NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

線虫がん検査の『HIROTSUバイオサイエンス』の神経芽腫マススクリーニングに関する誤り

線虫を利用したがん検査「N-NOSE」の疑惑を報じた■NewsPicksの記事に対し、HIROTSUバイオサイエンスが反論として■「一部メディアでの報道および内容の解説について」というプレスリリースを出しました。このプレスリリースにはさまざまな問題点がありますが、ここでは主に神経芽腫マススクリーニングに関する誤りについて焦点を当てます。線虫検査の有効性や性能とは直接は関係しませんが、HIROTSUバイオサイエンス側のがん検診の疫学についての理解の程度や科学的事実に対する誠実さについて、何某かの示唆を与えるものだと考えます。


誤:神経芽腫マススクリーニングの有効性は今や専門家の間では知られている。
正:神経芽腫マススクリーニングの有効性は現在も専門家の間では認められていない。


小児神経芽腫(神経芽細胞腫)は神経の細胞ががん化する小児がんの一種です。尿中に排泄されたがん細胞が分泌したカテコラミンの代謝産物を検出する尿検査によってがんを発見できます。日本では1985年から生後6か月の乳児を対象に「神経芽細胞腫マススクリーニング検査」が行われましたが2003年に休止されました。現在、神経芽腫マススクリーニングを推奨している国はありません。

たとえば、NIH(アメリカ国立衛生研究所)のウェブサイト■Neuroblastoma Screening (PDQ®) - NCIには、「確かな証拠に基づくと、神経芽腫のスクリーニングは死亡率の低下にはつながらない」「乳幼児の神経芽腫スクリーニングは過剰診断をもたらす。これは不必要な診断および治療処置につながり、その結果、治療合併症による死亡を含む身体的および精神的苦痛を引き起こす」との記述があります。

イギリスの国立検診委員会(■Neuroblastoma - UK National Screening Committee (UK NSC) - GOV.UK)も同様に「この疾患(神経芽腫)に対するスクリーニングは現在推奨されていない」「スクリーニングによって神経芽細胞腫による死亡が減少するという証拠はない」と述べています。HIROTSUバイオサイエンスが提示している「マススクリーニングが有効な根拠」は専門家の間では十分な証拠とはみなされていません。また、HIROTSUバイオサイエンスは神経芽腫マススクリーニングに不利な証拠について提示していません。詳細については後述します。


誤:日本では 2003年に「過剰診断」を理由に全乳児を対象にした対策型検診である神経芽腫スクリーニングを中止した。
正:「過剰診断」は神経芽腫スクリーニングの休止の理由の一つであるが、それ以外にも死亡率減少という効果が明確でないことも理由である。


日本における神経芽腫スクリーニングの休止の経緯については■神経芽細胞腫マススクリーニング検査のあり方に関する検討会報告書が詳しいです。「一般にマススクリーニングの評価においては、(1)死亡率減少効果があるか、(2)マススクリーニングによる不利益がないか、が最も重要である」「現行の生後6ヶ月時に実施する神経芽細胞腫検査事業による死亡率減少効果の有無は、現在、明確でない」と述べられており、過剰診断だけが休止の理由であるかのようなHIROTSUバイオサイエンスの主張は不正確です。

なお、無症状者に対する線虫によるがん検査にがん死亡率を減少させる効果があるかどうかについても不明確です。死亡率減少効果を評価した観察研究はありませんし、検証するための臨床試験の予定もありません。HIROTSUバイオサイエンスは線虫がん検査を提供にするにあたって、がん検診の有効性を評価する指標であるがん死亡率を減少させる効果が確認されていないことについて顧客に説明すべきであると私は考えます。


誤:早期発見のデメリットとしてしばしば「過剰診断」があげられるが、問題は、見つけ過ぎることではなく、治療の必要がないにも関わらず治療する「過剰治療」である。
正:治療を伴わなくても、がんと診断されること自体が不安や余計な検査といった不利益を生じる。


