NATROMのブログ

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HPVワクチンが子宮頸がんを増やすというニセ情報を検証してみた

子宮頸がんの原因の大多数はHPV(ヒトパピローマウイルス)の慢性感染であり*1、HPVワクチンによってHPVの感染を防ぐことで子宮頸がんを予防することが期待できる。もちろんワクチンである以上、100%の安全性は保障できず、頻度はともかくとしてHPVワクチンが重篤な副作用を引き起している可能性は否定できない。ニセ医学に頼らなくてもワクチンの害について議論することはできるのだが、一部のというか、多くの「反HPVワクチン」論者は完全にニセ医学側に立っている。不幸なことだ。

彼らの定番の「デマ」の一つが「HPVワクチンは子宮頸がんを減らすどころかむしろ増やしている」という主張だ*2。一般の人たちだけではなく、科学コミュニケーションや 科学ジャーナリズム論を大学で教えている先生も「釣られている」*3。何らかの対抗言論が必要だと考えた次第だ。

HPVワクチンがHPVの感染を防ぐこと、および、前がん病変を減らすことは、臨床試験においてもリアルワールドの観察研究においても示されている。ワクチンが子宮頸がんも減らすと考えるのが合理的であり、よほどの強い証拠がない限り、HPVワクチンが子宮頸がんを増やすとは言えない*4。実際、HPVワクチンで子宮頸がんが増えるという主張には、強い証拠どころか、きわめて薄弱な根拠しか示されていない。以下、オーストラリアとイギリスの事例について検証する。


オーストラリアの子宮頸がん罹患率(発生率)上昇は高齢化のせい

「オーストラリアでは2007年からHPVワクチンが導入されたが、むしろ子宮頸がんは増加し続けている」という主張とともに以下のようなグラフが提示される*5


「2007年からHPVワクチンを接種してますが子宮頸がんは減るどころか増加し続けています」


相応の医学知識を持っていれば、このグラフではHPVワクチンが子宮頸がんを増やすとは言えないことはすぐにわかる。よしんばワクチンが子宮頸がんを増やすとしても接種直後から増えるはずがない。提示されているのは全年齢の罹患数*6であり、ワクチンの影響が出るのはワクチン接種後からかなり時間がかかる。そもそもHPVワクチン導入の2007年の前から増加傾向である。このグラフを出してHPVワクチンが子宮頸がんの増加と関係があるかのように述べるのは、騙されているか、騙そうという意図があるかのどちらかだ

ワクチンのせいではないとして、なぜオーストラリアで子宮頸がん罹患率が上昇しているのか。実際のところ、オーストラリアにおける子宮頸がん増加は高齢化のためだ。年齢調整後の子宮頸がんの罹患率を示す。年齢を調整すればワクチン導入後の罹患率の上昇は観察されない。


オーストラリアにおける年齢調整子宮頸がん罹患率の推移

イギリスで25~29歳の子宮頸がんが増えているのはワクチンとは無関係

「2008年からHPVワクチンを導入している英国ではこの10年で25歳から29歳における子宮頸がんが54%増加している」という言説も、ワクチンが子宮頸がんを増やすという「デマ」に利用されている。しかし、もともとの引用元であるCancer Research UKでは明確に、子宮頸がん検診と同時にHPVワクチンが推奨されている。


■Cervical cancer progress falters as screening uptake hits record lows | Cancer Research UK


Cervical cancer is caused by the human papilloma virus (HPV) – an infection that around 8 in 10 people in the UK will get and can now be vaccinated against. In the last 20 years Cancer Research UK funded clinical trials to help create the HPV vaccine, which is now offered to children across the country and expected to save many lives.
(DeepLによる機械翻訳)子宮頸がんは、ヒト乳頭腫ウイルス(HPV)によって引き起こされます - 英国では10人に8人がかかる感染症であり、現在ではワクチンを接種することができます。過去20年間、Cancer Research UKは、HPVワクチンを作成するための臨床試験に資金を提供し、現在、全国の子供たちに提供されており、多くの命を救うことが期待されています。


Cancer Research UKが25~29歳における子宮頸がんの増加を述べたのは、だからこそHPVワクチン接種と子宮頸がん検診が重要だと言いたいがためであり、ワクチンにがん促進リスクがあるかのようにほのめかす文脈に引用するのはチェリーピッキング、不適切な引用だ。大学で科学コミュニケーションを教えるような先生であればこそ、こうした不適切な引用を批判すべきであろうに。

Cancer Research UKのサイトの注釈によると、イギリスの25~29歳女性の子宮頸がん罹患率は、2004-06年の12.0人/10万人から、2015-17年の18.5人/10万人まで増えたとあり、これが54%増加の根拠だ。私の調べた範囲内では、25~29歳女性の子宮頸がん罹患率のピークは2013-15年で、21.0人/10万人だ*7。イギリスでは2008年からキャッチアップとして14歳~18歳の女性に対してHPVワクチンが接種されている。5年後の2013年には彼女らは19歳~23歳、7年後の2015年には21歳~25歳であり、2013-15年時点までの25~29歳女性の子宮頸がん罹患率の上昇とワクチン接種は関係はない。

