NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

「過剰診断とは治療不要の病気を診断すること」と説明しないほうがいいかもしれない

がん検診の文脈で広く受け入れられている過剰診断の定義は「治療しなくても症状を起こしたり、死亡の原因になったりしない病気を診断すること」である。この定義では、治療が必要かどうかには触れられていないが、治療しなくても症状や死亡の原因にはならないのだから、当然、治療は不要だ。そのため、「過剰診断とは治療が必要ではない病気を診断すること」と説明されるときがある。この説明でも間違ってはいないが、ときに誤解を招きうる。

有効ながん検診でも、がんや前がん病変と診断された中には一定の割合で過剰診断が含まれる。たとえばマンモグラフィーによる乳がん検診では、検診で発見・診断されたがんの15~30%が過剰診断、つまり、治療しなくても症状や死亡の原因にはならないものだ*1。しかし、実際には検診で診断された乳がんはほぼ全例治療されてしまう。なぜなら、診断した時点ではどの乳がんが過剰診断かどうか、区別できないからだ。過剰診断かどうかを治療前に完全に区別できる技術があれば、過剰診断ではない乳がんだけを治療すればいいのだが、現時点ではそのような技術はない。一定の割合で過剰診断が含まれることを承知の上で、すべて治療するしかない。

つまり、検診で発見・診断された乳がんは、一定割合で過剰診断が含まれるが、「治療の必要がある」。この論理を十分に理解していないと、「検診で発見・診断された乳がんは治療の必要がある」のだから、「検診で発見・診断された乳がんは過剰診断ではない」という誤解に結びついてしまう。

乳がんは診断されるとほぼ全例治療されてしまうが、子宮頸がん検診で発見された子宮頸部異形成(子宮頸部上皮内腫瘍)はそうではない。子宮頸部異形成が浸潤子宮頸がんに進行すると、命を落としたり、そうでなくても子宮全摘術のような侵襲性の高い治療を受けなければならなくなる。円錐切除術などの子宮頸部の局所切除で浸潤がんへの進行を予防できるが、そのような治療は多かれ少なかれ痛みや出血を伴うし、治療後に早産のリスクが高まる。

子宮頸部異形成は軽度、中等度、高度と分類でき、軽度異形成(CIN1)であれば治療はされずに経過観察(積極的監視)されるが、高度異形成(CIN3)は子宮頸部の局所切除が必要とされる。中等度異形成(CIN2)は国によって治療されたりされなかったりだが日本では経過観察されることが多い。
この情報だけで、高度異形成であっても過剰診断が多そうだ、ということはお分かりいただけるであろう。過剰診断である確率はグラデーションだ。中等度異形成が経過観察でも大丈夫とされているのに、高度異形成になったとたんに過剰診断である可能性が非常に低い、なんてことはありそうにない。実際のところ、高度異形成の過剰診断の割合は約50%~80%と推定されている*2。つまり、治療を要するものに限っても子宮頸部異形成の半数以上は過剰診断である。「治療が必要だから過剰診断ではない」とは言えない。切除した病理組織を詳しく調べても、ガイドラインに沿って適切に対応しても、過剰診断ではないとは言えない。過剰診断とはそういうものである

仮の話として、子宮頸部異形成の治療を行っている臨床医が、「過剰診断を裏付けるような術後病理結果は出ていない」「過剰診断や治療にならないよう様々な基準をクリアした上で手術が行われている」などと学会で発表したとして、その医師はがん検診で広く受け入れられている過剰診断の定義について理解していないだけだ*3。査読がない学会や査読の緩い医学雑誌に発表はできても、一定のレベル以上の医学雑誌にはその主張が掲載されることはない。治療を受ける患者さんに対して適切な情報提供がなされているかもきわめて疑問だ。

残念ながら、過剰診断の定義をよく理解していない医師はまだまだいる。そのような医師は、過剰診断ではないかという指摘を、医療過誤の告発であるかのように受け取る。そのため「この症例は治療が必要であったがゆえに過剰診断ではない。診断・治療は適切であった」という的外れな反論をしてしまう。しかし、「過剰診断について議論することは良い科学であり、過誤の告発ではない」*4。私は良い科学を目指したい。徐々にだが過剰診断についての理解は進んでいるように感じる。このブログでの情報提供が状況改善に微力なりとも貢献していることを願う。


*1:2022年4月9日追記。「20~30%」を「15~30%」と改定。PMID: 35226520による

*2:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/10037103/, https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/27068430/, https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/18407790/

*3:もしくは世界中の専門家がまだ誰も知らない、過剰診断がどうかを区別する魔法のような技術を開発したか

*4:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/28765855/

テクテクライフ利根川渡河作戦

位置情報ゲーム『テクテクライフ』をはじめてみた

位置情報ゲームは、Ingressを数年間はプレイした。たいへん楽しかったが、あるときご近所の味方のエージェント(プレイヤー)に補足されて、コミュニティに誘われたところでやめた。飽きていたこともあったが、人間関係をわずらわしいと感じたからだ。ポケモンGOもしばらくやったが、レイドバトル(協力プレイ)が導入されたあたりで脱落した。位置情報ゲームは好きなので何かないかと考えていたところ、「テクテクライフ」というゲームをやってみた。