過剰治療が問題であって治療しなければ過剰診断自体は問題はないという誤解はときにみられます。積極的監視(アクティブサーベイランス)といって、甲状腺がんや前立腺がんといったがんは、診断されても手術や抗がん剤治療は行わずに頻回の経過観察を行うという選択肢があります。積極的監視を選択して「過剰治療」を避ければ害がないと考えるのは想像力の欠如を示しています。

「すぐには手術はしなくていいものの、あなたはがんです」と言われて不安に陥らずにいられる人はどれほどいるでしょうか。過剰診断の害には、過剰治療以外に精神的な害もあり、不安やうつ病、自殺の増加との関連も指摘されています*1。また、ほかに、頻回の検査や医療費の負担も生じます。がん死亡率の減少といった利益が明確でないがん検診は害だけが生じることになりかねません。


「神経芽腫マススクリーニングが有効な根拠」に対する批判的検討

HIROTSUバイオサイエンスは「マススクリーニングが有効な根拠」を提示し、「今では神経芽腫のマススクリーニングの有効性は認められている」と主張しています。しかしながら前述したように、専門家の間では神経芽腫マススクリーニングの有効性は認められていません。それはなぜか、各根拠について検討すれば明らかになるでしょう。

HIROTSUバイオサイエンスによれば、2006年に「登録症例に基づく神経芽細胞腫マススクリーニングの効果判定と医療体制の確立」と題する調査が行われたとし、檜山英三氏(広島大学)を研究代表者とした厚生労働科学研究成果データベースのURLが提示されています。また、『2008年には、「神経芽腫マススクリーニングが有効であった」とする記事が、世界的医学誌 Lancet誌に掲載されています』とし、日経メディカルの記事のURLが提示されています。Lancet誌に掲載された論文の筆頭著者は檜山英三氏です。Lancet誌に論文が掲載されたのなら、その論文を提示すればいいのに、なぜ日経サイエンスの解説記事を提示したのかは意味がよくわかりかねます。できるだけ孫引きを避けて一次文献にあたるというのは科学の基本なのですが。

2008年にLancet誌に掲載された檜山英三氏による論文は以下です。

■Effectiveness of screening for neuroblastoma at 6 months of age: a retrospective population-based cohort study - PubMed

日本における神経芽腫マススクリーニングが有効であったとする根拠は、検診開始前(1980~1983年に出生)、定性検査時期(1986~1989年に出生)、定量検査時期(1990~1998年に出生)の3つの期間において、神経芽腫による72か月までの累積死亡率がそれぞれ10万出生あたり5.38人、3.90人、2.83人で、マススクリーニング開始後に神経芽腫死亡率が減少したというものです。

検診によってがん死亡率が減少したことが示唆され、神経芽腫マススクリーニングが有効であった根拠だと言えます。しかしながら、医学の世界では一つの研究だけでコンセンサスが否定されるようなことはめったにありません。実際、檜山らの研究には発表時から批判的な見解が述べられていました。

■Screening for neuroblastoma: a resurrected idea? - PubMed

批判の一つは、方法論上の欠点です。検診開始前、定性検査時期、定量検査時期の3つの時期を比較していますが、同時期の対照と比較されていません。時間とともに神経芽腫死亡率が減少したのは、マススクリーニングのおかげかもしれませんが、神経芽腫の治療法が進歩したおかげかもしれません。また、登録情報の不完全さも指摘されていました。がん登録のデータベースを利用して行われた研究ですが、死亡診断書に基づく症例数と比較すると60%強しか登録されていませんでした。神経芽腫マススクリーニングに否定的な結果は、先行するカナダおよびドイツの研究から得られていました。檜山らの研究は専門家のコンセンサスを覆すにはいたりませんでした。

檜山らの研究が不適切であったというわけではありません。どのような研究にも一定の制限や限界があるものです。神経芽腫マススクリーニングが有効であったかもしれないというデータが提示されたもの、批判的に吟味された上で受け入れられなかったという、通常の科学のプロセスの一つに過ぎません。ときにニセ医学を推進する企業に悪用される恐れがあるとは言え、科学界に一定の異論があるのは建設的な議論のために有用です。

