NATROMのブログ

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限定された形での群淘汰

植物プランクトンは、自分たちの必要に合わせて天候を変えられるというお話。

■雲を作って紫外線対策をする植物プランクトン(Wired News)


 両博士はバミューダ沖で収集した測定記録を分析し、海水に含まれるジメチルスルホニオプロピオン酸(DMSP)と呼ばれる化合物の濃度と、その海域の海水面近くに生息している植物プランクトンに到達する紫外線のレベルとのあいだに直接的な相関関係があることを突き止めた。
 DMSPは、プランクトンが雲を生み出すサイクルにおいて、重要な仲介役の働きをしている。DMSPは植物プランクトンの細胞から出て水中に入ると、細菌によって硫化ジメチルに分解される。硫化ジメチルは、海水が蒸発するときに一緒に大気中に運ばれ、酸素と反応してさまざまな硫黄化合物を形成する。これらの硫黄化合物が結合して小さな塵となり、水分の凝縮を促して、最終的に雲が形成される。
 このプロセス全体が非常に短時間のうちに起こるため、プランクトンは長時間太陽光線にさらされることがない。今回の研究で、大気中の硫化ジメチルの上層部は、わずか数日で入れ替わることがわかった。

こういう記事を読んで「へえ〜」「自然って素晴らしいね」ではなく、「植物プランクトンは本当に自分たちの必要に合わせて天候を変えているのかよ?」という疑問を持ってしまう。ようく記事を読んでみると、「[植物プランクトンは]自分たちの必要に合わせて天候を変えられる」と書いているのは、Wired Newsの記者であって、研究者は植物プランクトンが気候に影響を与えている可能性について述べただけのようだ。植物プランクトンが気候に影響を与えているのが確かだとしても、「必要だから」そうしているのかどうかという点には慎重になったほうがいい。

「種の保存」にのっとって考えてみると、必要に応じて気候を変える種という考え方はできなくもない。しかし、「種に属するメンバーは『種の保存』のために行動する」というアイデアは、現在では間違っているとされている。個体のそれぞれが(遺伝子を単位にするほうが私は好きだが今回は個体を単位と考えても支障はない)自らの繁殖成功を最大化させようとしていると考えるのが、現在の進化生物学の主流である。この考え方でいくと、植物プランクトンは、気候を変更させる目的でわざわざコストをかけてDMSPを作っているわけではないと予測できる。

「種の保存」のために、植物プランクトンの個体のそれぞれがコストをかけてDMSPを作っていると仮定しよう。集団のメンバーがすべてキッチリDMSPを作っているうちはうまくいく。しかし、突然変異もしくは移入によって、DMSPを作るコストをかけない個体が生じたら、この気のいいグループは失われてしまう。他のメンバーがコストをかけた結果の気候のメリットは享受できる一方で、コストをかけないぶん「利己的な」個体は繁殖に成功する。しだいに、集団は「利己的な」個体でいっぱいになってしまうであろう。おそらく、DMSPはコストをかけて作られたものではなく、単なる排泄物のたぐいだ。実際に可能かどうかはわからないが、原理的には以下のような実験でこの仮説は検証可能である。DMSPを作らない植物プランクトンと野生型の植物プランクトンを、太陽光線が過度に当たらない条件下で競争させてみる。もし、植物プランクトンが、気候を変えるためにコストをかけてDMSPを作っているとしたら、コストをかけない分だけ野生型の繁殖が遅いはずであるが、おそらくはそうはならないとダーウィン進化論は予測する。

話はここでは終わらず、もうちょっと微妙な形での群淘汰についても、いろいろ考えてみよう。単純な群淘汰、つまり、「個体それぞれが群れのメンバーのために利他的に働く群れは、そうしない群れよりも生存に有利であるがゆえに生き残るだろう」といった類の話は間違いである。フリーライダーが集団を食い物にするからだ。個体は「種の保存」「群れの利益」よりも自らの繁殖成功を優先させるのだ。しかしながら、限定された形での群淘汰ならありうる。お互いに隔離されたA海とB海にはそれぞれ以下のような植物プランクトンがいたと仮定しよう。


A海 ― プランクトンA ― 通常の生命活動の排泄物として、物質Aを排泄する
B海 ― プランクトンB ― プランクトンAとは少しだけ代謝経路が違って、物質Bを排泄する
同じ環境下では、プランクトンAもBもさほど違いはない。しかし、たまたま、物質Aと物質Bとで、気候に対する影響がかなり異なっているのだ。物質Aは(DMSPのように)、環境で変化を受けて最終的には雲を作るように働く。一方、物質Bは、たまたま、物質Aとは逆に、雲を作るのを妨げるように働く。紫外線の害が植物プランクトンの絶滅しやすさに関係しているなら、長い目で見れば、プランクトンAのほうが絶滅を免れやすい。「単純な群淘汰」と異なるのは、プランクトンAのメンバーのそれぞれは群れのために物質Aを排泄しているのではなく、個体の利益のためにそうしているに過ぎないことだ。こうした限定された形での群淘汰はありうると私は考えている。個体間淘汰(あるいは遺伝子間淘汰)との大きな違いは、こうした群淘汰は非常にゆっくりとしか働かないので、個体間淘汰に反する場合には働かないし、個体間淘汰で作られるような累積した結果の適応的な形質は見られないだろう。