■テクテクライフ公式サイト


はじめてから2ヶ月ぐらい経ったが、なかなか面白い。基本は通った場所の地図をただ塗っていくだけ。競争も協力もない。ひたすら孤独に塗る。こういうのでいいんだよこういうので。移動スピードが早いからといってペナルティはないので、効率だけを考えるなら、ゲームの名称に反して、テクテク歩くのではなく鉄道や車などの乗り物に乗って移動するのがいいのだが、新型コロナウイルス感染症の流行でなかなか遠出ができない。もっぱら散歩および通勤で塗っている。

以前から休日には、1~2時間ぐらいかけた散歩に出かけるのだが、散歩する楽しみが増えた。IngressやポケモンGOでも「近所だけど行ったことのない場所」に行く機会ができて面白かったが、テクテクライフはポータルやポケストップのような特定の場所でなくても行く必要がある。通ったことのない小径に入り、見事な梅の木を見つけたりする。また、立ち止まって特定の場所で操作する必要がないのもいい。同行者に待ってもらわなくてもいいからだ。歩きスマホをさせないための工夫だとのこと。

通勤は同じ場所ばかり通るので新しく塗れるところはもうない。「ふだんの生活圏を塗ってしまったら、あとはやることが少ない」というのがテクテクライフの欠点である。旅行ができない現状ではなおさらそうだ。その救済措置というわけではないが、現在地以外の場所を塗る機能がついている。その一つが「街区ガチャ」だ。ゲーム内通貨を支払うことで全国のどこかの場所をランダムに一か所だけ塗れる。ちなみに課金しなくても実績解除やデイリーボーナスでゲーム内通貨は容易に手に入る。

自宅から遠いところも塗れる

いったん自宅から遠い場所を「街区ガチャ」で塗れば、その場所に接している場所を「となりぬり」することもできる。「となりぬり」は一定量のスタミナを消費するが、スタミナはゲーム内通貨や時間で回復する。私は最初に引いたガチャで千葉市美浜区打瀬を引いた。千葉市は行ったことがないし、これから行く機会があるかどうかわからないが、これがご縁で打瀬を起点に、毎日千葉市を塗りまくった。千葉市を4%塗ったぐらいで他の都道府県を塗りたくなった。各都道府県を塗ると実績解除になるのだ。

さて、どこを塗ろうか。どうせなら、行く機会の少ないところを塗りたい。東京都は今後、行く機会がある。そこで茨城県を目指して北上した。しかし、千葉県と茨城県の県境には利根川があったのだ。「となりぬり」は距離が遠いと塗れない。利根川ほどの広い川は越せないのである。

川なら上流に行けば細くなる。いつかは越えられるはずだ、と思って利根川の千葉県側をさかのぼっていたが、野田市で詰まった。野田市は西は江戸川、東は利根川で、合流地点から上流へは行けない。ええ?千葉県って川にはさまれていなかったっけ?「となりぬり」では千葉県から出られないのでは?*1

もう一回「街区ガチャ」を引けばいいだけの話だが(使わないのでゲーム内通貨は大量にたまっていた)、それでは何かに負けた気がする。そこで気が付いた。野田市は一部利根川の向こうにある。

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野田市の一部は利根川の茨城県側にある(赤矢印は加工)。どっかで見たような覚えがあったが、PATOさんの■千葉県の県境はぜんぶ川らしいので歩いて確かめてきた | SPOTだった。

なんとかして利根川を渡れ

これを利用すれば利根川を渡れるのではないか。作戦はこうだ。まず野田市のどこかの地区を80%以上塗る。利根川のこっち側が大半だから80%は塗れるはずだ。地区の80%以上を塗ると「はなれぬり」が使える。「はなれぬり」では、「となりぬり」できない街区も塗れる。ただ、「はなれぬり」はゲーム内通貨では使えない。月額780円か、3時間120円か、8時間250円かが必要だ。無料の体験コースもある。というかすでに私は月額780円を課金済みであった。利根川渡河作戦の開始である。

ひたすら野田市木野崎を塗った。1日では塗れない。ちまちまとスタミナの回復を待ちつつ、塗る。塗る。ゴルフ場は区域が細かくて塗るのが面倒だ。

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やっと64%。


塗り面積割合に応じて水色が濃くなる。ちなみに、木野崎の南の三ツ堀が濃いのは、当初、三ツ堀地区から渡河しようとして失敗したから。野田市については、醤油問屋の若旦那がいたことと、春風亭一之輔師匠の出身地であることぐらいしか知らなかった。野田市の木野崎となるとテクテクライフをプレイしていなければ、一生ご縁がなかったかもしれない。いつか現地にも行って、千葉県と茨城県の県境を歩いて越えたい。

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無事、木野崎地区を、80%塗ることができた。


木野崎地区を80%以上塗ったところ、「ぬり残し表示機能」を使って、利根川の向こう側にぬり残した街区を「はなれぬり」することができた。無事に利根川を渡り、茨城県を塗ることができた。作戦成功だ。その後、北上し、群馬県の東端、埼玉県の東北端を塗ってそれぞれ実績解除した後に、現在は福島県を目指して栃木県を北上中である。