檜山らの研究への批判の中で二つの課題が提示されました。一つは、日本で2003年にマススクリーニングが休止された後の神経芽腫死亡率の検証、もう一つは生後18ヵ月での神経芽腫マススクリーニングの検証です。

神経芽腫死亡率減少が検診のおかげであれば、検診を休止すれば死亡率は元に戻るはずです。いくつか研究はありますが、その中でも2016年に発表された代表的な研究を提示します。

■The incidence and mortality rates of neuroblastoma cases before and after the cessation of the mass screening program in Japan: A descriptive study - PubMed

マススクリーニング前後に生まれた小児を比較したところ、副腎がんによる累積死亡率には差はありませんでした。神経芽腫マススクリーニングは、がん死亡率を減少させなかったことを示唆します。もちろん、この研究にも限界や制限はありますが*2、この研究以外の多くの研究を総合し、専門家の間で神経芽腫マススクリーニングの有効性は認められていないのです。

2003年まで全国的に行われた検診は生後6か月の乳児を対象にしていましたが、これまで示した通り有効性は不確かな上に多くの過剰診断が生じます。そこで生後18か月で検診を行う案が提示されました。HIROTSUバイオサイエンスのプレスリリースにも「予後不良例を早期発見できる時期として18ヶ月を提唱し、新たな前向き研究を推奨しました」という記述があります。その結果はどうだったのか。やはりいくつか研究がありますがその一つを紹介します。2021年発表です。

■Results of mass screening for neuroblastoma in 18-month-old infants in Osaka area, Japan - PubMed

大阪府において生後18ヵ月を対象にマススクリーニングを受けた患者を後ろ向きに検討したところ、検診を受けた14万人超のうち85人が陽性と判断され、14人が神経芽腫と診断され、うち12例が超低リスク、2例が高リスクと分類されました。高リスクのがんはたった2例、つまり生後18ヶ月幼児を対象にしても効率的に予後不良例を発見することはできなかったということです。大阪府の神経芽腫マススクリーニング検査は2018年に終了しています*3。同様に札幌市でも「検査を継続するために必要な検査の有用性が明らかとならなかったため」2017年に生後18ヶ月幼児を対象としたマススクリーニングを休止しました*4

HIROTSUバイオサイエンスのプレスリリースは、「神経芽腫マススクリーニングが有効な根拠」として、ほかに「神経芽腫の診断の進歩—血清診断法により手術なしで悪性度を診断できる時代へ」というメディカルノートという日本語の医療情報サイトの記事を紹介し、「その後の研究で、日本では神経芽腫マススクリーニング開始後、神経芽腫乳児の死亡率がマススクリーニングを始める前の2分の1に減っていること、2歳以上の進行例が減っているという報告もされました」と述べています。そのような報告があれば一次情報を提示すればいいのに、なぜメディカルノートの解説記事を提示したのかは意味がよくわかりかねます。また、マススクリーニング開始前後の比較ではマススクリーニングの有用性を示したことにはなりません。

「マススクリーニング休止後、乳児期以降の進行例が増えているという予備データも報告されており、現在、死亡率についても詳細に検討する厚生労働省の研究班が立ち上がっています」とありますが、だったらそのデータおよび死亡率の検証結果を提示すべきです。「神経芽腫マススクリーニング休止後の神経芽腫発生状況に関する研究」が開始されたのは2016年で、7年が経とうとしています。もし、「神経芽腫マススクリーニングが有効な根拠」があるのなら、とうぜんに査読論文として発表されているはずです。

『2017年には京都府立医科大学の家原知子氏が研究者代表を務め、厚労省の補助金を活用し、マススクリーニングの効果について大規模な検証が行われ、やはり「有効であった」との結果が出ています』とのことですが、文献の提示がなく検証しようがありません。kaken.nii.ac.jpではじまるURLが提示されていますが(2023年9月25時点でリンク切れ)、そこにデータがあるのでしょうか。だとしても、2017年時点で結果が出ているのであればとっくに査読論文として発表されているはずです。

