NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

インチキ医療がなくならない理由

最近、立て続けにインチキ医療を擁護する人と議論した。彼らの言い分は、体験談および「効かない治療法なら廃れているはずだ」という理屈。「臨床的にも成果を生んでいるからクリニックが成立している」「殆ど効果のないものが医療機関で使われるとは考えられない」というわけ。

実際のところは、効果がない治療を「効果あり」と誤認することはいくらでもある。有名なところでプラセボ効果(偽薬効果)。あるいは、自然治癒や、たまたま治療後に病状が良くなる時期が重なれば、「効果があった!」と誤認してしまう。治療を行うのは病状が悪くなった時期が多いので、自然の経過として病状が良くなる時期がその後に続くことになる。自覚症状だけでなく、血圧や血糖値は変動しやすい。「血糖値が高かったのでこの健康食品をはじめたら、以降はずっと下がっています!」。いやそれ何かのはずみでたまたま血糖値が高かったのが普通の状態に戻っただけですから。インチキ医療によっては、治療後に病状が悪化しても「好転反応」などと説明され、我慢して治療を続けるうちに良くなれば治療効果ありということになってしまう。

癌のような、通常は自然治癒が期待できない疾患であっても、短期的には病状に波はある。また、医師の説明よりも生存期間が伸びただけで「効果あり」と判断されることがあるが、これも誤りである。そもそも医師は予後を短めに説明したがるものだ。また、たとえば医師が「予後はあと3ヵ月です」と説明した場合、意味するところは「この病状だと平均して予後は3ヵ月」もしくは「半分の人が3ヵ月以内に亡くなり、半分の人は3ヵ月以上は生きると予測できる」であり、予後が3ヵ月と言われた人が6ヵ月や1年間生きることはそれほど珍しいことではない。ひどい場合では、医師は「癌の可能性がある」と説明したのに、患者が勝手に「癌である」と思い込んだとしか思えないケースもある。「現代医学の治療を一切行わず気功のみで腫瘍が消えた!」。いやそれ腫瘍じゃなくて単なるリンパ節炎だったんじゃないんですか。

通常の治療が併用されているのに、自分が選択した代替療法にこそ効果があったと思い込みたいというバイアスも無視できない。悪性リンパ腫や白血病といった、「世間一般のイメージでは不治の病気であるが、実際には結構治る病気」が例に挙がることが多い。「クロレラのおかげで白血病から生還できた!」。いやそれあなたを治療した血液内科医のおかげですから。インチキ医療が生き延びるには、これらの誤認させる要因が、すべての人に起こる必要はない。一部の人たちに「効果があった」と誤認させることができれば、商売は成立する。

別に代替治療だけでなく、通常の医療行為でも似たような事例はたくさんある。「点滴すると良くなるから」と点滴を希望する患者さんはよくいるが、脱水ならともかく、普通に経口摂取できている人に水と糖と電解質だけの点滴をしたところで治療効果はない。しかし、点滴中に安静にしているためか、心理的な効果か、確かにその人にとっては自覚的な症状の改善があるのだ。脳循環代謝改善の効果があるとして、大量に使用されていた薬が、再評価の結果、効果が認められず承認が取り消されたこともあった(参考:おくすり千一夜 第百五十九 痴呆の悪夢)。「効果のないものが使われるはずがない」と代替療法を擁護する人が、同じ理由で脳循環代謝改善薬を擁護するなら大したものだが、えてしてこういう人は「製薬会社と医師が儲けるために患者を犠牲にした」などと言う。臨床医は効かないとわかっていて使っていたわけでなく、医師も患者も効いていると誤認していたのだ。

治療に効果があったのか、それとも自然経過で治ったのか、どんなに注意深く観察したところで区別するのは不可能である。治療を受けた群と、治療を受けなかった群で比較して、差があるかどうかをみる、比較対照試験が必要なのだ。可能であれば、プラセボ効果などのバイアスを排除するために、二重盲検にしたり、無作為割付にしたりすることが望ましい。代替療法に肯定的な人によって、「現在の科学では効果を証明することは難しい」などと主張されることがあるが、誤りである。効果の有無を判定することと、効果のメカニズムを解明することは、別である。比較対照試験がなされていない限り、効果あると証明されたわけではない。どんなに「治った」という例を並べても証明にはならない。比較対照試験を行なう努力を行なわず、治った症例を並べることのみを行なっている治療者は、ほぼインチキであると断定してよい*1


*1:比較対照試験を行なうほどの数を集めることが困難なきわめて稀な疾患・病態については、次善の策として症例を積み重ねることしかできない場合もある。その場合でも「症例報告」として判断に必要な情報が明らかになっている必要がある。「体験談」ではダメ