする動きになっている。
すなわち、この夏に25名による特別委員会が創られて理科教育の基準を見直すことになり、
その草案は12月には教委に提出されよう。 またそれは州教委のホームページでも広く見る
ことができるようになる筈であるが、その後、公聴会が開かれて来年3月には最終決定を
採決によってなされる。 州議会でも意見が分かれているが、改正を推進する人々の
根拠は「いろいろな証拠がダーウィンの自然的経過説の進化論だけでは説明できない」、
「知的なデザインによって人間は造られている」とするのである。
1999年のカンサス州の決定は、「神による創造論に拠ってカリキュラムや州の学力標準テストを作成した」というよりは、正確には「進化論と ビッグバン理論を教育課程の科学の課目から外した」ということだと私は理解している。この件については、グールドがタイム誌でエッセイを一つ書いている(参考:タイム (米国版) 8月23日号 VIEWPOINT ”Dorothy, It's Really Oz”の和訳(要点のみ))。教育委員会のメンバーは選挙で選ばれるわけだが、キリスト教右派の多い州だとこういうことも起こり得る。科学者及び科学教師の努力によって翌年には科学者側が勝利したが、創造論者がまた手法を変えて進化論を攻撃してきたというわけだ。
■The Crusade Against Evolution(Wired)も参考になる。新世代の「創造科学」としてのインテリジェントデザイナー説(知的な創造者説)がアメリカ合衆国の教室に侵入してきていることを報じている。インテリジェントデザイナー説は、科学者には受け入れられていない。にも関わらず、論争が存在するのはなぜか?科学的証拠によらず、信仰的な理由でダーウィン説を受け入れたくない人たちがいるからだ。論争が起こっているのはいつでも、アメリカ合衆国の中南部の州である。Nature誌やScience誌といった科学雑誌上ではない。
きちんとした科学の手続きに従うのなら、新しい説を提案するときには、論文を書いたり学会で発表したりして、他の多くの科学者による検証を経なければならない。インテリジェントデザイナー説は、そうした手続きを一切無視している。その代わり、一般人たちを相手にする(日本でも、「トンデモ医学」は科学者を相手にせず、テレビや一般書といったメディアを通して一般人を相手にしている)。科学者による検証には耐えられないからだ。少なからぬ人たちが影響を受けるとなれば、科学者も論争に参加せざるを得ないけれども、論争の勝敗はともかくとして、論争が存在したという時点で、創造論者の勝利は確定する。「論争が存在することを公平に子どもたちに教えるべきだ」と言えばいい。このような手法は正当なものと言えるだろうか。
「進化をめぐる科学と信仰」大谷順彦著より。
上記引用した文章を書いた大谷順彦はキリスト教徒である。創造科学と進化論の対立は、自然科学上の仮説の対立でもなく、宗教と科学の対立でもない。それは政治的な問題なのだ。
たとえば1999年のカンサス州の科学者や教育者による専門委員会は、州内実力テストの範囲を設定するための「カンサス州科学教育基準案」を作成しました。ところが州教育委員会(選挙で選出される委員で構成)が専門委員会の基準案を修正し「進化」や「ビッグバン」を教育基準から削除したのです。各地域の教育委員会が教科書の選定、カリキュラム、教育基準などの許可権をもち、しかも教育委員会の委員は選挙によって選出されるので、科学教育が政治的係争に発展するのです。科学を支持する市民運動によって、翌年の予備選挙で創造科学支持の教育委員3名が敗北し、2001年2月に科学教育標準の再修正が承認され、この係争は落着しました(National Center for Science Education, July/Aug, 1999 and May/Jun, 2000; "Kansas Puts Evolution Back Into Public Schools," New York Times, Feb. 15 2001.)。しかし今後も、さまざまな州で姿を変えた同種の係争がつづくのは必至と予想されます。
こうした問題の底流にあるのは、米国における大衆レベルでの科学的素養の低さということでしょう。生物学、哲学、社会学、歴史学、神学等の多くの分野における研究者が、創造科学の主張が正しい科学の探求にとって障害であることを認識し、学会において議論し、多くの刊行物によって反論を進めてきました。こうした努力にもかかわらず、世界のトップレベルの研究者社会と大衆レベルにおける科学知識のギャップは、改善されそうにありません。1920年代の反進化論運動以降、米国の科学教育はその影響のもとで一般大衆レベルの科学的素養の低下をまねきました。この科学的素養の低さが、つぎに反進化論運動になるという悪循環をうむのです。(P198-199)
*1:ただし、杉田荘治氏は、イオンド大學から教育学名誉博士号を授与されるような人であることには留意したい。