『当初神経芽腫マススクリーニングでは判定できなかった、治療しなくてもいい症例と治療が必要な症例の判別法を開発し、2021年に発表。これもまた神経芽腫マススクリーニングが実施されていたからこそ得られた効果であったと述べています』については、やはり文献の提示がないどころか、神経芽腫マススクリーニングが有効であった根拠でも何でもありません。有効性について検証しないまま拙速に検診を導入してしまったゆえに生じた「治療しなくてもいい症例」を犠牲にした上での成果なのではないですか。

HIROTSUバイオサイエンスが挙げた根拠は、すべて科研費関連のサイトもしくは日経メディカルやメディカルノートといった医療サイトの解説記事です。日経メディカルの記事を通じて2008年のLancet誌の論文に行き当たりますが、査読論文に関する言及はこれ一つに過ぎず、前述したように専門家の間では受け入れられていません。「マススクリーニングの有効性は今や専門家の間では知られています」として挙げられた根拠としては心もとないものがあります。神経芽腫マススクリーニングに有利な証拠をかき集められるだけかき集めて、やっとこの程度ということなのでしょう。一方で神経芽腫マススクリーニングに不利な証拠については言及されていません。きわめて不誠実であると私は考えます。

専門家の間に知られている神経芽腫マススクリーニングから得られる教訓

日本における神経芽腫マススクリーニングの事例は疫学の教科書にも挙げられています。たとえば、ラッフル&グレイ著『スクリーニング―健診、その発端から展望まで』では、2004年に新生児神経芽腫マススクリーニングを休止させた日本の厚生労働省は「模範的な行動を取ることができた(P196)」と評価されています。

Leon Gordis著『疫学 -医学的研究と実践のサイエンス』では、カナダおよびドイツの研究に言及し「これまでの研究からは、神経芽細胞腫のスクリーニングを積極的に支持する結果は得られていません」とし、「疾患の有無を検出できるとしても、それだけで、必ずしもそのスクリーニング検査が有益とは言えないことをよく認識しておく必要があります(P337)」と述べられています。線虫によるがん検査が全身15種類のがんの有無を検出できるとしても、それだけでは無症状者に対する線虫によるがん検査が有益とは言えないことを、よく認識しておく必要があります。

和田秀樹先生、検診を受けていないほうが肺がん死が少ない研究ってどの研究ですか?

先日、『80歳の壁』など多くの著作で知られる医師の和田秀樹先生とX(元Twitter)で対話させていただく機会がありました。高血圧による脳出血のリスクや和田先生が自身のクリニックで提供している高額な医療のエビデンスについて質問いたしました。■和田秀樹氏に答えていただきたい3つの質問にまとめています。和田先生からは「これまでのやりとりを公開して、このような短いバージョンでない形で反論させていただきます」とのお返事をいただきました。まことにありがとうございます。約1か月間が経ちますが、いまだに「短いバージョンでない形での反論」がありません。もちろん、医学的正確さを心掛けれるならばそんなに早くは反論できないということもあると承知しています。不正確でもいい文章なら気軽に量産できます。私には信じがたいことですが、医学的に不正確な内容の本を大量に出版する医師もいます。読者の健康と命を印税に替えているようなものです。

和田先生のご意見にすべて反対しているというわけではありません。たとえば、「がんの早期発見」が望ましいとは限らない、というプレジデントオンラインの記事*1はたいへんに参考になりました。たとえば、




欧米で実施される比較試験や調査は、対象の母数が大きく、かつ、長期にわたっています。医学が科学である以上、医師は常にエビデンス(科学的根拠)に基づいた判断をしていく必要があると、私は考えています。


