NATROMのブログ

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「宝くじの誤り」

「宝くじの誤り」とは、「中には大きな利益を得る人もいるかもしれない」という理由で利益が害よりも大きいことが証明されていない医療行為を容認する考え方を表すために私が提案したい言葉である。医療行為には不確実性がある。公的に推奨されている医療行為でも利益はなく害だけを被る人もいるが、集団全体では害よりも利益が大きいとされている。害よりも利益が大きいと十分に証明されていなかったり、逆に利益よりも害が大きいと証明された医療行為は推奨はされていない。

宝くじを購入する行為の金額の期待値はマイナス*1であり、宝くじを買った集団全体では損の方が利益より大きい。しかし、少数ながら、きわめて大きな利益を得る人もいる。宝くじを買う人たちのほとんどはそうしたことを承知の上で宝くじを買うのだろう。ならば、集団においては害が大きくてもきわめて大きな利益を得る可能性があるなら、推奨されていない医療行為を受ける自由だってあるのではないか。もちろん、そうした自由はある。私はそうした患者の選択の自由を否定しているわけではない。十分な情報提供があった上でなら、正味の利益がマイナスである医療行為を受けてもいいだろう。

では、何が問題なのか。医療行為を宝くじに例えると、きわめて誤解を招きやすいからだ。具体的に引用するのがわかりやすいだろう。以下は、福島県における甲状腺がん検診を宝くじにたとえて容認する言説である。



小児に対する甲状腺がん検診は、害よりも利益が大きいと証明されていない。他のがん検診や成人のがん検診の知見を合わせて考えると、害よりも利益が大きいどころか、微妙ですらなく、害のほうが利益よりもずっと大きいであろう。幸いにも、上記ツイートした方たちは、その点については一定のご理解はしているようである。しかし、宝くじと有効性が証明されていないがん検診と以下の点で大きく異なる。


1. 宝くじにはごく少数であるが高額の賞金が得られる保証があるが、甲状腺がん検診にはそのようは保証はない。大きな利益を得られる人は一人もいないかもしれない。
2. 宝くじの「害」はせいぜいくじを購入するときの費用であるのに対し、甲状腺がん検診は偽陽性や過剰診断や予後を改善しない早すぎる診断といった大きな害が生じうる。


甲状腺がん検診を宝くじにたとえると、「検診は集団においては害のほうが大きいが、中には治療を要する甲状腺がんを早期発見できるラッキーな人もいる。超音波検査なので害は小さい」という誤解を招きうる。上記ツイートした方たちは、誤解が生じることになんら懸念を示していないし、なんなら本人たち自身が誤解に陥っているように見える。

宝くじの一等賞に相当する「がん検診の大当たり」は、がん死の回避だ。有効性が証明されたがん検診は、がん死亡率の減少が証明されている。しかし、成人の甲状腺がん検診の観察研究では、微小甲状腺がんまで含めて治療介入しても、甲状腺がん死亡率は減らなかった。そもそも、もともとがん死亡率がきわめて小さい小児甲状腺がんでは「大当たり」はほとんど入っていないか、一つも入っていないかのどちらかである。

「小当たり」として、早期発見による再発予防や拡大手術の回避が言われることもあるが、こちらも証明されていない。治療介入が必要な甲状腺がんが検診で見つかると、検診から利益を得られたと誤解しやすいが誤りだ(■過剰診断が多いほど検診から恩恵を受けたと感じる人が多くなる「ポピュラリティパラドクス」)。甲状腺がん検診を受けると、受けない場合と比較して、再発や拡大手術が少ないという研究は、私の知る限りではない。微小甲状腺がんでもリンパ節転移が多い*2という甲状腺がんの性質を考えると、むしろ検診群のほうが拡大手術は増えると私は考える。

検診の害は、一般の方々が想定しているよりもずっと大きい。有効性が証明されているがん検診にも害があるが、がん死の回避という利益があるから容認されている。甲状腺がん検診について懸念を示すと、たまに「がん死亡率だけをみて個人のQOL(生活の質)を軽視している」などと批判されるが、QOLを軽視しているのは甲状腺がん検診を容認している側である。

がん検診は多くの人のQOLを落とす。偽陽性であっても、精査の結果が出るまで「がんかもしれない」という不安にさいなまれる。手術せずに積極的監視されるとしても、がんと診断されること自体が大きな害になる。想像して欲しい。将来ずっと、下手をすると一生涯、がんが進行するかもしれない状態に突き落とされるのだ。

過剰治療の害は論を待たないが、たとえ過剰診断ではなく、将来に症状を呈するがんを前倒して診断しただけであっても、青少年期にがんと診断されること自体が有害だ*3。「早期発見できてよかった」という誤解はよくあるが、甲状腺がんについては検診による早期発見から利益が得られることは示されていない。

甲状腺がん検診を、なるべく誤解を招かないように宝くじにたとえると、買うときの費用は小さいが、そのあとでなぜか大きな額の支払いを課せられることがあり、しかもその支払いは一生続くかもしれず、しかし一等賞も二等賞も入っているかどうかわからないというものだ。それでも買いたいという人がいれば買ってもいいが、現状では十分に情報が提供されていない。甲状腺がん検診の害について知っていたのは受検者のわずか16.5%だったいう報告もある*4。「福島の子どもと知る権利を守る」などと言っている人たちは、がん検診の害について知る権利が侵害されている現状についても気にしていただきたい。

以上の議論は、福島県において被ばくによって甲状腺がんが増えていようといまいと言えることである。たとえ被ばくにより甲状腺がんは増加しているという立場であっても、がん検診の疫学について理解している論者は、現在福島県で行われている甲状腺がん検診に大きな問題があることに同意するだろう。

「宝くじの誤り」は他の医療行為にも適用できる。がん死亡率の減少が証明されていないがん検査や、根拠に乏しいがん治療が自費診療で高額で提供されているが、「たまに宝くじで幸せになれる人がいるということは否定できないよね?」という理屈で容認できるかどうかということを考えてみて欲しい。


*1:2023年7月3日追記:宝くじ自体は当たることがあるかもしれないので期待値はプラスであるというご指摘を受け「宝くじの期待値はマイナスであり」という不正確な記述を改訂した。また、「1等が当たったら何を買おう。当たればいいなあ」という楽しい気持ちなどは無視することになるので「金額の期待値」とした。

*2:たとえば https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30774660/

*3: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/31355909/

*4:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35241012/