NATROMのブログ

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「ダーウィン・ウォーズ―遺伝子はいかにして利己的な神となったか」


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アンドリュー・ブラウン著、長野敬+赤松真紀訳、原著は1999年、訳本は2001年。ステルレルニーがNHKの野球解説者だとすれば、ブラウンはお昼のワイドショーの司会者か(ただし、この司会者はきわめて知的である)。この本は(私から見れば)どちらかというとドーキンスに批判的で、私は嫌いなのだが、確かに面白く書けている(訳者あとがきには「白状すると野次馬として面白い面白いと言いながら訳した」とある)。たとえば、ドーキンスの文章の才能についてどう書いているか。


1941年に彼[ドーキンス]がナイロビで誕生したとき、彼のゆりかごの周りには妖精たちが集まった。良い妖精は彼に優れた容姿、知性、魅力、そして彼のために特別に用意されたオックスフォード大学の椅子を与えた。悪い妖精はしばらく調べてから、「彼にたとえ話の才能を授けよう」と言った。(P40)
悪い妖精のせいで、よけいな混乱が生じた。今でも混乱している人たちはたくさんいる。ブラウンは、混乱の責任(の一部は)はドーキンスにあると言っているのだ。こうしたユーモアの利いた皮肉は、ドーキンスのみならず、ドーキンス派・グールド派*1のどちらの人物も対象にされている。「ドーキンス VS グールド」が表題の通りドーキンスとグールドの二人の主張にのみ論点を絞ったのに対し、「ダーウィン・ウォーズ」には多くの人物が登場する。戦争には多くの人が必要だ。

進化生物学についてそれほど興味のない読者にとっては、初めて聞く名前が多いだろう。そういう人が読んで面白い本ではない。そういう意味では初心者向けではない。人名索引と参考文献が載っているので、興味のある議論を深く追求することもできる。興味のある議論については事欠かない。進化心理学、モーガンの水棲類人猿説(アクア説)と例示して適応主義、ミームと絡めて宗教と科学の関係を論じている。

*1:「これら二つの集団には名前が必要なので、グールド派およびドーキンス派と呼ぶことにする。当事者たちは誰も、この呼び方を喜ばないだろう。問題にしているグループは漠然としたもので、組織化されているわけでもないと指摘するだろう。また彼らの中にはリーダーなど存在せず、仮にいたとすれば、それぞれの派の科学者としてもっとも尊敬に値する人物が候補になるはずだと言うだろう。それはメイナード=スミスとルウォンティンかもしれないが、ドーキンスとグールドではないと言うことだろう。これはすべて真実である。しかしグループが確かに存在して、スティーヴン・ジェー・グールドとリチャード・ドーキンスはもっとも目立つ擁護者であるばかりか、その意味を明らかにする上で欠くことのできない人物だという事実は依然として残る。どちらの人物も、問題にされそうなレトリックを山ほど弄してきた。両人とも相手からすれば見逃しておけないほどの単純化や、空虚なレトリックの数々を書き並べてきた(P78)」