という部分。私も強く同意します。欧米における大規模臨床試験の結果を否定して、高血圧や糖尿病を放置してよいという誤解を振りまいて患者の命を危険にさらしたり、公費を使わない自費診療ならエビデンスに乏しい治療を行ってよいかのような主張をする医師もいます。大規模RCTだけがエビデンスではありませんが、大規模RCTの結果を否定するなら相応のエビデンスの提示が必要です。また、国家に損をさせない自費診療であっても、患者さんの健康や命にかかわることであり、和田先生がおっしゃるように医師は常にエビデンス(科学的根拠)に基づいた判断をしていくべきです。自分のクリニックの医療について何のデータも提示できず「私が担当でないのでわかりません」「エビデンスがあるはず」「(代替医療の提唱者の)臨床成績を信じているだけ」などと言い逃れる医師は実に無責任です。

さて、がんの早期発見が常に望ましいとは限らないことは、私も何度も言及したことでありますが、一方で、がん死亡率を減少させる有用ながん検診もあるのも事実です。検診から得られる害と利益について患者さんは十分に情報を提供された上で意思決定がなされなければなりません。がん検診を全否定することも全肯定することもなく、和田先生のおっしゃるようにエビデンス(科学的根拠)に基づいて判断していかなければならないのです。日々、勉強です。

さて、和田先生の記事には以下のような記述があります。


また、胸部エックス線撮影やCT(コンピュータ断層撮影)による放射線被ばくも問題です。放射線を浴びれば、ご存じの通り、発がん率は上昇します。アメリカの喫煙者を対象とした大規模な調査によると、定期検診を受けている人のほうが、肺がんの早期発見数が多くなりました。ところが、肺がんによる死亡数は、定期検診を受けていない人のほうが少ない、という結果が出たのです。

不勉強ながら、放射線被ばくの影響により検診を受けている人の肺がんの発生や肺がん死が増えたという大規模な調査について、私は存じませんでした。強いていえば、1986年に発表された、45歳以上の喫煙男性を対象に、4か月ごとの単純胸部レントゲン+喀痰細胞診(検診群)と、1年おきに検査を受けるよう勧められた群(対照群)を比較したメイヨークリニックによる比較試験が思い当たりますが*2、早期発見数の増加は放射線被ばくによるものではく、密な検査によるものですし、肺がん死は対照群でわずかに少なかったものの有意差はなく誤算範囲内に収まります。この研究をもって放射線被ばくのせいでがんが増えたかのように言うのは不適切だと考えます。一般的にがん検診ではがんの発見は増え、がんによる死亡は減るか変わりません*3。肺がん検診でがん死が検診群に多く、しかもそれが放射線被ばく由来であることを示した研究が存在するのなら、患者さんに適切な情報提供をするためにもその論文を読まなければなりません。先日に3つも質問しておきながら恐縮ですが、ぜひとも和田先生にご教示いただきたいです。



質問4:検診群において肺がん死が多いという「アメリカの喫煙者を対象とした大規模な調査」の詳細、および、肺がん死の増加が放射線被ばく由来だと判断された根拠について教えてください。



お忙しいでしょうから、お答えは待ちます。

肺がん検診の害と利益を評価した「アメリカの喫煙者を対象とした大規模な調査」で有名なのはNLST研究です*4。肺がん高リスク者に対し、低線量CTによる肺がん検診を行うと、行わない場合と比較して、肺がん発生が1.13倍*5、肺がん死亡が0.8倍でした(相対リスク減少で20%)。つまり肺がんによる死亡数は検診を受けている人の方が少なかったのです。喫煙者に対する低線量CTによる肺がん検診が肺がん死を減らすことは系統的レビューでも確認されています*6。医師は常にエビデンス(科学的根拠)に基づいた判断をしていく必要があると考えている和田先生が低線量CTによる肺がん検診のエビデンスに言及せず、「CTはさらに危険です」などとおっしゃった理由を詳しく知りたいです。「日本の医師は情報のアップデートが遅い」*7などと他者を批判する和田先生のことですから、NLST研究をご存じなかったなんてことはありえないと信じています。