関連記事

■Ingressと健康

*1:後日、江戸川の川幅の狭いところから春日部市南部へ渡れることに気づいた

ワクチンを接種しない人を批判してはいけない

新型コロナウイルスワクチンが、日本でも今年の2月から順次接種される予定だ。発症予防と重症化予防の効果は確かで、短期的な安全性も海外で数万人単位の臨床試験および千万人単位での実地での接種が済んでおりほぼ確認されている。重篤な副作用はあるが頻度は十分に小さく、害より利益が上回るのは明確だと私は判断し、順番が来た時点ですみやかに接種を受けるつもりである。

しかしながら、他者への感染予防効果については、効果は示唆されるものの、現時点では確実とは言えない*1。また、当然のことであるが1年以上を単位とした長期的な副作用の有無はまだわからない。ワクチンを接種するのをためらい、保留する人がいるのは当然のことだ。あるいは、どんなにまれであっても重篤な副作用が起きる可能性があるワクチンを接種したくない人もいるであろう。

どのような医療を受けるかを決める権利は本人にある*2。もちろん、ワクチンについてもそうだ。ワクチン接種が強制されたり、ワクチンを接種しないことを選択した人が責められたりすることがあってはならない。同調圧力によって、事実上の強制となるのもよくない。

新型コロナウイルスに感染すると重症化しやすい高齢者や基礎疾患のある人と接する機会のある、医療従事者や施設職員についても、原則としてワクチン接種が強制されてはならない。そもそも感染予防効果はまだ不明確であるし、よしんば将来、感染予防効果が明確になったとしても、強制ではなく推奨に留めるべきである。自発的なワクチン接種率が低い場合、感染症に弱い人たちが安全に過ごせる権利と医療従事者・施設職員が自らが受ける医療を選択する権利が両立できないジレンマが生じるかもしれないが、どちらの権利も尊重されるべきであり、安易にどちらかの権利が無視されてはならない。

なお、ワクチンについての不正確な情報発信や不安を煽る報道を批判してならないとは言っていないことに注意していただきたい。ワクチンを不安に思い接種しないことと、ワクチンの不安を煽って他者にワクチン接種を忌避させることは、明確に区別されるべきだ。理想は、すべての人がワクチンについての正しい情報にアクセスでき、自分の意思でワクチンを受けるかどうかを決定できることである。ワクチンを接種しない人を批判してもこの理想に寄与しない。

それに、新型コロナワクチンが十分なだけ供給されるのはかなり先の話だ。とりあえず接種したい人にどんどん接種すればいい。ワクチン接種をしたくない人に、なぜ接種しないのか問い詰めるのはよくない。接種しない本当の理由は、注射は痛いからとか、単に面倒だとか、なんとなく嫌とか、だったとしても、問い詰められたら、「早すぎる開発・承認は信頼できない」とか「長期的な副作用が心配」とかもっともらしい答えを考えるだろう。どうかするとネット上で見かけた陰謀論の類いを答えるかもしれない。一度口にすると、一貫性を保つため、ワクチンが余るようになっても忌避し続けかねない。ワクチンを接種したくない人には、「そうなんだ。じゃあ私、先にコロナワクチン打つね」ぐらいのテンションで対応するのがよいのではないかと考える。

接種がはじまったらワクチンとの因果関係の有無に関わらず重篤な副作用が疑われる事例は必ず出るし、副作用の不安を煽るマスコミも必ず出る。もちろん、不適切な報道に対する批判をしてもよいが、副作用を訴えた本人や家族を批判するべきではない*3。そして、副作用が疑われる事例には補償も含めて適切に対処し、十分な調査を行い、データを公開する。

ワクチンを接種したい人だけが接種し、粛々と安全性と効果のデータを積み上げるほうがよいと思われる。というか、実際問題、本当の強制なんてできないのでそうするしかない。安全性と効果の十分なデータがそろったとしても、全員がワクチンを自発的に接種することはないだろう。むしろそのような社会は不健全だ。全員ではないにせよ多くの人が自発的にワクチンを接種し、一定数以上の人が免疫を獲得できれば流行はおさまる。そこを目指そう。

*1:程度はともかく感染予防効果もあるに決まっていると個人的には考える。発症予防効果が95%で感染予防効果が0%なんてきわめて考えにくい/2021年5月17日追記。その後、高い感染予防効果を示す複数の観察研究が発表された

*2:未成年の場合は医療水準や社会通念に照らして適切だとされている医療を親権者が受けさせないのは医療ネグレクトに相当するが、現時点では新型コロナワクチンは小児は対象外なのであまり考えなくもよい

*3:しばしば「反ワクチン」側は、不安を煽るデマに対する批判を「被害者」に対する批判にすり替える。医療者のごくごく一部であっても、ワクチン「被害者」を非難するような発言があれば、彼らは「ワクチン接種率が低いのは、デマのせいではなく、医療者が被害者を非難するからだ」と主張するだろう。彼らに口実を与えてはいけない