NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

TMHKさんと名取宏(NATROM)との会話。主に甲状腺がんの過剰診断について。

Twitterにおいて、TMHKさんと議論になりました。お返事が長くなり、またTwitterの仕様上、やり取りがわかりにくくなりますので、詳細にはついてここでお答えいたします。まずは、TMHKさんと名取宏(NATROM)の会話をTogetterでまとめました。漏れがないようにはしていますが、もし、漏れがありましたらご指摘ください。


■TMHKさんと名取宏の対話。主に過剰診断について。 - Togetter


以下、斜体はTMHKさんのご発言からの引用です。TMHKさんは以下に示すように独自用語を使い、また、しばしば何を言っているのかわからず、建設的な議論が難しいため、今後、逐一のお返事はしないかもしれません。ご質問や異論がある方は、コメント欄に書き込んでくださってかまいません。他の方々にも参考になるように、重要な部分は強調いたしました。



>知見が不十分な状況下では過剰治療が存在する。その場合でも、検査・診断自体は過剰(害がある)とは言えない。


検査や診断が害をもたらすことはWelchらの文献に限らず、広く知られています。たとえば、医療における賢明な選択"Choosing Wisely"という活動での推奨事項の多くは、過剰な検査、不必要な検査を抑制することです。

TMHKさんのご主張は、事実であるとすれば、きわめて新規性の高い、重要なものですので、Twitterに留まらず、医学論文として発表すべきです。TMHKさんのご主張が、もし根拠に基づいているものであれば、NEJM誌でもLancet誌でも狙えます。

つい先日まで「過剰診断」という広く用いられている用語を「造語」とTMHKさんは述べました。過剰診断について十分に知った上で、批判的に言及したわけではないのです。まったく知らなかった、調べようとすらしなかったわけです。そのような人物が、医学界で広く受け入れられている主張について、これまで医学界の誰もが指摘しなかったようなことを指摘したのです。

私は二つの可能性があると考えます。一つは、TMHKさんは、この短期間で過剰診断やそのほかの検査・診断の害について系統だって勉強し、理解した上で、それを否定できるだけの能力を持った世紀の大天才であるという可能性です。もう一つは、医学のことについて何も知らないばかりか、自分が何も知らないことも知らない、よくいる平凡な人物である可能性です。判断は読者におまかせします。



>過剰治療の是正に早期発見・早期治療の成功率の低下をもたらすような背反性があるかどうかを考慮せずにスクリーニングを全廃することには反対する。もちろん低下がないなら廃止してもよいと考える


何を言っているのかよくわからないところもありますが、一般的には、医療介入をする側が、害よりも利益が大きいことを示す必要があります。甲状腺がん検診(スクリーニング)に利益があるかどうかは示されていません(早期治療の成功率は検診の利益の指標にはなりませんがそれはともかくとして)。



>過剰診断という言葉は、過剰精査と過剰治療を各々含んだり含まなかったりと使用目的によって一貫性がなく文脈で解釈が異なることも多いため、定義自体のコンセンサスを欠いている。


細部はともかくとして、がん検診の文脈では「過剰診断」の定義のコンセンサスは得られています。TMHKさんが混乱しているだけであろうと考えます。勝手に「もう過剰診断という言葉は使いたくないので、過剰治療もしくは多発見と呼ぶ」などとおっしゃっていることからも、TMHKさんが混乱していることが示されています。過剰診断と過剰治療は異なる概念ですので、よしんば過剰診断と呼びたくなくても、過剰治療という言葉で呼んではいけません。



>過剰診断という言葉は、悪化の把握が遅れるなどの一部不利益がある前提を患者に隠して、医師の説明責任やインフォームドコンセントの負担を軽減させる意図で使われていると疑っている。


疑うのは自由ですが、TMHKさんが過剰診断について調べたのであれば、むしろ検診を行う側が説明責任を怠っていたことについて述べるべきです。調べていないのか、調べたけど意図的に言及しなかったのかのどちらかです(私は前者だと思います)。

ここは大事なところですので詳述します。福島県での過剰診断に否定的な人たちの多くが、東電や国といった権力に批判的であるようです。権力には監視が必要です。ただ、医療も権力であることを忘れていはいけません。患者の権利を守りたいのであれば、医療介入に伴う不利益を隠してはだめです。患者さんへの説明、情報の伝達のための用語を「造語」などとみなすのは、権力側に都合がいいふるまいです。

近年では状況はましになってきましたが、かつては、医師が治療方針を決め、患者は口出しできませんでした。いまでは説明責任がありますが、その責任は十分に果たされていません。たとえば、がん検診を受けるときに、過剰診断をはじめとした不利益について、十分に説明されているでしょうか。「過剰診断は造語だ」などと言っている人がいるようでは、十分な説明がなされているとは言えません。日本と比べてると海外では進んでいます。例を挙げると、


NATROM先生に聞く、がん検診の副作用と過剰診断の不利益
https://cancerwith.com/blog/entry/interview-natrom-overdiagnosis


の下の方に、JAMAによる乳がん検診の利益と害についての図を紹介しました。「50歳の女性1万人が10年間マンモグラフィーを受けたとき、偽陽性が6,000人くらい出る。302人が乳がんと診断され、そのうち検診のおかげで乳がん死を避けられた人は10人だが、一方で過剰診断が57人、検診を受けても死亡する人が62人いる」のです。日本の公的機関でこのような図を出して説明しているところはありますか。ひどいときには「早期発見すれば生存率が向上します。がん検診を受けましょう」というパンフレットがあるぐらいです(生存率の「向上」はがん検診の有効性の指標にはなりません)。



>新たに作り出された言葉は初出から時間が経とうがコンセンサスを得られなければ、定義が転ろうため、造語のままであると考えている。


コンセンサスは得られていると、再度申し上げます。



>>確認ですが、成人の乳がんや甲状腺がんにおいても、過剰診断の存在は確定していないと、TMHKさんはお考えなのですか?「確定していると考えている」「確定していないと考えている」といったお答えが欲しいです。
>誤解を招く過剰診断という言葉での回答はしたくありません。


TMHKさんは、成人の乳がんや甲状腺がんにおいて過剰診断の存在が確定しているかどうかを明言できなかったことを確認しておきます。



>思うに『過剰診断』という言葉を使う人は『多発見』と『過剰治療』の2つをひと言で言い表そうとして失敗しているのではありませんか。


勝手に「もう過剰診断という言葉は使いたくないので、過剰治療もしくは多発見と呼ぶ」側が失敗しています。過剰診断と過剰治療は区別されていますし、区別するべきです。とくに甲状腺がんでは積極的監視(Active Surveillance)される例があるからなおさらです。生涯症状が出ないがんを診断されて、しかし手術はされず積極的監視されている例は、コンセンサスのとれている用語では過剰診断ではあるが過剰治療ではありません。過剰診断の害が過剰治療に伴うものだけではないことを示すことができます。TMHKさんの独自用語だとどう表現されるのでしょうか。医療を行う側の「権力」に都合がよくなりそうです。



>ここは一般の甲状腺がんを論じる場ではありません。スレ違いです。


TMHKさんは、成人の乳がんや甲状腺がんにおける過剰診断について理解していないので、福島県の甲状腺がんについても理解できていません。