和田先生は「心臓ドック」と「脳ドック」を「予期できない突然死を予防するためにも有効」だとして、受ける価値があるとしています。ですが、私の知る限り、心臓ドックや脳ドックが突然死を減らすという質の高いエビデンスはありません。脳ドックはMRIで施行可能なので放射線被ばくの問題は避けられますが、心臓ドックは放射線被ばくが伴います。「さらに危険なCT」に見合うだけの利益が心臓ドックにあるかどうか、エビデンス(科学的根拠)に基づいた判断が必要です。


*1:■「がんの早期発見」が望ましいとは限らない…老年専門医が「65歳を過ぎたらがん検診はするな」というワケ 「余命を伸ばせる=治療は成功」は本当か (4ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

*2:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/3528436/

*3:細かいことを言うと前立腺がんにおいて、がんの診断が死亡診断に影響するというバイアスが観察されている(https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36121053/)。がんと診断されると、他の原因で亡くなっても誤ってがんによる死亡と診断されてしまうバイアスである。ただし、肺がんでは起こりにくいと思われる。

*4:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21714641/

*5:肺がん発生の増加は放射線被ばくではなく過剰診断もしくは将来に発症するがんの前倒し診断によると考えられている。

*6:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34198856/

*7:https://nikkan-spa.jp/1906796/2

和田秀樹氏に答えていただきたい3つの質問

和田秀樹氏は『80歳の壁』など、多くの著作で知られる医師です。毎日新聞医療プレミアの『「老い」に負けない ~健康寿命を延ばす新常識~』において、「私自身が200以上の血圧を何年も放っておいて平気だったように、今は血圧が200以上でもまず血管が破れることはない」と書いておられました*1

高血圧は脳出血の介入可能な最大のリスク因子です*2。最適治療目標など細かい議論はあるものの、基本的には、血圧を下げる治療が、脳出血をはじめとした脳血管障害(脳卒中)や心筋梗塞を代表とする心血管疾患を減らすことについて専門家の間で議論はありません。和田秀樹氏自身が「200以上の血圧を何年も放っておいて平気だった」のが事実だとして*3、一般読者が「収縮期200mmHg以上の血圧を何年も放置しても平気なのだ。放置してよい」と解釈しうる文章を書くのは医師として不適切だと私は考えます。

そう考えたのは私だけではなかったようで、『m3』という医師専用掲示板で「血圧も常時200を超えていて降圧剤を使うと気分が悪くなり放置しているようです」「このままで何時まで持つやら、いつ脳卒中になってもおかしくありません」などと和田氏に対して批判的なコメントが投稿されました。和田氏はその批判に答えて、「常時200を超えていて放置しているとも言っていない」「血圧は確かに正常までさげると気分が悪くなるので170くらいでコントロールしている」と反論しました*4

和田氏の反論は的を外しています。確かに「常時」200を超えているとは書いていませんのでm3の和田氏批判は不正確でした。しかしながら、常時ではないにせよ、「私自身が200以上の血圧を何年も放っておいて平気だった」と和田氏が書いたのは事実です。読者が高血圧を放置してよいと誤解しないように、「とはいえ、高血圧は脳出血をはじめとしたさまざまな疾患のリスク因子であるので、私のように放置はしてはいけません。私自身も現在は薬で血圧を下げています」などと注意喚起すべきではないですか。

和田氏はそのような注意喚起をしていないどころか、自身が降圧薬を飲んでいることに触れず、症状がないときには病院に行かない方がいいといった論調の記事すらあります。■「血圧200を放っておいたが問題なかった」などと放言する医者を信じてはいけない!で詳しく論じています。『「体の声」が聞こえたときに病院に行けばいい』のであれば、収縮期200mmHg以上の高血圧でも症状がなければ放置してよいということではないですか。「今は降圧薬を飲んでいて放置していない」は反論になっていません。