キャッチアップ世代が25歳以上となる直前まで上昇し続けてきた25~29歳女性の子宮頸がん罹患率は、2015年以降、下がりつつある。一方、ワクチン世代ではない30~34歳の子宮頸がん罹患率は微増を続けている。2015-17年においては、25~29歳女性の子宮頸がん罹患率はワクチン世代ではない30~34歳の子宮頸がん罹患率と逆転した。ワクチンとは別の要因(性交渉開始年齢の低年齢化など)で上昇しつつあった若い世代での子宮頸がん罹患率が、HPVワクチン接種世代で逆転して減少しているように見えるが、子宮頸がん罹患率は、がん検診開始年齢等の他の要因にも影響を受けるため、現時点ではワクチンのおかげで罹患率が下がったとは必ずしも言えない。そこで断定的に述べると、反HPVワクチン論者と同レベルになってしまう。今後、複数の地域において質の高い検証が行われ、報告されるであろう。


その他の国についてもHPVワクチンが子宮頸がんの上昇の原因であることを示す証拠はない

今回はオーストラリアとイギリスの事例を述べたが、反HPVワクチン論者によれば、デンマークやスウェーデンやアメリカ合衆国でも子宮頸がんワクチン世代の子宮頸がん罹患率が上昇しているとのことである。しかし、私が検証した範囲内では、一つの例外もなくどれも証拠薄弱であった。

先進国でよくみられる子宮頸がん罹患率の推移のパターンは、がん検診の普及*8や公衆衛生の改善による減少後に、おそらく性交渉開始年齢の低年齢化による若年層における増加が続く(だからこそ検診だけでは不十分でHPVワクチンが必要だとされている)。自説に都合のよい時点を選べば、医学に詳しくない人たちにHPVワクチン開始後に罹患率が上昇したように思わせることは容易だ。

はなはだしい場合は、子宮頸がん検診の受診割合の増加のグラフを提示して子宮頸がん罹患率が増加したと主張されたこともあった*9。雑にもほどがあるが、こうした雑な主張であっても検証には手間取る。ネタ元の多くは海外の反ワクチンサイトである。反HPVワクチンサイトではなく、反ワクチンサイトだ。標準医療否定とも結びついており、ご承知の通り検証が追い付かないほどニセ情報が量産されている。ブログやSNSベースのHPVワクチンが子宮頸がんを増やしたという主張は信じないほうがいいし、そのような主張を批判的言及なしに紹介する論者は信頼に値しない。



関連記事:
■イングランドにおいてHPVワクチン接種世代の子宮頸がんは増加していない
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*1:■「HPVは子宮頸癌の原因ではない」というトンデモ説を参照のこと。

*2:デマという言葉には「意図的」に流す嘘、という意味が込められているが、意図的ではない誤情報の場合にも使用されている。今回の件は意図的に誤情報を流しているのであろう人がいる一方で、意図的ではなく善意で情報を拡散している人たちもいるため、「」付きの「デマ」とした

*3:https://twitter.com/SciCom_hayashi/status/1298199194952273926

*4:2024年2月2日追記:2020年8月の段階では「ワクチンが子宮頸がんも減らすと考えるのが合理的」と書いたが、その後、リアルワールドでHPVワクチンが浸潤子宮頸がんを減らす報告が相次いでおり、2024年2月の段階では「ワクチンが子宮頸がんも減らすのはもはや確立された事実」だとみなしてよい。

*5:「HPVワクチンと子宮頸がん増加の因果関係については断定していない」という言い訳が予想できるが、sivad氏は、反ワクチン論者によく引用される、HPVワクチンがHPV既感染者の「前癌病変のリスクを44.6%増加させる」というデータを引用し、「逆にがんを促進するかもしれないリスクは副反応とともに重大な問題となるものでしょう」と述べた上で、わざわざ年齢調整されていないグラフを持ち出した(URL:https://sivad.hatenablog.com/entry/2019/06/02/215307)。はたして誠実な態度と言えようか。また、「癌病変のリスクを44.6%増加させる」というデータについては、詳しくは■「HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の嘘」の検証(1)HPVワクチンは前がん病変のリスクを44.6%増やすのか? - うさうさメモを参照のこと。本当にHPVワクチンがHPV既感染者の前がん病変のリスクを増やすのであれば、10年以上前のデータだけしか提示できない理由について説明が必要だ

*6:2023年1月23日追記:「罹患率」を「罹患数」に修整。Y軸はNo. of cases、グラフのタイトルがIncidence(Incidence rate)であった。

*7:URL:https://uat.cancerresearchuk.org/sites/default/files/cancer-stats/cases_crude_f_cervical_i15/cases_crude_f_cervical_i15.xlsx

*8:一般的にがん検診はがん罹患率を上昇させるが、子宮頸がん検診は、前がん病変を発見し浸潤子宮頸がんに進行する前に治療介入することで子宮頸がん罹患率を下げうる

*9:https://twitter.com/NATROM/status/1068500715935387648