「常時200を超えていて放置しているとも言っていない」としても「私自身が200以上の血圧を何年も放っておいて平気だった」とは和田氏が書いていたことを指摘する私のツイートに、和田氏が「過去形と現在形の区別がつかない人が医者をやっているのは怖いですね」とリプライしてきました。現在(2023年7月28日)までの私と和田氏のとのやり取りは■和田秀樹氏と名取宏のやり取り。「200以上の血圧を何年も放っておいて平気だった」と医師が述べることの是非について。 - Togetterにまとめてあります。

いくつか和田氏に質問したのですが、多くの質問に答えていただけませんでした。その代わり、しきりに和田氏から自身のYouTubeチャンネルでの議論に誘っていただきました。そうした会話でのやり取りでは、強い言葉で断言するほうが議論に勝ったと視聴者は誤解しがちで、また、質問に答えずにはぐらかされる懸念があるため、文章でのやり取りでの議論が望ましいと考えます。Twitterでは長い文章を書けないというのであれば、公開を前提としたメールや、掲示板やブログのコメント欄でもかまいませんとお伝えしました。文章ではだめな理由もおたずねしましたが、和田氏からお返事はありませんでした。

ただし「短いバージョンでない形で反論させていただきます」とのことなので、今後、YouTubeで和田氏からの反論があるかもしれません。和田氏が反論するときに私の主張を参照しやすよう、論点整理を兼ねて、和田氏に答えていただけなかった重要な質問を再掲します。


質問1:「今は血圧が200以上でもまず血管が破れることはない」という和田氏の主張の根拠は何ですか?

私の認識では、というか世界中の専門家のコンセンサスでは、高血圧は脳出血の主要なリスク要因です。収縮期血圧200mmHgといった著明な高血圧でも「まず血管が破れることはない」という、コンセンサスに反した主張にはなんらかの根拠の提示が必要です。何度も和田氏におたずねしたのですが、ご自身のケースと「一過性に200を超えて破れた人を35年の臨床で見たことがない」という自身の臨床経験以外には根拠を提示していただけませんでした。そもそも「一過性」という言葉がいつのまにか足されているのはどういうわけなのでしょう。

予想される和田氏の反論についてあらかじめ答えておきます。栄養状態の改善によって血管が破れにくくなったとということはあるかもしれません。しかしながら、海外や近年の日本で行われたコホート研究でも高血圧と脳出血を含む脳血管障害の関連は一貫して示されています*5。昔と比べて破れにくくなったとは言えても、「まず血管が破れることはない」とは言えません。

脳血管疾患患者数の減少を根拠に和田氏は反論なさるかもしれません。プレジデント2022.10.14号で和田氏と養老孟司氏の対談記事において、「脳出血のリスクが低下している割に高血圧と診断しすぎ」というキャプションで脳血管疾患患者数が減少しているグラフが提示されています。しかしながら和田氏は、「高血圧に対して十分な治療が行われたからこそ脳血管疾患患者数が減少した」という可能性を見落としておられます。さらに言うなら、以前よりは減少したとは言え、結構な人数の脳血管疾患患者がいまも発症していることをこのグラフは示しています。

「まず」とか「ほとんど」とかいう言葉の意味は曖昧ですので、絶対リスクの小ささを理由に挙げるかもしれません。NEWSポストセブンの対談記事で、和田氏は

血圧に関する米国の有名な大規模調査では、血圧160以上の患者を「治療した群」と「治療していない群」に分けて比較したところ、6年後、「治療した群」の6%、「していない群」の10%が脳卒中になっていた。だから治療が有効というが、このデータは「治療をしなくても90%は脳卒中にならない」と読むことができるはずです

と述べています*6。細かい数字はともかくとして高血圧の治療をしなくても多くの人は脳出血にならないのは事実です。6年間で10%のリスクは無視できるという考え方もあるでしょう。しかしながら、それはリスクを説明された上で患者さんが判断することです。降圧薬を飲むことで10%のリスクが6%に減少(4%の絶対リスク減少)するなら薬を飲みたいという患者さんだっているはずです。『「体の声」が聞こえたときに病院に行けばいい』という和田氏の主張は、無症状の高血圧患者さんがリスクを説明されたうえで選択する機会を奪うことになりかねません。

それに10%程度のリスクは無視できるという立場は、『準備ができない突然死を避けたい人は「心臓ドック」と「脳ドック」については受ける価値がある』という和田氏の別の主張との整合性がまったくとれません*7。心臓ドックを受けようが受けまいが、多くの人は突然死しません。なのになぜ心臓ドックは受ける価値があるのでしょうか。ちなみに「心臓ドック」が突然死を減らすというエビデンスはないどころか、無症状の冠動脈性心疾患にカテーテル治療を行っても予後は改善しないことを示唆するエビデンスすらあります*8。心臓突然死の一次予防は、心臓ドックではなく、禁煙や、脂質異常症・糖尿病・高血圧の十分な治療が重要だとされています*9。高血圧の十分な治療を受けた上で心臓ドックも受けるのならまだわからないでもありませんが、200mmHgもの高血圧を5年間も放置しておきながら、突然死を避けたいからとエビデンスの乏しい心臓ドックを受けるのは、きわめて非合理的で理解不能です。


質問2:過去の和田氏の発言を鵜呑みにして200mmHgの高血圧を放置している読者がいたとして、放置したままでよいと思われますか?

これもTwitterで質問したのですが、明確なお答えをいただいていません。ご自身は170mmHg程度にコントロールし、「50歳でも200は高いとは思います」とのお答えはいただいたので、さすがに200mmHgの高血圧を放置したままではよくないということなのかもしれません。すると別の疑問が湧きます。プレジデント誌での養老氏との対談で、和田氏は


具体が悪くなるときちんと体が教えてくれるから、「体の声」が聞こえたときに病院に行けばいい。逆に大したことのない状況で病院に行くと、役に立つのかわからない薬を飲むことになったり、検査結果の数字に頼ってばかりで「体の声」が聞こえなくなったりするのではないでしょうか。

と述べています。この対談記事を読んだ読者は『血圧が200mmHgあっても症状がなければ放っておいて問題ない。「体の声」が聞こえたときに病院に行けばいい』と考えるのではないですか。最初の「体の声」が突然死だったらどうするんでしょうね。


質問3:和田氏が自身のクリニックで高額で提供している医療にエビデンスはどれぐらいありますか?「私の師匠で世界抗加齢医学会副会長のクロード・ショーシャ先生のメソッドで彼の40年、数千件の臨床成績を信じているだけ」とのことですが、ショーシャ先生が発表した論文を和田氏は検証しましたか?

和田氏が自身のクリニックで根拠に乏しい医療を高額で提供している問題についてはすでに■「血圧200を放っておいたが問題なかった」などと放言する医者を信じてはいけない!で指摘しました。和田氏に治療の根拠をおたずねしたところ、世界抗加齢医学会副会長のクロード・ショーシャ先生の名前を挙げていただきました。

しかし、何々学会の副会長だからというだけでは信用はできません。根拠に乏しい医療を提唱・実践する組織が、○○医学協会、○○学会、○○研究所を乗ることはよくあることです。インチキ医療を売って儲けたい詐欺師が、権威付けのために立派な肩書の学会を自称し、一般書やウェブサイトで素人を騙すのは定番のやり口です。自前の学会誌に論文のようなものを載せたりはしても、専門家を相手にするだけの能力はありませんので、査読のある論文は書きません。

まともな学会の副会長ともなれば、査読論文をたくさん発表しているはずです。そこで、ショーシャ先生がテストステロン補充療法についてどのような論文を書いているのかPubMedで検索してみたのですが、私が検索した範囲内では一件も見つけることができませんでした。「40年、数千件の臨床成績」があるはずなのに症例報告すらありません。ただし、著者名の表記ゆれなどで論文があってもうまく検索できないことがあります。私の検索の仕方が悪かっただけかもしれませんので、こうして和田氏におたずねしています。

他にもお答えいただいていない質問がありますが、とりあえず上記3つの質問を優先してお答えいただければ幸いです。